ノアの箱舟を創ろう Let us Create the Super Ocean-Floating-Structures such as the Noah's ark.

ノアの箱舟を創ろう Let us Create the Super Ocean - Floating - Structures such as the Noah's ark.

Tuesday, July 14, 2009

私の尊敬する恩師・星野芳樹氏の社会・政治家の貴重な逆境経験と星野氏の思い出とその活動に係わる人々の人生経験を紹介致します。


ナイロビ便り 星野芳樹著

アフリカ人婦人と談笑する星野芳樹











1909年東京下谷に生まれる。静岡高校在学中に左翼運動に加わり7年間獄中生活を送る。刑期満了後上海に渡り中国人子弟のために容海中学校を創設、終戦まで経営。帰国後、第1期参議院議員に当選。シベリア抑留者帰国促進運動を展開。1954年より静岡新聞論説委員。海外特派員としてアジア、アフリカ各地を取材。1974年、同新聞を定年退職後、妻巴とケニア、ナイロビに日本アフリカ文化交流協会「ケニヤスワヒリ語学院」を設立、1988年病に倒れるまで日本人留学生にスワヒリ語やアフリカ文化を、又現地のケニア人や在留外国人には日本語や英語を教えた。1992年5月群馬県沼田にて死去83才。



ナイロビ便り 星野芳樹著

アフリカ諸国の夜明け前

1974年、ケニアナイロビに居をかまえ「ケニヤスワヒリ語学院」を運営した著者が、真のアフリカを伝えたいと学院留学生の家族や日本の知人に当てて送った通信文「ナイロビ通信」。月刊で約11年119号を発行。

独立気運最盛期のアフリカの政情や動向をリアルタイムに伝えると共にアフリカの自然や風俗、日常などが愛情に満ちた口調で語られている。

当初200部ほどだったものが800部まで至るが原稿作成から印刷、発送のための宛名書きまで全て一人でこなしている。

本書では「ナイロビだより」(全119号)の他に、アフリカ駐在の日本人向けに発行された「アフリカ古人今人」(全87号)、静岡新聞海外特派員時代掲載されたアフリカ関連記事(抜粋)も収録



参考リンク
http://www.suikodo.com/job/book.html 

:現在はリンクできなくなっています。


================


社会・政治家の逆境経験と私の尊敬する恩師・星野芳樹氏の思い出とその活動に係わる人々の人生経験を紹介致します。

1.【恩師 星野芳樹氏の忘れがたい思い出】

私が大学生時代の時であった。 

当時、東海大学海洋学部の初代学部長 速水祥一郎氏(速水氏の母校京都大の京都大学防災研究所所長兼務)が、亡くなられて、静岡県清水市の東海大学海洋学部での学園葬の式典において、その式典に参列していて、その式典の進行の最中に、私の隣席に居られた星野芳樹氏が、突然に、私に、涙声で、語りかけてきました。 

星野氏の上海において、共産党員として、宮本書記長と共に潜伏活動をしながら、国家権力機関からの迫害・追放等の亡命生活の中で、当時、速水祥一郎氏が上海で、揚子江の河川の土木工学上の研究をされていた職場において、速水氏の研究の手助けをしていて、その職場で、速水祥一郎氏が、星野氏に優しくして頂いたという思い出と活動を私に語られたのです。私は、突然なことで、まごついてしまいました。

その時において、私が若く、未熟であり、未だ知りえない星野氏の心の奥に、深く刻まれた亡命生活同様のような生活での、想像を越える辛さや社会の不条理を経験したことを理解し得たことは、後生のことであった。

私はその式典の後において、星野氏が第2次世界対戦中に、戦争反対の思想・政治的な活動のために、中国に亡命生活を余儀なくされて暮らしていたことを知ったのは、星野氏の自伝を友人から借りて、読んだ後であったのである。
 
当時において、知り得ないことであるが、星野氏が海洋学部の政治学の講師と招かれた理由には、たぶん、海洋学部長の速水氏の推挙・推薦があったからであろう。

その両者ともに、既に、この世から、生命を絶たれて、失なわれてしまっておりますが、私の心の奥底に、両者の生きてきた時代の人生観が強く刻みこまれているのです。 

若者に対して、優しくふれて、気軽に、対話を応じて頂いた思い出と共に、私の社会や人生に対する見方を育んでくれた人達であった。


【追記1】

40数年前に、私たちに、アフリカの大切さを教え示して、後世をアフリカのケニヤ、ナイロビにて、日本の若者達に、スワヒリ語をまなばせる学校を設立して、励まれたその人生のなかにおいて、同時期に、米国大統領オバマ氏の父親が住んで暮らしていたことを知ったのもつい最近のことである。

ケニヤのナイロビで、星野芳樹氏とオバマ氏の父親と、交友がなされたことがあったのではなかろうかと思うのである。感慨深いものがある。

【追記2】

米国大統領として、大活躍をなされているオバマ氏の人生の逆境を乗り越える信念・闘争力と星野芳樹氏の不条理への闘争・反骨精神を重ねて、思い描くときに、現代の日本の社会・政治指導者達の人生と比べて、眺めれば、雲泥の人生の質の落差があることが、理解できるのである。

そこに、日本の社会の政治的構造における危機が潜んでいる様に強く、思いを致し、未来の社会を担うべきリーダーたるべき人生経験の重さ、社会経験の真なる厳しさのある政治家が活躍されていないことに対して、憂慮を覚える
のである。

人生の真なる目的を持たずに、人生に真の闘争を経験していない人たちが名誉と権力だけを求めて、社会や政治の指導者として、おられることが、この現代
日本の社会の混迷を深めさせている様なのである。

逆境を乗り越える経験したことがないと思われる自民党の小泉氏、阿部氏、福田氏、麻生氏や公明党の太田氏や経済界の権威者等である御手洗氏、トヨタ奥田氏等に、共通的に、そのエリート的な人生を歩んで来た人やこれから歩もうとしている人達に、人生上の真の逆境における経験がない人達の共通する危うさが、かいま見えてくるのである。


=========================


2.【星野芳樹氏の活動に係わる人達の紹介】

【google検索を利用しました。】

【出展引用】

ダニエルサラーム便り 根本 利通(ねもととしみち)
http://jatatours.intafrica.com/habari66.html

【出展引用】

ケニア旅行記3
http://www.geocities.jp/walkabout_ted/kenya_travel3.htm

【出展引用】 星野芳樹氏の政治活動記録

第001回国会 在外同胞引揚問題に関する特別委員会引揚促進並びに感謝決議に関する小委員会 第1号

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/001/1536/00108071536001a.html


【出展引用】:

日本―アフリカ交流史の展開 
日本-アフリカ交渉史の諸相を考える
―いくつかの研究課題と展望ー

大谷大学文学部  古 川 哲 史
2008 年1月15 日受付,2008 年1月31 日受理
連絡先: 〒603-8143 京都市北区小山上総町
大谷大学文学部
e-mail:

http://wwwsoc.nii.ac.jp/africa/j/publish/pdf/V72/75-81.pdf


======================
======================


【星野芳樹氏の生涯】;出展引用:

http://www.jacii.net/page004.html 

http://74.125.153.132/search?q=cache:1162EFvEHswJ:www.jacii.net/page004.html+%E6%98%9F%E9%87%8E%E8%8A%B3%E6%A8%B9&hl=ja&strip=1

これは Google に保存されている http://www.jacii.net/page004.html のキャッシュです。 このページは 2009年5月27日 13:53:45 GMT に取得されたものです。

そのため、このページの最新版でない場合があります。 詳細

フルバージョンハイライトされているキーワード: 星野 芳樹
トップページ

創立者・星野芳樹の一生

1909(明治42) 3/30 東京下谷区にて出生、本籍は父 光多の出身地群馬県利根郡利南村大字戸鹿野(現沼田市戸鹿野町)697-1で、光多は当時両国教会の牧師で日本 キリスト教界の指導者の一人として活動していた。

母みねは光多が横浜フェ リス女学校の教頭時代に同僚であった。

1891(明治24)年7月15日に結 婚、芳樹が生まれた時父50才、母41才であった。

家族は兄二人姉一人と アメリカ留学中の父の妹あいがいて、芳樹が3才の時帰国、母校の津田英 学塾の教師になった。

長兄直樹は、後に東大を出て大蔵省に入り満州国総 務長官時代、時の首相東条英機に請われて帰国、国務大臣を勤めた。

戦 後A級戦犯として獄につながれた。釈放後はダイヤモンド社会長、東急ホテ ル社長となった。

次兄茂樹は東大で土木工学を学び鉄道省に入りトンネル 建設の第一人者として清水、丹那、関門各トンネルを手懸けた。

すぐ上の七 歳違いの姉花子は津田卒業後アメリカ留学、ミシガン大学教授の日系二世 山極越海と結婚、そのままアメリカに永住した。

1915(大正 4) 4  東京市立小日向台小学校入学。

1921(大正10) 4  私立早稲田中学校入学。

1926(大正15) 3  同校卒業。

1928(昭和 3) 4  旧制静岡高等学校文科甲類入学野球部入部、選手制度に疑問を持ちストライキを起こす。

1929(昭和 4) 共産党系の社会科学研究会の友人と交友が始まる。 同校3年在学中、思想運動に関係して逮捕され、放校処分を受ける。

1930(昭和 5) 7  同校退校。

1932(昭和 7) 7/7  父光多、永眠。

長兄直樹、満州へ赴任。

1933(昭和 8) 6
大阪で非合法活動中逮捕される。実刑5年未決通算7百日の判決を大阪北刑務所に下獄する。

獄中母方の従妹羽太巴の面会を受ける。その後図書の差し入れ、激励の手紙を貰う。

豊多摩刑務所に移される。

7年間の獄中生活に、語学特にエスペラント語や科学関係の本が読めた。初歩微分積分から理論物理学の書物、アインシュタインの一般相対性理論、プランクの量子力学まで原書で読み学の何たるかを知り得たと思い、社会思想をこの科学知識で見直した。

マルクス主義は資本主義の病理現象を鋭く分析した結果、マルクス主義は歴史的には認められるが、それ自身も病理現象を伴っており、これらの分析排除が必要でその限界を知ることが肝要であると悟る。

またこの期間、多くの共産主義者といわれる人々が転向していった。

芳樹はこれらの転向者とは根本的に違い、当時の日本政府が中国への武力侵入していることを批判、反対していた自分が、ここで転向という政府に謝罪を乞うのは筋が通らないと非転向を貫いて満期まで獄にいた。

この獄中で養った精神的エネルギーがその後の活動の基になったと後年語った。

さらに海外での多くの知友を得られたのも獄中の思考が役立った。

1934(昭和 9) 1 羽太巴、奈良女高師(現奈良女子大学)附属実科高等女学校英語教師に採用される。

1939(昭和14) 3 羽太巴、芳樹と結婚のため退職して上京、落合に一人でいた芳樹の母と一緒に住む。

1940(昭和15) 2/24
                        3/30
                       4

紀元二千六百年祭の恩赦で、満期より一ヶ月位早く出獄する。

巴と結婚、時に芳樹31才、巴29才。

国外へ行こうと計画をたて満州国経由で上海に向かう。途中ソウルで後に南北統一の星と呼ばれた呂運亨と語り合った。

1941(昭和16) 7
                        9
                        11

上海で華興銀行の鷲尾氏の紹介で上海自然科学研究所の助手となる。その間中国語を学ぶ。

夜間日本語講習会を開き、ここで多くの中国の友人が出来た。

上海市公平路に中国人児童のための容海中学校を創設、1945年8月15日敗戦の日まで同校を経営する。

自然科学研究所を退職。

この容海中学校の設立と経営は精魂傾けた最初の事業であった。当事の中国人は上下共日本を憎悪していたので、将来日中両国民族友好のためには憎んでいるが日本の科学技術に一目置いていることが解った。

そこで容海中学校で自分でも教壇に立って数学と物理を教えた。

1945年には小中併せて370名の生徒が在籍していた。後事を託して引き揚げる時、盛大な送別会を開いてくれた。

1981(昭和56年)3月、35年ぶりに上海を訪れた時、迎えてくれた7人の内4人が高校の理科と数学の教師になっていた。

1944(昭和19) 1/28
                         3  一子「楊」、生まれる。

日華親善の功により大東亜省より内山完造、頓宮博士と共に表彰される。日本政府が中国に対しそれまでの強圧政策を「日華共甘同苦」の政策に改めたためである。

1945(昭和20)12 日本敗戦後本国に先立って、在上海日本人居留民の間で総選挙を行い、代表委員30名を選出し日本人自治会を作る。帝国政府領事館が解散したため、その業務を自治会が引き継ぐ。

その代表委員の一人として、宣導部の教育班を担当帰国まで勤務する。

1946(昭和21) 5 日本に帰国。津田塾塾長の叔母星野あいの家に一時身を寄せる。

1947(昭和22) 2 未帰還同胞帰還促進連盟を組織、東京支部長として全国運動の中心となって活動する。当時革新政党も熱心でなかったソ連に抑留されている同胞の帰還促進を要求する市民運動であった。数寄屋橋で21日間の断食をしたのもこの時であった。

第一回参議院議員の選挙に全国区より立候補し、3年議員に当選。労働者農民党に属す。

1948(昭和23) 3
                         6
                         9/25
                         11/ 5 家族と共に沼田に引揚げ、以後住居を沼田に構える。 

                             巴、群馬県立沼田女子高校教諭の職を得る。              
                             「共産主義卒業の記」土佐書房より刊行。                 
                             「上海路地裏の人々」世界社より刊行。  著者 星野芳樹       

1949(昭和24) 巴の母れん、同居する。

1950(昭和25) 4 参議院議員任期終了。

1952(昭和27)11/15
                       12 母みね、永眠。

仏教、キリスト教の有識者を集め、宗教者平和連盟を組織、これと労働組合幹部との話し合いを設営して平和促進国民会議を作る。しかし、容共派の人たちと意見が合わず離れる。

1953(昭和28) 2 仏教団体のインドへ農業技術者を送り届ける通訳兼付き添いとして僧衣で渡航。30万円の貧乏旅行であった。

節約した旅費でビルマのラングーンで開催されたアジア社会党大会にオブザーバーとして参加、アジア・アフリカ諸国に多くの知友を得る。

この間、インド、パキスタン、アフガニスタン、ネパール、スリランカ、ビルマ、マレーシアを広く周遊し、ラングーンの会議で知り合った人々を起点に多くの人々と知り合い、深い議論を交わした。

1954(昭和29)11 兄直樹が静岡新聞社の大石光之助社長を紹介してくれ、同紙に一週間に一度かこみ記事を書き同社の論説委員になる。

1955(昭和30) 1 姪百合子(直美長女)同居する。

1957(昭和32) 5/27 義母れん、永眠

同社海外特派員として取材活動を委託され、費用2000ドルで半年間アジア、アフリカ諸国をめぐる。この時初めてアフリカを訪れる。以後静岡新聞社時代のアフリカ取材は19回に及ぶ。

1958(昭和33) 4 利根沼田水泳協会設立する。
この地方にまだプールがなく利根川で泳いでいたころから多数の少年少女を水泳を通して訓育した。沼田中学水泳部が県内優勝10回、その後もしばらく利根沼田の中学が他都市に優勝旗を渡さなかった歴史を作った。

訓育の方針はあくまで個人の選手を育てる事でなく、団体の中で助け合ってみんなが伸びるという原則をとおした。「小父さん」の名前で慕われ、1979年70才で一時帰国の際、誕生会を沼田で開いた所、水泳協会の関係者を中心に96名もの人が集まり歓迎してくれた。

1959(昭和34) 1 「アジア・アフリカ紀行」講談社から出版する。

1961(昭和36) 4 巴妹直美、沼田へ転居。

1967(昭和42) 4 楊、群馬県公立学校教諭に採用沼田西中学に奉職。

1969(昭和44) 3 楊結婚。

1970(昭和45) 3/31
                         4
                         4 巴、沼田女子高校を退職。

静岡新聞主幹に任ぜられ、静岡新聞社に常勤する。

静岡に家を建て妻と転居する。

静岡大、静岡薬科大、東海大海洋学部の学生有志を集め、静岡青年海外事情研究会を作り、毎年冬と春の休暇を利用して4名ずつ東南アジアと韓国の安値旅行の手ほどきをした45)ばして帰って来た。しかも120ドルを余して。この経験から若者を海外に出すことの意義を知った。

1971(昭和46) 「バングラデッシュ独立の経過を通して世界政治の裏をのぞく」を静岡新聞社より刊行。

1972(昭和47) 12/ 5 幼児のころから家族同様だった叔母星野あい永眠。
                         兄茂樹永眠。

1974(昭和49) 1/10
                          3/ 2
                         11/16 静岡新聞社定年退職、住居をケニア、ナイロビに移す。

過去20回近くの海外取材で一番気に入った土地であった。娘も独立、安心して妻と此処を永住の地と定めた。静岡の家を処分し、その他自己資本を投じて土地、家屋を購入した。此処から静岡新聞に論説を送ると掲載してくれた。

ケニア国ナイロビ市に「日本アフリカ文化交流協会」設立の準備を始める。

上記の協会がケニア政府から認可される。

1975(昭和50) 1/ 1
                         4

「ナイロビだより」第1号発刊、各地に送る(二百部余りから段々増え後に七百部ぐらいを自分で表書きし送った)。

日本アフリカ文化交流協会(ケニア・スワヒリ語学院、星野スクール)は第1回留学生として6名を受け入れる。

この学院はナイロビの中心より僅か2キロ、キリマニ(丘)の樹木の緑と静かな環境の一画にある。日本人にスワヒリ語、英会話、アフリカの政治、経済事情、文学、歴史、芸術等を取得する機会を与えるために、又ケニア人とケニア居住の外国人に、日本語の教育をするために開校されたアフリカ唯一の教育施設である。開校当初より門扉を持たず、人種の間に壁を作らぬ交流を奨励するため、通称「星野スクール」と呼ばれ多くの人たちに親しまれている。

当初NHK放送文化基金及び財界からの補助もあり、1975年の第1期生より1979年の第8期生までは(社)アフリカ協会による運営。第9期生以降の留学生の募集・選考・派遣は、この協会の日本事務局で行なわれている。

第1期生授業開始。

1988年3月ナイロビを引揚げる時には、日本よりの留学生は第24期生に達した。第1期と第2期は学習過程を1年としたが、第3期からは半年としたため、1年に2回学生を受け入れ、1期の定員を12名としたので、総数で270余名が学んだことになる。

このほかに、ケニアの人々に対する日本語学習講座を設けたが、これは延べ211名、またケニア在住一般外国人のためのスワヒリ語講座は延べ320名の学習者があった。

1976(昭和51) 4 第2期生受入れ。
第2期以来日本人留学生は毎期卒業式の際、スワヒリ語を用いて何か劇を演じる伝統が生まれ、必ず実施している。半年前までスワヒリ語を全く知らなかった青年が自分たちで劇の台本をつくり、スワヒリ語に直し、舞台装置、衣装も作って演じることは、ケニアの官民にひとつのミラクルとして評価されたいる。

1977(昭和52) 3 「アフリカ古人今人」第1号発刊。

1978(昭和53) 5/29 兄直樹、永眠。

ブロンズ社より「アフリカの指導者」刊行。

1982(昭和57) 1 1982年までに160名の留学生を迎える。ケニア在住外国人のスワヒリ語講座は320名、ケニアの人々への日本語講座は211名の学習者があった。
読売新聞夕刊の「人」欄で4回にわたって紹介される。

1984(昭和59) 7
                         8 「アフリカ古人今人」第87号で終刊する。

このころは留学生引率のため、妻巴と交互に帰国する以外他国に行っていなかったが、従妹(窪田てい)の娘婿浅羽満夫が隣のタンザニア大使として赴任して来たので、久しぶりに近くに来た親戚に会うためにオンボロの愛車でダルエスサラームへ出かけた。ナイロビ、ダルエスサラーム間の標高差1800メートル、距離1000キロの完全舗装とはいえない悪路もある長距離運転。
帰途車がえんこしたり、悪路にはまったりで散々な目に遭ってやっとのおもいでナイロビに帰って来た。このため体調を崩し静養を余儀なくされた。

1985(昭和60) 2
                         9
                         11 学生引率のため帰国中に入院す。

「ナイロビだより」第119号で終刊となる。

日本とアフリカの文化交流の功により叙勲、勲三等旭日中綬章を、妻巴は勲五等宝冠章を授与される。

日本アフリカ文化交流協会の事業としてスワヒリ語学院を始めて10年間、卒業生も20期230名を超えた。

1986(昭和61) 6 リブロポート社より「星野芳樹自伝」刊行。

この書物でも一貫して真の革新とは何か?と問いかけている。スターリンのソ連帝国主義の破綻を予見していた。さらに北朝鮮については、民主主義の萌芽さえ見られず、独裁者金日成が偽者であると言及している。

彼によれば、彼が7才の時に朝鮮に金日成という指導者がいて日本帝国主義に反抗して白頭山で日本軍と戦った英雄として朝鮮民族に仰がれていた人物がいた。

戦争が終わりソ連軍が平壌に入った時、これが金日成だと連れて来た男は彼より年が3つ若いことがわかり偽者だと直感した。

この男の政権下で優秀な人物がずいぶん粛清されている。

朝鮮が日本に支配されていた時、頑強に抵抗し独立運動をした人たちが北朝鮮に帰ったけれど反乱罪で処刑されている。

現に従妹と結婚した東大出の金斗鎔も帰国後消息がつかめないでいる。

1987(昭和62) 1/7 姉花子、永眠。

アジア・アフリカ文化財団主催、第5回「アジア・アフリカ賞」を受ける。

1988(昭和63) 3/5 故郷沼田に引揚げ、療養生活に入り再起をはかる。

この時スワヒリ語学院は第24期生が修了、卒業生数は270名に達していた。後任を第6期卒業の上田栄一氏に託す。

1990(平成 2) 1/23 義妹羽太直美、永眠。

1992 (平成 4)  5/31
                         6/6 心筋梗塞のため沼田脳神経外科病院で永眠。

日本基督教団沼田教会で葬儀・告別式挙行、同教会メモリアルパーク内の墓地に納骨。


====================

【引用終わり】:以上の通り

====================

====================




=====================

=====================


私の尊敬する恩師・星野芳樹氏の社会・政治家の貴重な逆境経験と星野氏の思い出とその活動に係わる人々の人生経験を紹介致します。

http://www.suikodo.com/job/book.html


ナイロビ便り 星野芳樹著
星野 芳樹
アフリカ人婦人と談笑する星野芳樹

1909年東京下谷に生まれる。
静岡高校在学中に左翼運動に加わり7年間獄中生活を送る。刑期満了後上海に渡り中国人子弟のために容海中学校を創設、終戦まで経営。
帰国後、第1期参議院議員に当選。シベリア抑留者帰国促進運動を展開。
1954年より静岡新聞論説委員。海外特派員としてアジア、アフリカ各地を取材。
1974年、同新聞を定年退職後、妻巴とケニア、ナイロビに日本アフリカ文化交流協会「ケニヤスワヒリ語学院」を設立、1988年病に倒れるまで日本人留学生にスワヒリ語やアフリカ文化を、又現地のケニア人や在留外国人には日本語や英語を教えた。
1992年5月群馬県沼田にて死去83才。

ナイロビ便り 星野芳樹著


アフリカ諸国の夜明け前



ナイロビ便り写真

1974年、ケニアナイロビに居をかまえ「ケニヤスワヒリ語学院」を運営した著者が、真のアフリカを伝えたいと学院留学生の家族や日本の知人に当てて送った通信文「ナイロビ通信」。月刊で約11年119号を発行。
独立気運最盛期のアフリカの政情や動向をリアルタイムに伝えると共にアフリカの自然や風俗、日常などが愛情に満ちた口調で語られている。
当初200部ほどだったものが800部まで至るが原稿作成から印刷、発送のための宛名書きまで全て一人でこなしている。
本書では「ナイロビだより」(全119号)の他に、アフリカ駐在の日本人向けに発行された「アフリカ古人今人」(全87号)、静岡新聞海外特派員時代掲載されたアフリカ関連記事(抜粋)も収録


================

社会・政治家の逆境経験と私の尊敬する恩師・星野芳樹氏の思い出とその活動に係わる人々の人生経験を紹介致します。


1.【恩師 星野芳樹氏の忘れがたい思い出】


私が大学生時代の時であった。 当時、東海大学海洋学部の初代学部長 速水祥一郎氏(速水氏の母校京都大の京都大学防災研究所所長兼務)が、亡くなられて、静岡県清水市の東海大学海洋学部での学園葬の式典において、その式典に参列して、その式典の進行の最中に、私の隣席に居られた星野芳樹氏が、突然に、私に、涙声で、突然に語りかけてきました。 
星野氏の上海において、共産党員として、宮本書記長と共に潜伏活動をしながら、国家権力機関からの迫害・追放等の亡命生活の中で、当時、速水祥一郎氏が上海で、揚子江の河川の土木工学上の研究をされていた職場において、速水氏の研究の手助けをしていて、その職場で、速水祥一郎氏が、星野氏に優しくして頂いたという思い出と活動を私に語られたのです。私は、突然なことで、まごついてしまいました。 その時において、私が若く、未熟であり、未だ知りえない星野氏の心の奥に、深く刻まれた亡命生活の想像を越えるつらさや社会の不条理を経験したことを理解し得たことは、後生のことであった。


私はその式典の後において、星野氏が第2次世界対戦中に、戦争反対の思想・政治的な活動のために、中国に亡命生活を余儀なくされて暮らしていたことを知ったのは、星野氏の自伝を友人から借りて、読んだ後であったのである。 
たぶん、当時において、知り得ないことであるが。星野氏が、海洋学部の政治学の講師と招かれた理由は、速水氏の推薦があったのであろう。


その両者も、すでに、この世に、生命を失ってしまっておりますが、私の心の奥底に、両者の時代の人生観が刻みこまれているのです。 


若者に対して、優しくふれて、気軽に、対話を応じて頂いた思い出と共に、私の社会や人生に対する見方を育んでくれた人たちであった。


【追記1】


40数年前に、私たちに、アフリカの大切さを教え示して、後世をアフリカのケニヤ、ナイロビにて、日本の若者達に、スワヒリ語をまなばせる学校を設立して、励まれたその人生のなかにおいて、同時期に、米国大統領オバマ氏の父親が住んで暮らしていたことを知ったのもつい最近のことである。ケニヤのナイロビで、星野芳樹氏とオバマ氏の父親と、交友がなされたことがあったのではなかろうかと思うのである。感慨深いものがある。


【追記2】


米国大統領として、大活躍をなされているオバマ氏の人生の逆境を乗り越える信念・闘争力と星野芳樹氏の不条理への闘争・反骨精神を重ねて、思い描くときに、現代の日本の社会・政治指導者達の人生と比べて、眺めれば、雲泥の人生の質の落差があることが、理解できるのである。

そこに、日本の社会の政治的構造における危機が潜んでいる様に強く、思いを致し、未来の社会を担うべきリーダーたるべき人生経験の重さ、社会経験の真なる厳しさのある政治家が活躍されていないことに対して、憂慮を強めているのである。

人生の真なる目的を持たずに、人生に真の闘争を経験していない人たちが名誉と権力だけを求めて、社会や政治の指導者として、おられることが、この日本の社会の混迷を深めさせている様なのである。

逆境を乗り越える経験したことがないと思われる自民党の小泉氏、阿部氏、福田氏、麻生氏や公明党の太田氏や経済界の権威者等である御手洗氏、トヨタ奥田氏等に、共通的に、そのエリート的な人生を歩んで来た人やこれから歩もうとしている人達に、人生上の真の逆境における経験がない人達の共通する危うさが、会間見えてくるのである。



=========================


2.【星野芳樹氏の活動に係わる人達の紹介】


【google検索を利用しました。】



【出展引用】

ダニエルサラーム便り 根本 利通(ねもととしみち)
http://jatatours.intafrica.com/habari66.html

【出展引用】

ケニア旅行記3
http://www.geocities.jp/walkabout_ted/kenya_travel3.htm


【出展引用】 星野芳樹氏の政治活動記録

第001回国会 在外同胞引揚問題に関する特別委員会引揚促進並びに感謝決議に関する小委員会 第1号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/001/1536/00108071536001a.html


【出展引用】:

日本―アフリカ交流史の展開 
日本-アフリカ交渉史の諸相を考える
―いくつかの研究課題と展望ー

大谷大学文学部  古 川 哲 史
2008 年1月15 日受付,2008 年1月31 日受理
連絡先: 〒603-8143 京都市北区小山上総町
大谷大学文学部
e-mail:

http://wwwsoc.nii.ac.jp/africa/j/publish/pdf/V72/75-81.pdf


======================
======================

【星野芳樹氏の生涯】;出展引用:

http://www.jacii.net/page004.html 

http://74.125.153.132/search?q=cache:1162EFvEHswJ:www.jacii.net/page004.html+%E6%98%9F%E9%87%8E%E8%8A%B3%E6%A8%B9&hl=ja&strip=1

これは Google に保存されている http://www.jacii.net/page004.html のキャッシュです。 このページは 2009年5月27日 13:53:45 GMT に取得されたものです。

そのため、このページの最新版でない場合があります。 詳細

フルバージョンハイライトされているキーワード: 星野 芳樹
トップページ

創立者・星野芳樹の一生

1909(明治42) 3/30 東京下谷区にて出生、本籍は父 光多の出身地群馬県利根郡利南村大字戸鹿野(現沼田市戸鹿野町)697-1で、光多は当時両国教会の牧師で日本 キリスト教界の指導者の一人として活動していた。母みねは光多が横浜フェ リス女学校の教頭時代に同僚であった。

1891(明治24)年7月15日に結 婚、芳樹が生まれた時父50才、母41才であった。

家族は兄二人姉一人と アメリカ留学中の父の妹あいがいて、芳樹が3才の時帰国、母校の津田英 学塾の教師になった。

長兄直樹は、後に東大を出て大蔵省に入り満州国総 務長官時代、時の首相東条英機に請われて帰国、国務大臣を勤めた。戦 後A級戦犯として獄につながれた。釈放後はダイヤモンド社会長、東急ホテ ル社長となった。

次兄茂樹は東大で土木工学を学び鉄道省に入りトンネル 建設の第一人者として清水、丹那、関門各トンネルを手懸けた。

すぐ上の七 歳違いの姉花子は津田卒業後アメリカ留学、ミシガン大学教授の日系二世 山極越海と結婚、そのままアメリカに永住した。

1915(大正 4) 4 東京市立小日向台小学校入学。

1921(大正10) 4 私立早稲田中学校入学。

1926(大正15) 3 同校卒業。

1928(昭和 3) 4 旧制静岡高等学校文科甲類入学野球部入部、選手制度に疑問を持ちストライキを起こす。

1929(昭和 4) 共産党系の社会科学研究会の友人と交友が始まる。 同校3年在学中、思想運動に関係して逮捕され、放校処分を受ける。

1930(昭和 5) 7 同校退校。

1932(昭和 7) 7/ 7 父光多、永眠。

長兄直樹、満州へ赴任。

1933(昭和 8) 6
大阪で非合法活動中逮捕される。実刑5年未決通算7百日の判決を大阪来た刑務所に下獄する。

獄中母方の従妹羽太巴の面会を受ける。その後図書の差し入れ、激励の手紙を貰う。

豊多摩刑務所に移される。

7年間の獄中生活に、語学特にエスペラント語や科学関係の本が読めた。初歩微分積分から理論物理学の書物、アインシュタインの一般相対性理論、プランクの量子力学まで原書で読み学の何たるかを知り得たと思い、社会思想をこの科学知識で見直した。

マルクス主義は資本主義の病理現象を鋭く分析した結果、マルクス主義は歴史的には認められるが、それ自身も病理現象を伴っており、これらの分析排除が必要でその限界を知ることが肝要であると悟る。

またこの期間、多くの共産主義者といわれる人々が転向していった。芳樹はこれらの転向者とは根本的に違い、当時の日本政府が中国への武力侵入していることを批判、反対していた自分が、ここで転向という政府に謝罪を乞うのは筋が通らないと非転向を貫いて満期まで獄にいた。

この獄中で養った精神的エネルギーがその後の活動の基になったと後年語った。

さらに海外での多くの知友を得られたのも獄中の思考が役立った。

1934(昭和 9) 1 羽太巴、奈良女高師(現奈良女子大学)附属実科高等女学校英語教師に採用される。

1939(昭和14) 3 羽太巴、芳樹と結婚のため退職して上京、落合に一人でいた芳樹の母と一緒に住む。

1940(昭和15) 2/24
3/30
                        4
紀元二千六百年祭の恩赦で、満期より一ヶ月位早く出獄する。

巴と結婚、時に芳樹31才、巴29才。

国外へ行こうと計画をたて満州国経由で上海に向かう。途中ソウルで後に南北統一の星と呼ばれた呂運亨と語り合った。

1941(昭和16) 7

11
上海で華興銀行の鷲尾氏の紹介で上海自然科学研究所の助手となる。その間中国語を学ぶ。
夜間日本語講習会を開き、ここで多くの中国の友人が出来た。

上海市公平路に中国人児童のための容海中学校を創設、1945年8月15日敗戦の日まで同校を経営する。

自然科学研究所を退職。

この容海中学校の設立と経営は精魂傾けた最初の事業であった。当事の中国人は上下共日本を憎悪していたので、将来日中両国民族友好のためには憎んでいるが日本の科学技術に一目置いていることが解った。

そこで容海中学校で自分でも教壇に立って数学と物理を教えた。

1945年には小中併せて370名の生徒が在籍していた。後事を託して引き揚げる時、盛大な送別会を開いてくれた。

1981(昭和56年)3月、35年ぶりに上海を訪れた時、迎えてくれた7人の内4人が高校の理科と数学の教師になっていた。

1944(昭和19) 1/28
                         3 一子「楊」、生まれる。

日華親善の功により大東亜省より内山完造、頓宮博士と共に表彰される。日本政府が中国に対しそれまでの強圧政策を「日華共甘同苦」の政策に改めたためである。

1945(昭和20)12 日本敗戦後本国に先立って、在上海日本人居留民の間で総選挙を行い、代表委員30名を選出し日本人自治会を作る。帝国政府領事館が解散したため、その業務を自治会が引き継ぐ。

その代表委員の一人として、宣導部の教育班を担当帰国まで勤務する。

1946(昭和21) 5 日本に帰国。津田塾塾長の叔母星野あいの家に一時身を寄せる。

1947(昭和22) 2 未帰還同胞帰還促進連盟を組織、東京支部長として全国運動の中心となって活動する。当時革新政党も熱心でなかったソ連に抑留されている同胞の帰還促進を要求する市民運動であった。数寄屋橋で21日間の断食をしたのもこの時であった。

第一回参議院議員の選挙に全国区より立候補し、3年議員に当選。労働者農民党に属す。

1948(昭和23) 3
                         6
                         9/25
                         11/ 5 家族と共に沼田に引揚げ、以後住居を沼田に構える。 

                             巴、群馬県立沼田女子高校教諭の職を得る。              
                             「共産主義卒業の記」土佐書房より刊行。                 
                             「上海路地裏の人々」世界社より刊行。  著者 星野芳樹       

1949(昭和24) 巴の母れん、同居する。

1950(昭和25) 4 参議院議員任期終了。

1952(昭和27)11/15
                       12 母みね、永眠。

仏教、キリスト教の有識者を集め、宗教者平和連盟を組織、これと労働組合幹部との話し合いを設営して平和促進国民会議を作る。しかし、容共派の人たちと意見が合わず離れる。

1953(昭和28) 2 仏教団体のインドへ農業技術者を送り届ける通訳兼付き添いとして僧衣で渡航。30万円の貧乏旅行であった。

節約した旅費でビルマのラングーンで開催されたアジア社会党大会にオブザーバーとして参加、アジア・アフリカ諸国に多くの知友を得る。

この間、インド、パキスタン、アフガニスタン、ネパール、スリランカ、ビルマ、マレーシアを広く周遊し、ラングーンの会議で知り合った人々を起点に多くの人々と知り合い、深い議論を交わした。

1954(昭和29)11 兄直樹が静岡新聞社の大石光之助社長を紹介してくれ、同紙に一週間に一度かこみ記事を書き同社の論説委員になる。

1955(昭和30) 1 姪百合子(直美長女)同居する。

1957(昭和32) 5/27 義母れん、永眠

同社海外特派員として取材活動を委託され、費用2000ドルで半年間アジア、アフリカ諸国をめぐる。この時初めてアフリカを訪れる。以後静岡新聞社時代のアフリカ取材は19回に及ぶ。

1958(昭和33) 4 利根沼田水泳協会設立する。
この地方にまだプールがなく利根川で泳いでいたころから多数の少年少女を水泳を通して訓育した。沼田中学水泳部が県内優勝10回、その後もしばらく利根沼田の中学が他都市に優勝旗を渡さなかった歴史を作った。

訓育の方針はあくまで個人の選手を育てる事でなく、団体の中で助け合ってみんなが伸びるという原則をとおした。「小父さん」の名前で慕われ、1979年70才で一時帰国の際、誕生会を沼田で開いた所、水泳協会の関係者を中心に96名もの人が集まり歓迎してくれた。

1959(昭和34) 1 「アジア・アフリカ紀行」講談社から出版する。

1961(昭和36) 4 巴妹直美、沼田へ転居。

1967(昭和42) 4 楊、群馬県公立学校教諭に採用沼田西中学に奉職。

1969(昭和44) 3 楊結婚。

1970(昭和45) 3/31
                         4
                         4 巴、沼田女子高校を退職。

静岡新聞主幹に任ぜられ、静岡新聞社に常勤する。

静岡に家を建て妻と転居する。

静岡大、静岡薬科大、東海大海洋学部の学生有志を集め、静岡青年海外事情研究会を作り、毎年冬と春の休暇を利用して4名ずつ東南アジアと韓国の安値旅行の手ほどきをした45)ばして帰って来た。しかも120ドルを余して。この経験から若者を海外に出すことの意義を知った。

1971(昭和46) 「バングラデッシュ独立の経過を通して世界政治の裏をのぞく」を静岡新聞社より刊行。

1972(昭和47) 12/ 5 幼児のころから家族同様だった叔母星野あい永眠。
                         兄茂樹永眠。

1974(昭和49) 1/10
                          3/ 2
                         11/16 静岡新聞社定年退職、住居をケニア、ナイロビに移す。

過去20回近くの海外取材で一番気に入った土地であった。娘も独立、安心して妻と此処を永住の地と定めた。静岡の家を処分し、その他自己資本を投じて土地、家屋を購入した。此処から静岡新聞に論説を送ると掲載してくれた。

ケニア国ナイロビ市に「日本アフリカ文化交流協会」設立の準備を始める。

上記の協会がケニア政府から認可される。

1975(昭和50) 1/ 1
                         4

「ナイロビだより」第1号発刊、各地に送る(二百部余りから段々増え後に七百部ぐらいを自分で表書きし送った)。

日本アフリカ文化交流協会(ケニア・スワヒリ語学院、星野スクール)は第1回留学生として6名を受け入れる。

この学院はナイロビの中心より僅か2キロ、キリマニ(丘)の樹木の緑と静かな環境の一画にある。日本人にスワヒリ語、英会話、アフリカの政治、経済事情、文学、歴史、芸術等を取得する機会を与えるために、又ケニア人とケニア居住の外国人に、日本語の教育をするために開校されたアフリカ唯一の教育施設である。開校当初より門扉を持たず、人種の間に壁を作らぬ交流を奨励するため、通称「星野スクール」と呼ばれ多くの人たちに親しまれている。

当初NHK放送文化基金及び財界からの補助もあり、1975年の第1期生より1979年の第8期生までは(社)アフリカ協会による運営。第9期生以降の留学生の募集・選考・派遣は、この協会の日本事務局で行なわれている。

第1期生授業開始。

1988年3月ナイロビを引揚げる時には、日本よりの留学生は第24期生に達した。第1期と第2期は学習過程を1年としたが、第3期からは半年としたため、1年に2回学生を受け入れ、1期の定員を12名としたので、総数で270余名が学んだことになる。

このほかに、ケニアの人々に対する日本語学習講座を設けたが、これは延べ211名、またケニア在住一般外国人のためのスワヒリ語講座は延べ320名の学習者があった。

1976(昭和51) 4 第2期生受入れ。
第2期以来日本人留学生は毎期卒業式の際、スワヒリ語を用いて何か劇を演じる伝統が生まれ、必ず実施している。半年前までスワヒリ語を全く知らなかった青年が自分たちで劇の台本をつくり、スワヒリ語に直し、舞台装置、衣装も作って演じることは、ケニアの官民にひとつのミラクルとして評価されたいる。

1977(昭和52) 3 「アフリカ古人今人」第1号発刊。

1978(昭和53) 5/29 兄直樹、永眠。

ブロンズ社より「アフリカの指導者」刊行。

1982(昭和57) 1 1982年までに160名の留学生を迎える。ケニア在住外国人のスワヒリ語講座は320名、ケニアの人々への日本語講座は211名の学習者があった。
読売新聞夕刊の「人」欄で4回にわたって紹介される。

1984(昭和59) 7
                         8 「アフリカ古人今人」第87号で終刊する。

このころは留学生引率のため、妻巴と交互に帰国する以外他国に行っていなかったが、従妹(窪田てい)の娘婿浅羽満夫が隣のタンザニア大使として赴任して来たので、久しぶりに近くに来た親戚に会うためにオンボロの愛車でダルエスサラームへ出かけた。ナイロビ、ダルエスサラーム間の標高差1800メートル、距離1000キロの完全舗装とはいえない悪路もある長距離運転。
帰途車がえんこしたり、悪路にはまったりで散々な目に遭ってやっとのおもいでナイロビに帰って来た。このため体調を崩し静養を余儀なくされた。

1985(昭和60) 2
                         9
                         11 学生引率のため帰国中に入院す。

「ナイロビだより」第119号で終刊となる。

日本とアフリカの文化交流の功により叙勲、勲三等旭日中綬章を、妻巴は勲五等宝冠章を授与される。

日本アフリカ文化交流協会の事業としてスワヒリ語学院を始めて10年間、卒業生も20期230名を超えた。

1986(昭和61) 6 リブロポート社より「星野芳樹自伝」刊行。
この書物でも一貫して真の革新とは何か?と問いかけている。スターリンのソ連帝国主義の破綻を予見していた。さらに北朝鮮については、民主主義の萌芽さえ見られず、独裁者金日成が偽者であると言及している。彼によれば、彼が7才の時に朝鮮に金日成という指導者がいて日本帝国主義に反抗して白頭山で日本軍と戦った英雄として朝鮮民族に仰がれていた人物がいた。
戦争が終わりソ連軍が平壌に入った時、これが金日成だと連れて来た男は彼より年が3つ若いことがわかり偽者だと直感した。この男の政権下で優秀な人物がずいぶん粛清されている。朝鮮が日本に支配されていた時、頑強に抵抗し独立運動をした人たちが北朝鮮に帰ったけれど反乱罪で処刑されている。現に従妹と結婚した東大出の金斗鎔も帰国後消息がつかめないでいる。

1987(昭和62) 1/ 7姉花子、永眠。

アジア・アフリカ文化財団主催、第5回「アジア・アフリカ賞」を受ける。

1988(昭和63) 3/ 5 故郷沼田に引揚げ、療養生活に入り再起をはかる。
この時スワヒリ語学院は第24期生が修了、卒業生数は270名に達していた。後任を第6期卒業の上田栄一氏に託す。

1990(平成 2) 1/23 義妹羽太直美、永眠。

1992 (平成 4)  5/31
                         6/ 6 心筋梗塞のため沼田脳神経外科病院で永眠。

日本基督教団沼田教会で葬儀・告別式挙行、同教会メモリアルパーク内の墓地に納骨。


====================

【引用終わり】:以上の通り

====================

====================

私のブログランキングのご支援を皆様によろしくお願い致します。

人気ブログランキングへ 


=====================


=====================

Monday, July 13, 2009

世界の安寧のある平和社会の創生を目的にし、未来の世界の安寧を開く海洋開発産業を国民の総力で育てよう。


世界の安寧のある平和社会の創生を目的にし、未来の世界の安寧を開く海洋開発産業を国民の総力で育てよう。

日本の社会の未来を担う若者等のために、未来志向を育み、国際協力を促進させ、世界的な平和・安寧の社会の創生のために、改定鉱物資源開発問題、海底天然ガス・石油エネルギー資源開発、人口増大対策、食料の確保・保全(洋上の農林・水産業)の展開、洋上太陽光発電・太陽熱発電等の諸課題の解決・完遂させるための国際的な社会資本の有効活用、国際的公共事業、温暖化防止環境対策課題等の総合的な解決の方策として、循環型資源活用等、多岐に渡る海洋開発発展をめざし、その舞台の創生にむけて、長期計画を立案し、諸制度を確立を早急に検討し、実現可能性計画等を国際協力を旗印に掲げ、全国民の参加を促進させ、世界の人々に、広報し、日本国民の知恵の総力を挙げて、すみやかに、海洋基本計画策定に際して、政治政策の最重要な課題として、次期政権の運営される方々に、検討して頂きたいのである。

日本の未来を切り開き、進み行くべき道として、世界の人々とともに、世界の混迷や争乱を根絶し、仲良く、明るい希望のある平和で、安寧のある世界の創生をめざす方向性と哲学を備えたものであるべきである。 

 その政治経済、技術哲学を世界の人々に行き渡るように戦略的な広報を拡大させて行く必要が、現在の日本にもとめられているのである。

 次世代の希望のある世界を創生する役割の主役を担うのは、若者達である。
 その若者達に、明確な夢と希望を提示して、その舞台創生に、最大の努力することをしなければならない政治家や産業人達は、既成の枠組みの社会概念にしばられているのである。 若者を既設社会の構造に縛り付けてはならない。
 
 これを、早急に、改めていかなければ、時代的な要請に、日本の社会は立ち向かうことは困難になってしまうのである。

 現在の社会的な、政治・経済・財界の権力者の概念では、解決がなされないままで、時間と経済資本の無駄に消費されてしまうのである。

 今後の激変する世界の状況に、対応するために、その理念創りに、若者を主体にしていく時代が、切に求められているのである。
 
 老兵は、その栄光の舞台創りを、若者達に、ゆずり渡さなければならない時代的な要請なのである。若者達に、助力を惜しまずに、社会的に、慕われて、尊敬されるように、多くの人達の幸せを願い、豊かな人生を送ることに努めるべきである。

 日本の若者は、勇気をもって、その使命感を奮い立たせて、困窮する世界人々のためにに活躍されることを切に祈ります。
 
 日本の未来は、世界の人々と協力して進めば、やがては、明るい社会になるであろう。



画像:
記入日時: 2009/7/13 23:10:55

人気ブログランキングへ

中国太陽光発電計画で゙の課題と日中関係

最新中国人民網ニュースの紹介: 太陽光発電計画で゙の課題と日中関係

参考リンク:http://j.peopledaily.com.cn/home.html

----------以下の通りーーーー

国内初の1000万kW級風力発電基地、2つの問題に直面
 
 中国が計画している1基目の1000万キロワット級風力発電基地の建設について、記者が甘粛省酒泉市で調査を行ったところ、電力網併合とピークシフト電源の建設が風力発電の発展に2つのボトルネックとして立ちはだかっていることがわかった。新華社のウェブサイト「新華網」が12日に伝えた。

 酒泉市は甘粛省電力網の末端に位置し、電力網のグリッドが弱いため、現在の110キロワットと330キロワットの電力網では大規模な風力発電の出力をまかなえない。すでに稼動している一部の風力発電所でも満負荷で発電できていない状況だ。

 酒泉市の管轄下にある玉門市では、電力出力に関わる制限が地元の風力発電の発展を制約する問題となっている。地元の発展改革委員会の紹介によると、玉門市の電力出力は主に330キロワット送電線に依拠しており、風力発電の送電量は設計の50%前後にとどまり、すでに稼動した風力発電所が満負荷で発電できていない状況に陥っているという。玉門市はこの数年で、251万キロワットの風力発電、400万キロワットの火力発電、200兆ワットの太陽光発電、300万キロワットの原子力発電開発プロジェクトを相次ぎ実施する計画であることから、電力出力の問題は日増しに浮き彫りになってくる。

 風力発電は安定性に欠けることから、電力網と電力供給の安定性を確保するためにも、ピークシフト電源を建設する必要がある。風力発電とその他の発電のピークシフトの比率が1:2という専門家が出した結果に照らすと、1000万キロワットの風力発電を建設すれば、理論的には2000万キロワットのピークシフト電源による調整が必要になる。しかも、風力発電所におけるピークシフトがより合理的とされる。しかし酒泉市の現在の火力発電装置と水力発電装置の容量で風力発電のピークシフトの需要を満たすのは不可能な状況だ。(編集KA)

 「人民網日本語版」2009年7月13日
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【私の見解】

1.必死に国家の発展に邁進する中国は、多方面にわたる難題の山が立ち塞がっている。
 これを、日本人は、傍観せず、ともに協力し、より平和の満ちる社会になるように、相互的語形の技術交流を創りあげて行かなければならない時代になっている。
 
 中国が、民主的な国家になるためにも、国際的な、助力や国際的な協議が不可欠である。
 
2.すでに、中国経済活動は、直接的に、日本の経済や世界の経済活動に、大きな影響を及ぼしている。

3.日本が、今後において、この中国と一体どのような関係を作り上げていくべきかについて、相互信頼を形成して、協議がなされる関係になることが、基本的な条件になるであろう。  


参考リンク:Asyura投稿:http://www.asyura2.com/09/senkyo67/msg/182.html

人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ

日本の屋台骨を支えるあらゆる中小の町企業、産業を未来の世界を開く海洋開発産業に育てよう。

日本の未来を担う若者の活動舞台の創生のために、日本の屋台骨を支えるあらゆる中小の町企業、産業を未来の世界を開く海洋開発産業に育てよう。

1.日本の海洋基本法の成立で、本格的な海洋資源開発が、与党自民・公明党政権で進められようとしているが、あいも変わらず大企業、中央官僚、社団法人等の主導でおこなわれつつある。

2.この政治・官僚・大企業の既得権益集団体勢を再構築しなければ、日本の新分野の産業を育成することは、困難になるであろう。

3.国民全般の参加で、日本経済を再構築する必要がある。大企業の独占的支配を許してはならない。

4.中小の企業で、汗を出す人々に幸せをもたらすような政治や産業政策でなくてはならないのだ。

5.現在の自公政権は、その権力機構を利用しているだけで、真なる国家産業育成の手段と政策をもっていないのである。

6.この構造を再構築をしなければならない。

7.海洋の利用については、将来の人類社会に多方面に便益を与えるものである。

8.この海洋開発には、未来にわたる人類社会の構築に結びつけた理念と構想力が必要である。 

9.汗で積み上げた多額の税金を海洋開発に投入することに、国民の関心と国民主体の意思を呼び起こさなければなら名い理由がここにあるのである。

10.日本の社会の未来を担う若者等のために、未来志向を育み、国際協力を促進させ、世界的な平和・安寧の社会の創生のために、資源問題、人口増大対策、食料の確保・保全(洋上の農林・水産業)の展開、洋上太陽光発電・太陽熱発電等の諸課題の解決・完遂させるための国際的な社会資本の有効活用、国際的公共事業、温暖化防止環境対策課題等の総合的な解決の方策として、循環型資源活用等、多岐に渡る海洋開発発展をめざし、その舞台の創生にむけて、長期計画を立案し、諸制度を確立を早急に検討し、実現可能性計画等を国際協力を旗印に掲げ、全国民の参加を促進させ、世界の人々に、広報し、日本国民総力を挙げて、早急に制度の策定を検討して頂きたいのである。

11.日本の未来を切り開き、行くべき道として、世界の人々とともに、仲良く、明るい希望のある平和な世界の創生をめざす方向性を備えたものであるべきである。 


人気ブログランキングへ

人気ブログランキングへ

Saturday, July 11, 2009

法華経を多少なりに勉強した人は、この意味することを理解しているはずである。現公明党政権・創価学会は火事場にあるのだ。

仏教の精髄である法華経の中で、説かれる比喩的な表現の例えの中で、【火宅にある赤子】を如何に救い出すかについての知恵が説かれている。

1.この法華経を多少成りとも、勉強した人は、この意味することを理解しているはずである。

2.ましてや、創価学会の研鑽に於いてもである。 この法華経の大教義原則にも、背いているのが、悪しき権力に寄り添って、その傲慢性をも、覆い隠さずに、日本の国政を支配・采配して、主権者の困窮と叫び声にも、まったく、省みずに、腐った枯れかけた官僚制度に、寄りかかり、その政治・行政の能力を発揮できず、その無能力さを覆い隠し、与党政権に、蔓のように、巻付いて離れずに蔓延って、その権力誇示を続けて、自己の保身と延命のために、大事な国民のための政治政策を打ち立てず、野党政権の批判ばかりを繰り返す欺瞞と偽善の政治集団が、現在の公明党政権の正体である。

3.このように、現在の創価学会を主導する幹部およびそれに繋がる公明党を主導して、形成する党幹部の人達は、この【火宅の赤子】の例えにあるように、自分の周りで、生じている危急的な火事場を自らの誤謬によって、引き起こして、多くの汗を流し、涙を隠し、懸命に生きようとする善良な国民達を逃れることが極めて困難その火事場(経済的な困難)に突き落としながら、その火事場から、真っ先に、逃げ出して、自らのその行為について、社会的な正義を守ると偽りながら、自己保身と延命に、懸命なのである。を遂行し このような不実性の、偽善的な与党公明党を糾弾しなければならない理由とともに、その因果によって、多くの国民からの批判の声が燎原の火の如く、この日本の社会に、燃え広がっているのである。

4、この法華経の教えをも、まったく、無視した傲慢・不遜な存在になっているのである。

5.このような悪行による結果は、必ずや裁かれると法華経の大原則の大切な教えの中で、厳格に説かれている。

6.悪しき自民党と成り果てたその与党の権力支配に、日蓮大聖人が時の政権に対して、行った合理的批判ももたず、前面的に協力して、あくまでも、支援をする公明党の夜叉の如き欺瞞的な本性を賢い国民は、見抜いているのである。

7.この偽善的な集団に、政治的政権を委ねざる得ない現在の日本は、まさに、法華経の比喩にある大火事のど真ん中に置かされているのである。

8.この大きな火事場を、国民は、早急に、消し止めるために、国民の総力をあげて、その火事を引き起こした不逞のやからを、政治の舞台から引きずりだして、公正な断罪をしなければならないのである。

9.まさに、批判されるべき現在の自民・公明党与党政権政治の実態である。

10.主権者である国民は、必ずこれを、真の法華経で説かれた正義によって、断罪するのである。

11.その因果を御覧ぜよ。その舞台の大展開する日は、その悪しき欺瞞的な公明党集団が、逃れようとしても、すぐそこに、断罪の場面の大舞台が、目前に来ているのである。

12.一同お覚悟あれ。 
   
  元創価学会員より

 参考:Asyura 投稿: http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/1200.html


http://blog.with2.net/link.php?847650

人気ブログランキングへ

日本の政治経済政策としての海洋資源開発政策の柱と成る得るメタンハイドレートとは?海洋開発においても、官僚任せの無能力自公政権だ。

日本の政治経済政策としての海洋資源開発政策の柱と成る得るメタンハイドレートとは?

1.メタンハイドレート Wikipedia とは、  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88

参考リンク:日本もアラブやドバイのような資源大国になれるか!? 日本近海に眠るという新エネルギー「メタンハイドレート」とは?
   http://trend.gyao.jp/trivia/entry-251185.html

2.近未来のエネルギー資源として、日本の近海の海底に、無尽蔵に埋蔵が予見されるメタンハイドレートの技術開発には、日本政府の産業育成の指導力が問われなければならない。

3.これに関する産業技術の開発進展には、多大な研究の労力と時間を必要とされるが、現在の自公政権の産業政策には、そのための開発戦略計画を時代おくれで、既設的な制度や既得権益を擁護する官僚だけに重要な政治・政策を任せているだけで、海洋開発予算の配分においても、主導的、率先的な手腕を示さず、明確な方針を確立しようとする努力もなされていないのである。

4.その自公政権の政治政策の無能力さが、妨げになっているのである。

5.海洋基本法の制定後の海洋基本計画の策定は、一体どうなっているのか???。

6.政権が不安定で、海洋基本計画策定が一向に進展していないのである。

7.まったくあきれる無能力な自民・公明与党政権である。

8.現在の自公政権は、日本のイノベーション産業等の発展の足かせになっているのである。

9.官僚のみに頼る政治・政策を直ちに、止めよ。 そこにあるのは、時間と税金の無駄使いばかりの無策・無能である。


http://blog.with2.net/link.php?847650



人気ブログランキングへ人気ブログランキングへ

Friday, July 10, 2009

日中友好に大活躍する笹川陽平氏の真摯な活動について:中国人民網インターネット放送招待出演される。

日中友好に大活躍する笹川陽平氏の真摯な活動について:中国人民網インターネット放送に招待出演される。 

 笹川陽平氏の活動について、是非、多くの皆さんに、この人の確信をもった活動の人生の努力を見て頂きたいと存じます。

  笹川陽平氏の中国における真摯な活動について、確信をもった見解を中国国民に遠慮することなしで、アピールされている。 これこそ民間外交の本髄的で、最大的な特徴である。 政府外交では、不可能なことであり、日本の外交戦略においても、大事で゙、重要な外交的な方策のひとつであると考えます。 このような民間外交の手腕と実力を持つ人は数少ないのである。
  

 以下に、中国人民網日本語版・インターネット放送出演に招待されて、出演の放送ビデオ等関係の紹介をいたします。

   (2009年6月9日 招待出演放送)

 

【注】  

 中国の人民網は、かたぐるしい権威で、かたぐるしい中国政府機関誌の人民日報とは、異なり、インターネット放送で、中国国内で、3億人の視聴者があり、そのうち1億人がアクセスするとのことです。
 
 このインターネット放送の利用を通じて、日中間両方向の相互においで、意見交換等のアクセスできる様になったら、種々の相互交流・理解等の議論ができて、友好を拡大させていくことが可能になる日も近いであろう。

 日本語と中国語の両方が、視聴が可能です。

 
【以下出展リンク】
        
      1:笹川陽平氏 動画単独インタビュウを含む 
              
           http://j.people.com.cn/6675265.html
           
           http://j.people.com.cn/94475/6672836.html
               
           http://j.people.com.cn/94475/6672898.html
                
           http://j.people.com.cn/94478/96695/6673368.html


        2:笹川陽平ブログ 
            
           http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/1980
                                                          
       
        3:人民網日本株式会社 : 中日経済情報週刊 の案内
         
           http://j.people.com.cn/6621084.html
             
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー                    
【追記】 私の見解

 日本と中国の間で、初めて、インターネットの回線で、日中両国の人々に、同時期に、放送が公開さrれたことに、笹川陽平氏の中国に対する長い間の活動の努力の積み上げの結果であろう。
 
 このことは、日中の友好を進めてきた笹川氏の努力の賜物を証明するものである。

 長生きをして、世界の平和の創生の舞台創りに活躍されることを祈ります。

 笹川陽平氏の実兄の笹川尭氏(現在 自民党総務会長)とは、まったく異なるキャラクターを有しているようである。

 今後、 このインターネット放送の利用を通じて、日中間両方向の相互においで、意見交換等のアクセスできる様になったら、種々の相互交流の議論ができて、友好を拡大させていくことが可能になる日 も近いで あろう。


 平和な世界をつくろうとすれば、相互の対話が、絶えることがないように相互に努力が求められるのである。

 

【参考リンク】: 
  
  中国人民網インターネット :   http://j.people.com.cn/

   無料登録ができるようです。 日本語なので、中国のニュースも解かります。
        
   ( ただし、政府系の情報の操作には、気をつけて、各自で判断をする必要があると思います。)



【参考リンク】 
 
Asyura 私の投稿リンク : http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/1153.html


http://blog.with2.net/link.php?847650
人気ブログランキングへ    

Thursday, July 9, 2009

悪しき権力行使により天地・主客が逆転になった世の仕組みを国民の総力で、秩序・調和の溢れる日本に取り戻そう

悪しき権力行使により天地・主客が逆転になった世の仕組みを国民の総力で、秩序・調和の溢れる日本を取り戻そう。

1.国民は、現在の悪しき自民・公明党の政治・経済政策路線で、不当的な支配下に、遭遇している。

2.国民は、この状態から、逃れられずに、ますます困窮を増している。

3.本来、政治は、主権者の国民の総意によって、国政が、運営されるべきである。

4.その当然に、あるべきことが、逆転されていて、好き勝手で、し放題のこの自民・公明党政権は、親分気取りで、国民から何を批判されても、平気のへいざである。

5.まったく、あきれてしまうのである。

6.この主客逆転の政治権力を主権者の国民の手で、早急に取り戻さねば、権力支配の暴力的な力で、闇黒的な社会に、突き落されるだけである。

7.この偽善的な権力支配が、現在の日本で、行われているのである。

8.このような、悪性の政治状況は、日本においては、戦前の軍事政権の時代にしか、みあたらないのである。

9.この軍事政権時代においても、主客転倒であった。

10.日本の現在において、その時代と、そっくりな権力支配の状況が作られている。

11.この自民・公明党政権は、もはや、政治の舞台から、立ち去るべきであると国民が声を上げても、平気の平左のままである。

12.政治政権は、本来において、国民のものである。

13.主権者である国民をないがしろにするような政権は、国民の手によって、国民のもとに、取り返さなければならない。

14.自公政権は、早急に。国民の総意に従うべきである。

15、世の中の主客転倒をただし、悪しき権力行使の逆転支配の構造を許さずに、この日本社会から、追放させよう。

16.その魁が、目の先の都議選である。

17.国民が正義をもとめるならば、この悪しき政権を打ち倒そう。

18.いざ勝ち鬨を揚げて出陣だ。明るい安心のある社会をめざそう。

19.おさらば、さらばよ。悪しき自公政権。永久に、この日本から立ち去れよ。


【Asyura投稿】: http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/1050.html

http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/1050.html


http://blog.with2.net/link.php?847650

人気ブログランキングへ

希望のある人類社会の創生にむけて、大型浮体構造物の利用技術を開発促進し世界の発展をめざそう

希望のある人類社会の創生にむけて、大型浮体構造物の利用技術を開発促進し世界の農業・水産業・海洋開発産業等の新分野の産業を増やし、世界の人口増大に伴う食料生産や世界的な失業問題の解決のための雇用産業としての海洋開発の発展、地球温暖化防止の方策等、滝に渡る有力な産業に育て、世界的な政策・事業として、その発展をめざそう




[Photo]




 Harmony World . I would like to live in the harmoious world such as Paradise which we can feel kindly heart,with friendly people as goddes where live in Heaven or tropical island which are floated in the Ocean.
 
 I hope that kindly people can to catch such world,which are fulfilled with harmony heart. I would like to make up them from this real world,on the Floating Ocean Structure in the ocean surface.
 
I would like to make up those World such as Pradise or Heaven which were made by gods. I think that it is possible.
 
 If people want them rightly. If people can to love or help other pure people. Make up some modern noah's ark. Let make up them with kindly peaple the world such as Heaven in the ocean.

    matuoka yuuji  (松岡 雄二)

  ( Ocean Civil Engineer in japan. graduate Tokai Univecity in 1971 ) 

【1】 My googlegroup link no.1 : Let make up Noa's Ark
 
   http://groups.google.com/group/Let-make-up-noah-s-ark  


【上記【1】の提案書の抜粋;以下のとおり】

  《(注):この提案書は以前において、別名で公明党国会議員へ、10年程前と2年前に、2度に渡り、提案し宛てたものであった。》

 
Let make up modern Noah's ark.

大型海洋浮体構造物の利用についての提案
(海洋利用技術の発展と人類の未来のために)


 大型海洋浮体構造物の利用についての提案:(海洋利用技術の発展と人類の未来のために)1)

主目的

 近い将来の世界的な人口増加に備えて、またこの地球上に,広く存在する貧困が多くの人々を宿命的にしばりつけている状況から救い出すために,この有限な地球上で,大きな面積を有する海面上を利用した食料資源等の増産対策方法の開発並びに,海面を利用した太陽エネルギーを活用した新しい分野の産業の開発及び、種種の機能,方途を持たせて,各種の基地として,活用させて、人類社会の事象に貢献させ,合わせて国際的な協同作業により,協調のとれた平和な社会の世界を築き上げ,促進させることを主目的とする。

A①

 人類社会の将来に予想されている人口の増大に対処すべき方策として,食料増産問題の解決策として,海上に浮かば せた大型の浮体構造物で、食料用の植物類,家畜類等を大量生産する。

A②

 食料不足による民族間等の紛争を抑制し,防止することにより平安を創生する。

A③

 この事業を推進し,世界各地に生存している貧困な人々や難民等の生活の手段として,継続的仕事を提供し,雇用創出し,安定した社会構造を築くものとする。




 大型浮体海洋構造物を利用して,海洋上の海水面に作用するの太陽エネルギーの有効利用に関して、海面上のあらゆる水域での活用について、実施検討し、実現可能性を探求し,技術の研究開発を確立させて,有効利用を図り、社会に貢献し人類の福祉の向上に役立たせるものとする。

B①

 浮体上に設置した太陽光発電装置,太陽熱発電装置による電気分解で,水素ガスの大量生産を実施する。

 水素ガスは自動車等の燃料として活用できる。ガソリンの代替燃料となる。

B②

 浮体上で生産したトウモロコシ等の発酵によるエタノールの大量生産を実施する。
 エタノールは自動車等の燃料として活用できる。ガソリンの代替燃料となる。


 
 浮体に海水淡水化装置を設置し、大規模,長距離のパイプラインを敷設して,陸上の乾燥地帯,砂漠地帯,あるいは,水源の乏しい内陸地帯での農業用の灌漑用水,工業用水として利用する。



 各種活動の基地としての活用。

E①

 緊急時の災害・救難ヘリコプター等のヘリポート基地として,活用する。

E②

 国際的な緊急事態に処するための支援活動の基地としての活用の体制を確立する。

E③

 国際紛争における難民の一時的な住居の提供のための基地として、活用する。

E④
 
 緊急時の食料不足等に対処する食料の生産基地,貯蔵基地として,活用する。

E⑤

 海底鉱物資源の開発基地 :浮体構造物で実施可能

 海底鉱物資源の開発については、深海(約3000m程度)から鉱物資源を引き上げる方法を別途、検討研究する必要がある。


 
2)波及効果

 以上の施策の実行により,以下のような波及効果が生じるものとなるであろう。

1.
 
 世界的に,青年、若人等の失業が広がろうとしている情勢に対して,各国家もその失業対策の方途として,新しい事業分野を確立できない様相の中で,世界中の若人に、未来の夢を与え,世界中に活力をもたらす事業分野となる可能性が十分にある。

 これらの関連の事業を,世界の各方面で,実施するならば,雇用の新分野の開発や拡大が世界的にもたらせられる可能性が生じる。

 若人,青年等から、中高年齢までも含めたの各世代の人々,並びに多方面にわたる各種関連分野の技術者、研究者,経験技能者等の雇用の拡大につながる。 海洋開発を推進することにより、世界に広がる失業対策としての新事業としての雇用の拡大の発展・開拓につながるのである。

2.
 
 国内の公共事業による景気対策の考え方を上記のような国際的な協力事業の施策に変換し、国際協力を旗じるしにして、その事業を推進し、拡大させることで、世界各国での景気対策,雇用対策,失業対策としても,大きな効果が引き出される可能性が十分にある。

(注)
 
 日本の近年の経済政策において,〝日本国内での公共土木事業の効果として,特に,道路事業関連の投資する事業費額に対して、失業対策、雇用対策,景気対策,公共の社会資本の整備等の価値としての経済的な投資効果が過去の事績に比べて,少なくなっている〝と社会の一部からの評論が大きく論述なされていて,政府の政策に,そのような考えに基づくように,社会資本投資,道路事業等の公共事業費の削減が,年々なされてきている。しかし私は,このような考え方には,組しない。これには,複雑な背景があるものと思われるが,詳細な論述は後述において述べるものとする。

 公共土木事業という概念のなかで、その理念の根本の第一には,”公共,市民の福祉の向上”を目的としたものであり,元来において,明治時代の文明開化期に,欧米から学び,取り入れ,その時代の社会,国家を築き上げた先達の労苦のもとで,日本の近代国家の骨格をかたち作るための大切で,重用な国家的な事業の遂行の方策手段として,有効で,価値のあるものであり,理念の高いものから生まれている。
 
 欧米の諸国では,〃シビルエンジニアリング〃と呼称されているものであり,〃シビル〃とは,市民を意味している。
 すなわち、市民を対象にした,市民よる、市民の福祉の向上のための,エンジニアリングである。
しかしながら,近年において,公共の土木事業にたずさわり,社会的にも,重要な職責のある一部の人々により,引き起こされている社会を裏切るような行為,すなわち入札談合,入札価格の漏洩等が政府の機関の中ので公然として,なされていて,時々,ニュース等で,汚職事件等として、摘発されていることを耳にする。
 しかも,そのような人々の履歴は、その機関の幹部であり,その機関のいわゆる”OB”と呼ばれる人々の罪の意識のない行為であり,既得権力構造を担う重責のある一部人々の無責任な行為であり,国家から何10億,何100億円を盗むに等しい私腹を肥やす税金泥棒に他ならないし、反社会的で罪の重いものである。これらの現象が若人に与える影響も大きなものがある。

 このことは,正に,現在の官僚組織及び政府機関が有している病理現象であることに他ならない。
 このような事態になっているのは,一体、どこの,誰が,どこで,どのように,責任をとって,国家的な事業の遂行がなされているのが不思議に思うぐらいである。
 
 公明党も政権に参加して,久しい。正に政府の管理する機関の職責は重大である。しかし,多分,そのような重責にもかかわらず、責任を担う国会議員の人々の認識は,薄いとおもはざるを得ない。
 
 昔日なら,クーデターが引き起こされてもおかしくない近年の有り様である。 しかしながら,幸なことか,不幸かは、判別できかねるがクーデターを起こすような気骨のある前途ある青年を生み出すような社会状況には,なっていない。このことは,皮肉ながらも,幸なことである。 暴力による社会変革には、大反対である。
 
 道路公団という行政の組織体が,社会資本の整備を目的とした高速道路建設の事業において,高度成長時代の端緒をなし,重責を担って来た。今日まで,実績のある行政組織が,いよいよと民営化がなされる事になった。 このことは,土木関係を歩んできたものにとっては,非常にさびしいもので,感慨深いものがある。
 
 しかしながら,このことは,時代の衰勢であり、新しい時代に沿う行政組織の改変であり,組織固有のライフサイクルのひとつに過ぎない。
 
 新しい時代を迎えるには,新しい意気ぶきをもった若い人々の積極的な参加が必要である。
将来に対する責任感と世界観を育むための舞台が若人には,不可欠である。

 これからの時代を担い,そのような舞台を提供できる要素が無限といってよいぐらい大きな可能性を秘めているのが,所謂 海洋開発の事業であり,国際協力事業である。これらは,人類の将来の保全と安寧を呼び起こし、築き上げるための基になるフロンテイアとなり,21世紀,今後の100年間,数100年間にわたる人類の今までにない大事業である。
 
 未知なる海洋文化の創生、これには,正しい理念と哲学あるいは,あらゆる人々の叡智と,困難を切り開く,正念,根性、勇気、正義感が必要である。

3.

 国際間の紛争をなくし、国際的な共通課題の解決に向けて、協同作業,協同活動を実施することで,国際協力の訓練の場,教育の現場として、最適な環境をを提供することになり、真の国際的な相互理解を促進させ,経済的,福祉的に安寧な世界,並びに平穏な国際社会を築き上げ,獲得することが可能となり,国際間の平和的な関係の構築の基となり,源泉となる得るのである。

4.
 
 海洋利用のための最先端技術等の開発を促進させ,海洋の利用の方途を開拓し,新しい技術開発,学問分野の拡大を促進させて,人類社会の福祉の向上に,役立たせるものとなる。

 
3)活動の舞台

 利用する海洋及び沿岸の諸国家ならびに非沿岸内陸の諸国家
 
   太平洋北部域、中部域、南部域
 
   インド洋
 
 
   大西洋
 
 
   その他の海洋
     北極海,南氷洋,東シナ海,日本海,地中海,他
 
  等の海面を利用して、その有効利用の方法を開発する。

(注)

海洋の全面積361128×1000k㎡. 陸地の全面積148,822k㎡であり、
海洋は地球の全面積の70%を覆っている。 未利用名な領域の海洋資源の有効活用による人類社会への貢献を計る。

参考;(注1:海洋学通論による。)

(注)

 海洋に接する国(領海を有する)、あるいは内陸国で海洋のない諸国の中で、海洋水面と接していない国々についても海洋水面での利用の権利は,人類の共生を考えるならばその使用について権利を有するものとし,参加の制限をしないものとする。

(注)

現在の国際海洋法での、公海及び領海について、その利用の制限を見直す必要がある。
新しい概念の国際的な海洋利用の法制度の検討が必要になる。

4)

 現状,背景

 (1)

   アフリカ諸国
   インド
   中国
   モンゴル
   ロシア
   その他等諸国
 
 これらの諸国では,食料供給量(生産量)と人口の増大において、将来において,食料生産の需給バランスが取れなくなるであろうと予測される。

 特に気候条件が悪く,水源地が少なく、水温の低い地域のや年間降雨量が少ない国々、あるいは農業技術,灌漑施設の造成事業の遅れている国、あるいは、農業開発費の資金のない国々での人口の増大についても考慮していかなければならない課題である。

(2)

 特に開発途上国においては、人口増加に,対して、食物生産量が間に合わなくなると予測される。

(3)
 
 そして、人口増大の制限に関して、既に実施している国、あるいはこれから、実施しようとしている国も予見される。(4)

 現在の食料実情において、欧米諸国の一部の裕福な国々を除いて、現在の日本の食料実情の様に、他国から輸入する諸国が、世界の大半以上を占めている事は、現実であり、世界的に将来に対する食料不足の不安感が存在する。

(5)

 歴史を眺めて見れば、将来において、如何なる場所で、世界のどこかで、あるいは世界的な気候変動により、大規模な食料不足による飢饉が起こる可能性はゼロではない。

(6)
 
 現在においても、世界の諸国のなかで、食料に関して,十分に充足していない地域があリ,貧困で,困窮する多くの人々が生存している。 この様な世界的な実情を深く考慮するならば、世界的な農業政策、として陸地での、農地の新開発及び海洋水面上での農林畜産の食料の生産は、避けて通れない大きな課題である。

(7)
 
 人口の増減については、食料生産量の多少により、人類自身が人口の制限することが一部の国でおこなわれているが,不幸な事である。
 
 人類には,太古から,現在まで、地球上で、生命を継続してきた事による知恵を備えて持っている。 来るべき時代に促して新しい知恵と創意工夫で,国際社会の発展と生活の基盤の向上をさせなければならない。

(8)

 時の、日蓮大聖人は、天地から受けた食料飢饉において、人々の生命が失なわれて,なくなった人々を海岸にうち捨てるような処置を平然と行う状況に対するする時の政権の処置,人事に対して,あるいは人間社会の有り方として、非常に嘆き悲しまれた。 

 このことが日蓮大聖人の哲学の始りであり、立正安国論の基になった。
 それ程、人命は大事で、貴重で、唯一の尊厳そのものである。その生命を保持するためのものは食料である。

(9)

 キリストの教えの中でも、隣人を愛しなさい。と言い伝えられている。 わずかなパンという食料を等分し、生活を共にするという,喩えのとおり心的な協同の教えの大切さは国境を越えて,人間社会の助け合いの基本となっている。
 
 近代化の中で、上記の隣人については、現代においては,国際的な関係、世界的な広域な関係になっている。

(10)
 
 日本人の特性として持ち合わせている,古くから続く,農業に対する創意工夫の努力の姿勢と近代的な科学技術での新しい創意工夫を合わせて,新しいフロンテイアである海洋という未知で,大きな自然の舞台と多民族を相手として,食料の生産という目的で,積極的に事業と行動を共同で,実践し進めて、国際的な活動の場,舞台の中で,国際社会の一員としての日本人の役割を果たし,国際社会の人々の福祉の向上をめざし,実践する活動を経ながら,日本人としてのアイデンテイテイ,を打ち立て,築き上げる道筋をつけることを,一つの目的とする。それらを実践することは,引いては国際社会からの信頼を勝ち取る大きな道筋に通ずるものと確信できる。

 このことで,日本人が国際人としての自信につながり,さらに,新しい舞台に立つことができる様になる。 また,この中で,新しい技術の開発による成果も合わせて勝ち取る事になるであろう。 これは,人類の福祉の向上に結び,新しい文化を出現させる可能性も含んで,秘めている。

(11)
 
 地球に対する太陽の活動による光線,熱量の放射の影響は,比較的に定常的であるが,気候的な影響に対するそれらの効果は,各地域上で,年々様々な現象を生じさせていて,人類社会生活の各方面に,毎年毎に恒常的に,多大なな影響を与えている。北半球だけでも,毎年,熱帯低気圧,台風を数十個ほどを発生させる要因となっている。
 
 現代において,人類は、太陽の活動による影響は定常的ではなく,短期的にも,長期的にも,周期的に変動している事を,経験的に,あるいは観測データ-等で理解している。 太陽のフレアー(黒点)の活動も,毎年,様々である。

 農業は,太陽からの光線、熱線等の自然の恵みを巧みに利用して成り立っている。,人類にとって,農業は,長い歴史の中で,何千年も前から,営まれて,築き上げられててきた大事な事業であり、文明の発生の主要因となっている。太陽活動によっては、地球上に飢饉や干害等をもたらす事もあったのであろう。 人類はそれらの困難をも乗り越えて,現代に
 
ーーーーーーーー【以下続く】。

【抜粋は終わり】


【参考リンク】

【1】Asyura 投稿:http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/1079.html


【2】 MY googlegroup link no.2 :

       太平洋横断架橋を創ろう
 http://groups.google.co.jp/group/pacific-oceanbridge?hl=ja

人気ブログランキングへ

人気ブログランキングへ

Wednesday, July 8, 2009

【植草一秀さんを冤罪から救うのは、私たち一人ひとりの支援である。】

 
民主党の中井浩氏と民主党幹事長岡田克也氏に、 私(matuoka yuuji)から 下記の内容の 

 【植草一秀さんを冤罪から救うのは、私たち一人ひとりの支援である。】

の題目の Mail 

 【Ⅰ】、【Ⅱ】 のメールを それぞれ両者個別に、届けたく思い、送付致しました。

 これを公表し、植草氏の正義の主張について、両者からの返事なり、見解を、見てみたいと思っています。 次期政権においても、正義、不正義の断罪について、非常に最重要で、大事なことと判断しているからです。 そして、たった一人で、闘争して、正義を主張する植草氏を見殺しにして、それを救うことができなければ、多くの国民も、同様にな状況に、追い込まれると判断するからである。 植草氏一人だけの問題ではないと判断したからである。 国民の主権と人権にかかわることであると判断したからである。

 両者とも多忙であるので、果たして、この Mail を読んで、頂けるかは不明です。

しかし、このMail を 公的に、公表することによって、何とか、私の意向および国民の声が、為政者に伝わるのではないかと、大きな期待を持って、待つことにしています。

 果たして、両者が、一国民の要望に耳を傾けてくれかが、判明されるでしょう。

 私は、民主党のサポーターですが、この結果で、最終的に、支援の政党を選ぶ判断をしたいと考えています。

 私の期待はずれに、終わってしまうかもしれません。 神のみが、存じることかもしれません。

 両者から回答が。あれば、それを Asyura で公表するつもりでおります。

 その動機は、正義を掲げて、逆に、闇黒の世界に突き落とされた極限的な窮極にある植草氏に少しでも助けたいがためです。

 良い結果が生まれることを、切にお祈り致します。 皆さんも声を上げて、支援して下さい。

 このような悲しいことが、起こらないで、安心して暮らせる政治が正に必要なのである。

 政治が。国民から問われているのである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【Ⅰ】のメール:以下のとおり

拝啓 岡田克也様

 民主党サポーター from matuoka yuuji 2009.7.7 あえて、挨拶を省きます。

岡田様、現在において、困窮する国民が、何を政治にを求めているのかについて、それを、つかめたのでしょうか?

 全国に、政治活動を休むまもなく飛び回り、党務を手堅く、こなし。ひろく、国民と接触し、握手をして、ご多忙でありましょう。

 しかし、会った人の数を貴重なHP上で、表明するよりも、もっと大事なことがあると私は、考えます。

あった人の数より、会った人の声を、拾い上げて、そのHPで、国民がどのように、生活、政治・経済等に関して、考えて、望んでいるかについて、岡田氏のそれに対する反応が読み取れません。 高価なHPをしようしている中において、それが’あなた自身の思考が、まったく、解かりにくいのです。 自分の心を打ち明けることに、慎重になりすぎていて、伝わるものがないのです。 政治家として、真面目で、一生懸命であることは、ある程度伝えてはくれます。

 しかし、そこに、国民との共感や心のつながりがまったく見えません。 そこには、共感のしようがないのです。

政治の原点は、人々の声を、かみしめて、共感を同有し、ともに、考え、なやみながら、政治のあるべき姿。政治や社会の正義の確立を追求することではないでしょうか? こころの内をしめしてこそ、そこに、反感や共感が、生れるのではないでしょうか。

 いままでも、数度、私のかってながら、私からメールを遅らせていただきましたが、それに対する反応がまったくないのです。
 
HPのこのようでは、単に、反感をもたれるように、なるおそれがあるとおもいます。

 政治家は、元来、自分の政治信念を、一方的に、表明する以前に、両方向の会話なりの双方向性がなければ、そして、国民との一体感がなければ、国民はその政治家に対して。共感など、できないのです。 これは、日常の社会生活においても、同じことです。

 厳しい指摘を表明しましたが、今後の政治活動において、このことを生かすように、老婆心ながら、期待をこめて。、あえて、申し送りました。
 
 要するに、国民の共感がなければ、政治や国民は、うごかないのです。

 以下に、国民が、何をもとめているかの参考として、ある人の投稿を紹介いたします。

現在の国家運営を憂いている人がたくさんいます。政治家以上の信念を持つ人は、数え切れないでしょう。

 その人たちの生き様に、果たして、共感できるのでしょうか?

 私は、それを、見てみたいのです、政治家の精魂や本音を見てみたいのです。

 以下に紹介いたします。
       
    参考リンク①   http://asyura2.com/09/senkyo66/msg/411.html

              :くまのプさんのAsyura投稿です。

     私のブログ②   http://matuoka1248.blogspot.com/
             
              ;matuoka yuuji のAsyura投稿です


以上 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【Ⅱ】のメール:以下のとおり

 拝啓 中井浩 様  ご多忙のところ、大変し失礼をいたします。

 民主党サポーター matuoka yuuji の web 闘争 ;植草氏への応援 Asyura投稿記事を紹介いたします。

忙しいことは、重々理解しておりますが、その間に、この植草氏の現政治権力支配者に対する主張には、十分に理がかなうところが、あると私は判断しております。、この本当に、勇気のある主張を展開している人は、現在の日本では、この植草氏と天木氏において、見当たらないとおもっています。 どうかこの植草氏を応援・支援をしていくように努力して頂きたく存じます

この件は、多くの国民に、非常な関心が、そそがれている案件ですので、政権を奪取した暁には、最大限のその究明を展開して頂きたく存じます。 

植草氏は、現権力者側の妨害的な、圧力により、冤罪といえるような処分がなされています。 その中での彼の言論闘争におけるその姿勢はりっぱなものである誰もができるようなものではありません。と私は判断いたしております。
 
 政権を与党自民・公明党から、勝ち取った暁に、何よりもまして、政治に国民からの信頼を獲得することが必要です。

その信頼を得る方法の要件は、政治・司法において、社会的不正義を正すことであることが、何よりも重要で、大事なことだと思います。

国民が汗と涙で、積み上げてきたの日本の経済的な国富を先の竹中小泉政権自民・公明党が台無しにして、破壊してしまったからである。と国民は判断しています、その政治不信に対して、現在の政治・行政・司法が十全に対応の処置がなされていないのです。

 この現与党政権の偽善性を国民の前で、合法的に、裁くことが必要となっているのです。

このことを次期政権が、避けたならば、現与党政権。自民・公明党と同様に、国民から、糾弾されてしまうでしょう。 それほど重要な案件であると私は判断いたしております。

 どうか、検討をお願い致します。

 【追記】:前原氏、野田氏の支援の投稿を7月7日に開始いたしました。

 以下私の投稿です。

  ①  http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/959.html

  ②  http://matuoka1248.blogspot.com/


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 以上が【1】、【Ⅱ】のメールです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 参考リンク① については、
  
 次のAsyura投稿記事出展引用です:

 【植草一秀さんを冤罪から救うのは、私たち一人ひとりの支援である。】のAsyura 投稿者 クマのプーさん の投稿を引用させて頂きました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下引用開始ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK66 > 411.html  
次へ 前へ
植草一秀さんを冤罪から救うのは、私たち一人ひとりの支援である。(Aobadai Life)
http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/411.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 6 月 28 日 12:50:00: twUjz/PjYItws

(回答先: 皆様の温かなご支援に感謝申し上げます (植草一秀の『知られざる真実』) 投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 6 月 28 日 12:41:28)

  http://ameblo.jp/aobadai0301/entry-10288973982.html
   2009年06月28日(日) 05時43分55秒
  植草一秀さんを冤罪から救うのは、私たち一人ひとりの支援である。

 「人として生まれた貴重な時間をどう充実させるか。

 それが人生の課題だ。

 不条理や理不尽を与えられることもある。

 その困難、試練を乗り越える原動力は愛の力だと思う。

 『愛を知ること』が生きることの素晴らしさだと感じた。

 心と心は時空を超えてつながる。

 それを感じることができるなら、いかなる困難も克服できると思う。

 苦難を克服し、信念を守って生きてゆきたい。

 発言を続けることは危険を伴う。

 しかし、人はパンのために生きる存在ではない。

 いかなる妨害があろうとも屈服せず、

 勇気をもって今後も発言を続ける覚悟だ」

(『知られざる真実-勾留地にて-』(植草一秀著より))


小泉政権下における卑劣な政治弾圧事件のひとつである

植草一秀さんのチカン冤罪事件が、最高裁で上告棄却された。

これにより、植草氏は懲役四か月の実刑が確定し、収監されることになる。


植草さんの一連のチカン冤罪事件の詳細については、

ご本人の著書をはじめ、インターネットの無数の支援サイト、

そして識者の方々が、汚名を晴らすために情報発信されているので、

ここでは私は繰り返されないが、

要は、小泉・竹中政権の経済政策を徹底的に批判し、

また、りそな銀行の国有化をめぐる自民党のインサイダー取引を

メディアで告発したため、

国家権力にチカンをでっちあげられてつぶされたのだ。

また二回目の事件に関しても、竹中平蔵氏が内閣を去るにあたって、

かつて、亀井静香氏らが財政金融担当大臣の候補として

担ぎ出そうとしていたこともある植草一秀氏を、

完全に社会的に抹殺することによって、

その後の復活の芽を完全につぶしたというのが背景である。


もう、賢明な国民は、

この国の警察、検察、そして裁判所にいたるまで、

いかに不公正な動きをし、政治権力に加担して動き、

中立性も、公平性なんてものも何もなく、

いまや、ロシアや、イラン、中国とたいして変わらないような

政権側よりの権力構造になってしまっているか、ということを知っている。


だから、総選挙を目前に控えたこのタイミングで、

「政権交代」に向けたもっともすぐれたオピニオンリーダーであり、

カリスマでもあった植草一秀氏の収監を実行に移すことは、

インターネット上や、著作活動での情報発信に対して、

政権側が危惧を感じ、植草一秀氏の「身体の自由」を三度、奪ったのだろう。


しかし、それにしても、政治弾圧が目的であるとはいえ、

でっちあげた容疑が、相手の身体にさわったということだけで、

五か月近くも勾留をされ、今度は懲役四か月と。

いかに、この国の司法さえも、無茶苦茶で、

もはやまともに機能しなくなっているかということがわかる。


司法といえば、日本で一番有名な現役弁護士は、

「行列のできる法律相談事務所」のレギュラーである北村弁護士だが、

彼は、あいかわらず、日曜日の「サンデーNEXT」で、

感情をむき出しにして、ヒステリックなまでに、

麻生擁護論を一方的に騒ぎ続けている。

そんな彼を、「賢者」であるように扱っているのがテレビ界の現状である。

結局、われわれの国の司法の現状なんて、

その程度にしか見られていないし、その程度であることが現実なんだろう。


さて、植草さんへの支援の輪が、

なかなか広がりを見せているようで、見せていない点で、

その一番のネックとしては、

今回謀略にはめられた案件が、チカン冤罪であるということだ。


つまり、チカン事件自体は、そもそもナイーブな事件であるから、

今回、植草さんが冤罪をでっちあげられた事件においても、

一応、「被害者」を演じているはずの女性がいて、

だからこそ、その存在が、人権問題上、批判をすることができなくなっているのだ。


政治家も、正面をきって植草さんの支援を表明しようものなら、

「被害者の心の傷をあなたはどう考えるのか?」

と、マスコミの猛バッシングにあう。

これはある程度名の知れた評論家に関しても同じ事情だ。


だから、副島隆彦氏のように、高名な評論家が、

真正面から支援を表明することは、

本来、ものすごく勇気のいることである。


おそらく、植草さんをチカン冤罪ではめた背景には、

このあたりの計算もあって、こういう事件のストーリーを仕立てたのだろう。


「売国者たちの末路」 では、

何もチカン冤罪は、政治弾圧のために使われる常套手段だけではなくて、

一般企業においても、役員陣の権力闘争で、相手をつぶすためには、

チカン冤罪をでっちあげておけば、社会的に抹殺することが簡単にできて、

それが普通に行われている現状について書かれていた。

その背景にあるのは、「それでもボクはやっていない」(周防正行監督)

で取り上げられていた起訴有罪率99%以上という、

司法の壊滅的な、無機能状態である。


じゃあ、こうして考えていくと、

誰がいったい植草さんのことを守ることができるかというと、

私たち一般国民である。インターネットの力である。


政治家や、評論家のように、

社会とのかかわりにおいて、直接利害関係をもってしまった人ではなく、

私たちのように、何ら利害関係もなく、


「正しいことは正しい。間違っていることは間違っている」


と、ちゃんと自分の頭で考えて、判断のできる一般国民が、

植草さんのような、日本国のために尽くして、

しかしながら、政治的陰謀によって、つぶされる人々を救うしかない。


だから、「サイレントマジョリティー」ではダメで、

私たち一般国民が、もっと声を上げていくしかないのである。


これも「売国者たちの末路」に書かれていたエピソードであるが、

植草さんは最近まで外出を控えていたそうである。

つまり、また事件に巻き込まれるんじゃないか、

という恐怖で外出ができなくなってしまっていたのである。


ここまで追い詰められた思いでありながらも、

しかし、彼は日本国のことを真剣に憂い、

インターネットや、著書で、真実を国民に訴えつづけてくれていた。


二回目のチカン冤罪に巻き込まれた時、

植草さんは駅事務所で自殺未遂を起こしている。

---

私は事務室の椅子に座った。

このままでは自分が犯人にされる。

警察では真実が真実として扱われない。

必ず悲惨なことが起こる。

以前の事件の経緯から、

私はとんでもない惨事が私と家族を襲いつつあることを知った。

あの二の舞だけは絶対に避けなければならない。

そのためには、この場で私が命を断ち、すべてを遮断するしかない。

命を断つとすればそのタイミングはいましかない。

と、とっさに判断し、

駅員が外側を向いて私に背を向けているすきに、

ネクタイをはずして、

そのネクタイで自分の首を絞めて自殺を図った。


私は家族のためにはいつでも命を投げ出す覚悟を持って生きてきた。

首を締める瞬間、恐怖心はあったが、

これが自分の生き方だと思い決行した。

だが、その途中で駅員に気付かれ、力づくで阻止された。

この自殺未遂で私の両眼は激しく充血し、

治るのに一か月ほどの時間がかかった。

---


私たち一般人は、

普段、たいして何にも気づくことなく暮らしている。


しかし、世の中の先頭の立つ人、頭が良すぎる人ほど、

ある面、孤独な部分があって、

一般の人には見えない「多くの真実」を、

その知性や、知識、感性の鋭さから知ってしまう。


そして、心のきれいな人ほど、

なんとか自分が知ったたいへんな真実を世の中に訴えようとして、

葛藤し、悩み、苦しむのである。


ただ、そのレベルに追いついている人は少数だから、

なかなか自分の考えのレベルに一般の人が

追いついてこれないことに、孤独を感じるのである。


おそらく、民主党の小沢前代表も、同じ孤独を抱えているこだろう。

日本国の民度の低さ、政治のレベルの低さに、

何度も絶望をしてきたことだろう。


しかし、それでも、

「かくすれば かくなることと 知りながら やむにやまれぬ大和魂」

なのである。


日本が好きだから、人間が好きだから、家族が好きだから、

なんとか少しでも社会が良くなるように、

自分の力を、世の中のために役立てようとするのだと思う。


私たちは、植草一秀さんの事件を通して、

この国の「姿」というものを、ちゃんと考えなければいけないと思う。

また自分自身のことも考えなければいけないと思う。


勇気をもって、命がけで、

この国のために尽くしてくれている愛国者に対して、

私たちは、なんて無力で、そして何もできていないことか。


こうして理不尽な形で、植草さんが総選挙前に

また刑務所に入れられていしまうという事実があっても、

私たちは何もすることができない。


いや。。本当に、何もできないのだろうか。

できることはたくさんあるはずだ。

それを、私たち一人ひとりが自分の頭で考えて、

実行に移していくことが大切だと思う。


それは、

まずは、植草一秀さんが命がけで訴えてきた

「政権交代」を実現するために、

その力のひとつに自分がなることだと思うし、


一人でも多くの人に、植草事件の真実を口コミで伝えていくことかもしれないし、


政権の手先として、機能停止した最高裁判所に、

次の国民審査で、×をつけて落選させていく力になることかもしれないし、


植草さん資金面で援助するということを考えて、

天木直人氏との動画や、植草さんの著書を購入することかもしれないし、


もし、学生であれば、

法律の勉強をしっかりして、この国の腐りきった司法を、

いずれ変えていってほしいと思うし、


役所やマスコミや、検察の中にも、

植草さんの事件に対して、一人の人間として、

良心の葛藤を抱えている人はたくさんいることと思うし、


つまりは、日本という国を良くするために、

私たち一人一人が、自分に今できることは何かを考えて実行していくことだと思うのだ。


さて、私は最近の日本の政治や、社会の様子を見ながら、

まさに幕末そのもので、

植草さんの事件をはじめ、一連の国策捜査も、

「安政の大獄」とだぶって見えてしかたがない。


太平洋戦争の時にも、無謀な戦争や、軍部の横暴を批判した言論人は、

みな憲兵に連れて行かれたものである。


いつの時代も、優秀な指導者や、学者ほど、

時の権力に危険視されて、理不尽なかたちで葬られようとするものだ。


しかし、いずれ正義は証明される。


安政の大獄で、処刑された吉田松陰はこのように書いている。


「末の世において道義を実践したならば、
 必ずその時の人々から、
 極端だといわれるであろう。
 もしまた、世人から極端だと
 いわれるくらいでなければ、
 決して道義ではないのであって、
 すなわち世俗に同調し
 濁った世に迎合したものにすぎない」


私は吉田松陰の生き様と、植草一秀さんの生き様が、

最近、まったくだぶって見える。


植草一秀さんは、ネットや、著書を通じて、

明日の日本を救っていくべき人材を育て、


そして、「末の世」において、道義を実践しようとしているのだ。


植草さんを救う原動力は、私たちひとりひとりの行動にかかっている。


--

裁判所がどのような判断を示そうとも、真実はただ一つである。

私は嘘を言わない。私は天に誓って無実潔白である。したがって、心には一点の曇りもない。このような不当判決に遭遇して、怒りは沸騰するが、これが残念ながら日本の現状である。

幸い、多くの皆様が真実を見つめ、私の発する真実の声に真摯(しんし)に耳を傾けて下さっている。私を信じ、私の無実を確信して下さる方が多数存在する。

この皆様方の心を支えとして、私は自信を持って、今後も進んで参りたいと思う。

日本の命運を決する総選挙に向けて、微力ではあるが私もネットから全身全霊を込めて情報を発信している。そのタイミングでこのような不当判決が下されたことに対して、大変強い憤りを感じるが、いかなる弾圧に直面しても、節を屈せず、微力ながら一歩ずつ前進して参りたいと考えている。


多くの心ある人々の力を結集して、政権交代をあらゆる障害を乗り越えて達成しなくてはならないと考えている。

日本の警察・検察・司法制度の前近代性除去は、政権交代後の新政府の最重要課題のひとつになる。


なにとぞ、今後とも温かいご支援とご指導を賜りますよう心よりお願い申し上げます。

--

(植草一秀ブログ「知られざる真実」)

 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上引用終わり
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私のブログ②については ;私のAsyura投稿

【植草さん、了解しました。外資に繋がる村上ファンドとオリクッスとを結ぶ偽善売国の政治家、財界人を究明することですね。 matuoka yuuji】:
   
      http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/959.html

 上記Asyura投稿を掲載した私のブログを出展引用しました。以下のとおり

     http://matuoka1248.blogspot.com/

-------------------------------------------------------------------------------------
-------------------------------------------------------------------------------------
  私(matuoka yuuji) のAsyura投稿:

【植草さん、了解しました。外資に繋がる村上ファンドとオリクッスとを結ぶ偽善売国の政治家、財界人を究明することですね。】    

   http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/959.html

を引用しました。

以下のとおり
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
引用開始ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 植草さん、了解しました。外資に繋がる村上ファンドとオリクッスとを結ぶ偽善売国の政治家、財界人を究明することですね。

1.日本の国民が営々として、汗して、積み上げた形成された国富を、ダニの如く、吸血鬼の如く、飢えたブタの如くに寄生し、貪る既得権力擁護の官僚と権力支配的な偽善売国の政治家、財界人を、主権者である国民が,営々として、積み上げて創りあげてきた政治、司法、行政の総力で、主権者である国民の前に、国民のための社会的な正義のために、国民のための正義に反する欺瞞的な不当行為・不法によって、収奪をする人々やその悪徳の集団とその偽善的な作為について、そして、その陰謀について、国民の前に、公表しようとするか弱き正義感のある賢人達を、冤罪等で、陥れる悪徳な、悪魔的な人々を主権者である国民の面前において、白日のもとに、公表して、一連托生の不当・不正義の陰謀に対して、国家反逆罪で、合法的に、断罪し、地祭りにして、国家の大事な国法に定められた公正な合法的手続きを経て、裁き、監獄へ送り出せば宜(よろ)しいのですね。

2.既得権力を利用して不当権力行使を行っている官僚、政治家、財界人達の社会的な不当・不正義を正すことが、日本の主権者である国民から、大勢の人々から求められているのである。不正義を正すこと。これが、次期政権に対して、一番重要な案件であると私は考えます。これは、混迷する現在の日本の政治に、対して、国民に信頼を取り戻すための第一の必須条件である。

3.日本の日々に汗して働く人々は、政治的、権力の不当行使や不正義を、厳格に、裁き、この闇黒支配の集団を公的な正義をもって、断罪することを、真実の心で、望んでおられます。

4.社会的不正義に対して、断罪することにおいて、このことは、天地開闢の古来からの厳格な人類社会の法則の中で、確実に行われてきていることであり、そのことを確信し、そして、日本の社会に、厳然と蔓延る(はびこる)不正義を断罪し、日本の社会的、公的な正義を守るべき天地の神々(主権者国民)が、必ずや、その正義のための成就をやり遂げることになるでしょう。

5.その裁きのときは、刻、一刻と、確実に、近づいています。

6.どのような、敵の卑劣な罠でも、恐れる必要などない。

7.あせらず、一歩、一歩を、その暗闇が、明らかにされるように、正義を裁く主権者である国民と、ともに、正義の旗を、高く揚げて、進めば、必ず成就されることが証明されるのである。

8.あなたのインターネット論説の主張を、その悪魔的な力で、不可能とするための陰謀的な工作によって、苦しまれているようですが、そのことに、理解をしている仲間達が、力強く、大勢控えていることを認識して、これからも、がんばってください。

9.悪なる集団は、一見しぶとく、強がりをもって、その怨敵を追い落とすことに、悪知恵にたけているだけで、実体は勇気のない弱い無能力なもの達の集まりである。

10.いざ、その正義のための大風・おおかぜをこの日本中に、巻き起こさん。

11.現在のこの闇黒的な日本を麗(うるわしい)日本にかえるために、正義を掲げた主権者国民の前に、神風を吹かせよ。 

12.その時は近いのである。

13.覚悟せよ。自公政権に蔓延るその悪の集団の人々達よ。

14.一人、二人と冤罪で、陥れても、国民による貴き汗で成り立つ税金の収奪のような不適切な運用・搾取によって、陥れても、正義による追求は、止むことなしで、主権者である国民の手によって断罪がなされるでしょう。

15.正義の風を巻き起こすため、あらゆる善知識・知恵を集結させて、その目的の完遂のために、油断することなしに進めていきましょう。

16.主権者国民とともに、勇気と正義の力で、その正義の神風をこの日本に巻き起こしていきましょう。

17.まずは、その悪の集団に取込まれた最大の敵陣である自民・公明党政権に寄りかかる一人一人を善知識・知恵をつかって、確実に、無尽の深き谷底に、2度と再起できないように、合法的な方法により、きれい、さっぱりとして、地獄の暗闇に、徹底的に、つき落とし、国民が決定する公なる正義にて、断罪を進めて行きましょう。

18.国民の期待を裏切り、悪性的な存在と化した自民・公明与党政権の国会議員諸氏は、その因果によって、そのような場所が、その煉獄の地底が、とても良く、お似合いの適切、適宜、適時な場所である。 偽善的な権力ではなく真の公明・公正の国民の力を結集させて、究明で、判明された悪人を奈落の底に、つき落として行きましょう。

19、次期政権は、国民のこの期待に応えるために、これを実現させるため、現在の政治・選挙、官僚制度改革、司法制度改革の刷新を、断固として、推し進めねばならないことが国民から求められている。

20.このことを憂いている国民は、正義は必ず勝たねばならぬという信念を持ちて、いざ、出陣の勝ち鬨を揚げたまえ。

 元創価学会員より Asyura投稿リンク:http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/959.html

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
引用終わり

-------------------------------------------------------------------------------------


人気ブログランキングへ

 http://blog.with2.net/link.php?847650

Tuesday, July 7, 2009

謙虚に反省した民主党前原氏、野田氏等を支援しよう

謙虚に反省した民主党前原氏、野田氏等を支援しよう

 以下の私(matuoka yuuji)のメールを民主党の中井浩氏と岡田克也氏と鳩山由紀夫氏に送ったのは、2009年5月17日の当時の民主党党首小沢氏の問題で、沸騰している最中であった。
 
 現在において、この中で、私が批判の対象とした前原氏や野田氏は、そのことで、深く、謙虚に、反省したようである。非常に良い結果になったようである。
 
 現在新民主党党首鳩山氏や岡田氏の指揮のもとで、謙虚に、反省し、活躍されていることに対して、ここで、彼らの活躍を願って、エールを送りたいと考えました。今後の前原氏や野田氏の活躍を祈ります。
 
 民主党は、一致団結して、敵陣に対して、怯(ひるむ)むこと無しで、挑戦して行かなければ、政権を勝ち取れない。

 今後の彼ら、若手が、活躍するべき時代は、すぐそこまで来ている。

 一致協力して、がんばろう。悪の自民・公明党与党政権を我々の力を結集させて、敵陣を蹴散らして行こう。


以下が、私が当時にメールした内容です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

拝啓 中井浩様  

 いそがしいところ 大変失礼致します。   民主党の党首には、叩かれても負けない根性が必要です。私は創価学会に10年ほど所属していましたが、
 小沢一郎を最後まで支持を致します。(現在:私は創価学会を退会しました。政教一致も考え物す。)

 小沢一郎氏や鳩山氏と協力して、悪政自公与党政権を打ち倒しましょう。

 小沢元党首に反抗的な前原氏や野田氏等は敵陣の政権与党の影に操られているようである。
 彼らの主張は、戦いの前における利敵行為に他ならない。と私は、判断しています。 
 まるで彼らの言動は敵陣の撹乱戦術の様です。
  戦場において、大将を非難して、守ろうとしないものは、戦場に着く資格がないと判断します。
    
 僭越でございますが、此の際、彼らを除名処分してはいかがですか? 
 それぐらいの厳しい指導が彼らに対して今必要です。 党幹部諸氏において、覚悟して、
 彼等の若手に対して説得的な指導が戦術的になされるべきであると考えます。 
 彼らにきらわれるだけの覚悟が必要です。
   
 これが、誠実な指導方法ではないかと思います。 民主党の若年議員は、あせっているようですが
 目先の益を、早急に求める嫌いがあります。
 これが、敵陣の狙いでしょう。 選挙を先に伸ばす戦術なのでしょう。 別にあせる必要などないの
である。
 
 必然的に、選挙が来るのである。
 そこで、罵声を浴びようが、各自の地元の声を大きな懐におさめ得る度量が若手議員に必要である。
 
 彼らの心配はそこに潜んでおられる。
 ベテラン議員が彼らを十分に支援すべきである。

 そうすれば、彼等の半分程度は多分出て行かないでしょう。 
 後の半分は本来敵陣であるので出て行くと撹乱戦術の意味がなくなるから彼等も出て行かないでしょ う。
 また、多少現議員が減っても、新しい人材を立てて、次回の選挙で勝てばすむことです。 

 例え、ここで、彼らが民主党を割ったとしても、与党自民・公明党の悪政の情報操作されたマスコミ
は喜ぶことでしょう。
 しかし、国民の目は騙されません。 民主党の戦いの旗頭はやはり、戦術を心得た小沢一郎氏でょ
う。

 民主党議員は、選挙に勝つために、旗頭を鮮明に打ち立てていかなければ、
 
 やがて、あの手、この手で、敵に自公政権に撹乱されて、潰されてしまうでしょう。 
  
 すでに、民主党にとって、天地人は、そろっている。 後は、その時を待てば、良い。

 中井さんも安心して、政務に励んでください。 私は民主党サポーターとして、選挙時には、万全の

 努力をおしまぬ覚悟でおります。
     
  ただし、敵方の戦術、特に巧みなマスコミ操作等に用心することが肝要だと思います。 
   
 ここにおいて、右往左往しないことと地道な国民の意見を謙虚さで伺う姿勢と努力が肝心だとおもい
ます。
  
 前回の高橋千秋氏の選挙において、先頭をきって先導していたことを私は十分に理解しています。
 がんばってください。 必勝をお祈りいたします。
  
 どうぞ、私の今日のブログでの主張を時間の赦す範囲でご覧ください。 
 
 岡田克也氏にもメールしたところです。
 
 では、失礼致します。
  
   参考:“民主党小沢一郎は命懸けで政権の再編に着手した。”
     
         http://matuoka1248.blogspot.com/  2009年5月14日

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上
以上の私からメールを中井浩氏は、読んで返事がきました。以下に記する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下

 〇 〇 様

 御意見、ありがとうございます。
今の民主党の若手議員に最も必要な事は、政権党自民党の色々な揺さぶりや、
マスコミの感情的な報道に右顧左眄せず、腰を据えて判断する事だと常々思っています。

 誠に的を得たご指摘をいただき、又、激励もありがとうございました。
小沢元代表と共に政権交代目指して不屈の魂で頑張ります。

 これからもよろしくお願い致します。

衆議院議員 中井洽 事務所
              〒100-8981 東京都千代田区永田町2-2-1                   衆議院第一議員会館533号室
              TEL(03)-3508-7263(直通)                             FAX(03)-3592-9044  

------------------------------------------------------------------------------------
------------------------------------------------------------------------------------
以上が私のメールに対する中井氏からの返答であった。

 参考 私のブログ;http://matuoka1248.blogspot.com/  

------------------------------------------------------------------------------------
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 参考 asyuraへの私の投稿リンク:http://asyura2.com/09/senkyo66/msg/966.html

http://blog.with2.net/link.php?847650

人気ブログランキングへ

Monday, July 6, 2009

星野芳樹氏のアフリカ活動の弟子 市川隆雄氏の活躍について

星野芳樹氏のアフリカ活動の弟子 市橋隆雄氏の活躍について
                
                             2009年7月6日
  


  市橋隆雄氏の活動リンク
 

【出展引用初め -------------------------------------

 つい先日に、Webで、私に恩師である星野芳樹氏 を調べていたら、上記の人が、見つかりました。       
  2000年11月10日「市橋隆雄さんを囲む会 講演会」(三重県亀山市にて) P8
 このように、私たちは「共に生きる」ということを課題としているんですが、また、歴史がどう動いているかということを、どんな風に考えているかということにも関心があります。

 日本では、歴史は「輪廻転生」といわれるように、ぐるぐると回っていると考える人が多いです。けれども、僕はそうは思わなくて、私たちの一生は生まれるときがあって死ぬときがある、だから歴史の流れも、始めがあって終りがあると。つまり、歴史の流れは一直線にどこかに向っていると考えるのです。
 では、歴史の終りに何が来るかっていうと、それは破滅ではない。そこには、新しい共同体というものができる。どんな共同体ができるかって言うと、世界の人たちがひとつの場所に集まって、一緒に生きる。それぞれの国の、それぞれの文化というものはそのままに、一緒に生きる共同体の生活が更に豊かになるための、捧げ物として用いられる、そういう世界。
 なぜそういうことを信じられるかって言うと、先ほど言いました幼稚園の子供たちの世界を見ているからです。いろいろな国籍を持った子供たちが、違いを越えて一緒に生きています。そしてもうひとつ、私の教えているデイスター大学で、アフリカのいろんな言葉・習慣の違った国々の人たちが、ひとつの場所で一緒に生きている。

 そして、私たちもケニヤに行って、日本人としてケニヤ人と一緒に生きています。
 そういうことを私は体験して、それが、新しい世界を創りつつあると思っています。
 国際結婚をして国籍のわからない子供たちが生まれてくる。そういう国籍を超えて生きようとする人たちが、この世界に増えていることだと思うんです。

 ですから、私たちはケニヤに行ったらケニヤ人のようになれ、「日本国籍をどうして捨てないの」なんて聞かれるわけですけど、私はケニヤ人になろうとは思っていません。
 いくらガンクロして、日焼けサロンで日焼けして、アフロヘヤ―にしても、私は絶対ケニヤ人にはなれないわけです。
 むしろ、日本人として、このまま亀山の街で育って受け継いできたもの、日本人として受け継いできた文化、あるいは訓練が、アフリカ人と一緒に生きるときに、そこの生活を豊かなものとするために用いられる。
 そして、日本人とケニヤ人が、違いを持ったまま一緒に生きている。
 そのほうが僕は素晴らしいことだと思っています。

 それから、歴史の最後に起こることを僕達は信じています。
 今、「ナウい」ってことはかっこいいという意味で使われていますね。今「ナウい」ことはITですか…僕のイニシャルと同じですけど(笑)。
 今新しいことは何かって言うと、たとえばこういうネクタイをしていますが、これは来年には古くなって、それもまた新しいのが出てきて古くなってしまう。
 そうなると、一番ナウいことはどういうことかって言うと、一番最後に起こることが一番ナウい、新しいことだと思うんです。
 ですから、歴史の一番最後に起こる、世界の人と違いを越えて一緒に生きることが……それを、今そのための努力をして生きているって言うことが、一番ナウい生き方だということになるんだと、思うんです。

 今、僕はアフリカで生きていますけど、皆さんはこの亀山市で生きていらっしゃるわけですね。
 ですから、この亀山市でも助けを必要としているひとたちがいても見えない場合もあるし、見ても目をそらしているかも知れないけど、そうじゃなくて、そういう人たちをしっかり見て、そういう人たちと一緒に生きようとするのが、ほんとうに素晴らしいコミュニティということではないかと思います。

 最後に言いたいんですけど、平和を創りだすと言うのは、隔てを超えて生きる努力を、根気よく忍耐と情熱を持ってやることだと思います。
 このことを、最後にひとつの例で説明したいと思います。

 1994年4月に、ルワンダという国で2つの部族が争い、ひとつがもうひとつの部族を50万人以上虐殺する事件がありました。
 その年の5月に、私はナイロビの大学で教えていたわけですけど、そのクラスにひとりのルワンダ人の学生がいました。
 彼女は、その日非常に険しい表情でクラスに入ってきました。
 で、その前日、彼女はルワンダにいる自分の家族が全部殺されたという知らせを受け取っていたのです。
 彼女がどんな思いでその夜を過ごしたか、ほんとに皆さんも自分の愛する人を失ったことのある人ならおわかりになると思いますけど、もう一睡もできず、息も詰まって、胸が詰まってもう破裂しそうになったと言いました。
 しかし、彼女はクラスに出てきて授業を受けました。
 そして、自分の身に起こったことは、もうこれ以上の悲しみは生涯にないだろう。もう悲しくて身が張り裂けそうだ、と語りました。
 他の学生たちも皆彼女のためにお祈りをしたわけですが、それで彼女は、「祖国に帰りたい。しかし帰れる状況にない」というんです。それは、殺した人たちへの憎しみから、自分は今、何をしでかすかわからない。自分が恐ろしいというんです。
 しかし彼女が最後に言うのには、「自分は悲しいけど、今はここにとどまって勉強を続けて、この学校を卒業する。そして、卒業したら国へ帰りたい。そして、今ひどくなっている国のために、私は働きたい。私は、そのときは憎しみではなく、許しを、喜びを、持って帰る人間に変わりたい」と。

 こういう女性がアフリカにはいます。
 そういう人達がたくさんいて、そういう人たちがアフリカを支えていくと思います。
 そして、平和というのは、そういう祈り、そういう願いから生まれてくると思います。
 そういう人がいるということが、アフリカの未来を約束しているのだと思うわけです。

 私達は、そういう人たちと一緒に生きるということ、いろんな悲しみはあるけれども、ひじょうに驚きもあるし感動がある、そういう生活を、これからもやっていきます。

2000年11月10日収録
講演:市橋隆雄


BACK  講演index  NEXT


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上出展引用終わり   


 星野芳樹氏リンク :  google 検索

http://www.google.com/search?q=%E6%98%9F%E9%87%8E%E8%8A%B3%E6%A8%B9&rlz=1I7GPMD_jaJP323&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7

Sunday, July 5, 2009

 植草さん、了解しました。外資に繋がる村上ファンドとオリクッスとを結ぶ偽善売国の政治家、財界人を究明することですね。

 植草さん、了解しました。外資に繋がる村上ファンドとオリクッスとを結ぶ偽善売国の政治家、財界人を究明することですね。

1.日本の国民が営々として、汗して、積み上げた形成された国富を、ダニの如く、吸血鬼の如く、飢えたブタの如くに寄生し、貪る既得権力擁護の官僚と権力支配的な偽善売国の政治家、財界人を、主権者である国民が,営々として、積み上げて創りあげてきた政治、司法、行政の総力で、主権者である国民の前に、国民のための社会的な正義のために、国民のための正義に反する欺瞞的な不当行為・不法によって、収奪をする人々やその悪徳の集団とその偽善的な作為について、そして、その陰謀について、国民の前に、公表しようとするか弱き正義感のある賢人達を、冤罪等で、陥れる悪徳な、悪魔的な人々を主権者である国民の面前において、白日のもとに、公表して、一連托生の不当・不正義の陰謀に対して、国家反逆罪で、合法的に、断罪し、地祭りにして、国家の大事な国法に定められた公正な合法的手続きを経て、裁き、監獄へ送り出せば宜(よろ)しいのですね。

2.既得権力を利用して不当権力行使を行っている官僚、政治家、財界人達の社会的な不当・不正義を正すことが、日本の主権者である国民から、大勢の人々から求められているのである。不正義を正すこと。これが、次期政権に対して、一番重要な案件であると私は考えます。これは、混迷する現在の日本の政治に、対して、国民に信頼を取り戻すための第一の必須条件である。

3.日本の日々に汗して働く人々は、政治的、権力の不当行使や不正義を、厳格に、裁き、この闇黒支配の集団を公的な正義をもって、断罪することを、真実の心で、望んでおられます。

4.社会的不正義に対して、断罪することにおいて、このことは、天地開闢の古来からの厳格な人類社会の法則の中で、確実に行われてきていることであり、そのことを確信し、そして、日本の社会に、厳然と蔓延る(はびこる)不正義を断罪し、日本の社会的、公的な正義を守るべき天地の神々(主権者国民)が、必ずや、その正義のための成就をやり遂げることになるでしょう。

5.その裁きのときは、刻、一刻と、確実に、近づいています。

6.どのような、敵の卑劣な罠でも、恐れる必要などない。

7.あせらず、一歩、一歩を、その暗闇が、明らかにされるように、正義を裁く主権者である国民と、ともに、正義の旗を、高く揚げて、進めば、必ず成就されることが証明されるのである。

8.あなたのインターネット論説の主張を、その悪魔的な力で、不可能とするための陰謀的な工作によって、苦しまれているようですが、そのことに、理解をしている仲間達が、力強く、大勢控えていることを認識して、これからも、がんばってください。

9.悪なる集団は、一見しぶとく、強がりをもって、その怨敵を追い落とすことに、悪知恵にたけているだけで、実体は勇気のない弱い無能力なもの達の集まりである。

10.いざ、その正義のための大風・おおかぜをこの日本中に、巻き起こさん。

11.現在のこの闇黒的な日本を麗(うるわしい)日本にかえるために、正義を掲げた主権者国民の前に、神風を吹かせよ。 

12.その時は近いのである。

13.覚悟せよ。自公政権に蔓延るその悪の集団の人々達よ。

14.一人、二人と冤罪で、陥れても、国民による貴き汗で成り立つ税金の収奪のような不適切な運用・搾取によって、陥れても、正義による追求は、止むことなしで、主権者である国民の手によって断罪がなされるでしょう。

15.正義の風を巻き起こすため、あらゆる善知識・知恵を集結させて、その目的の完遂のために、油断することなしに進めていきましょう。

16.主権者国民とともに、勇気と正義の力で、その正義の神風をこの日本に巻き起こしていきましょう。

17.まずは、その悪の集団に取込まれた最大の敵陣である自民・公明党政権に寄りかかる一人一人を善知識・知恵をつかって、確実に、無尽の深き谷底に、2度と再起できないように、合法的な方法により、きれい、さっぱりとして、地獄の暗闇に、徹底的に、つき落とし、国民が決定する公なる正義にて、断罪を進めて行きましょう。

18.国民の期待を裏切り、悪性的な存在と化した自民・公明与党政権の国会議員諸氏は、その因果によって、そのような場所が、その煉獄の地底が、とても良く、お似合いの適時な場所である。 偽善的な権力ではなく真の公明・公正の国民の力を結集させて、究明で、判明された悪人を奈落の底に、つき落として行きましょう。

19、次期政権は、国民のこの期待に応えるために、これを実現させるため、現在の政治・選挙、官僚制度改革、司法制度改革の刷新を、断固として、推し進めねばならないことが国民から求められている。

20.このことを憂いている国民は、正義は必ず勝たねばならぬという信念を持ちて、いざ、出陣の勝ち鬨を揚げたまえ。

 元創価学会員より Asyura投稿リンク:

        http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/959.html

http://blog.with2.net/link.php?847650
人気ブログランキングへ

元自民党幹事長 野中広務氏について。Asyra投稿記事を読んで。

 元自民党幹事長 野中広務氏について。Asyra投稿記事を読んで。

出展引用→《 特別インタビュー・野中広務さん 憲法・戦争・平和【しんぶん赤旗 2009年6月27日】》
       
    http://blogs.yahoo.co.jp/aleido_che_guevara/28038793.html
       
         
   →【出展紹介 http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/645.html 】
      
        投稿者 gataro 日時 2009 年 7 月 02 日 07:41:57:
       ( http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10291619296.html )
       から転載。)
        連載 政界地獄耳 赤旗が報じた「野中の声」【日刊スポーツ】
        2009-07-02 07:18:50
        gataro-cloneの投稿
        テーマ:戦争と平和   


→【出展引用以下の通り】
『 - - - - - - - - - - - - - - - - ― - 
 
  特別インタビュー・野中広務さん 憲法・戦争・平和【しんぶん赤旗 2009年6月27日】
小渕恵三内閣で内閣官房長官を務めた野中広務さん(元自民党幹事長)に、憲法などをめぐって最近思うことを聞きました。野中氏は2003年秋の総選挙を機に衆議院議員を引退。その後、憲法や戦争と平和、政治の原点をテーマに全国各地を講演に歩き、テレビや雑誌上で活発な発言を続けています。
*********************
 25歳で郷里の町会議員になり、衆議院引退までの52年の政治生活を通じて「宿敵」だったあなた方(「赤旗」)に私の思いを語るのも、いまの時代が、そうさせるのだと思います。

■議員引退の訳
 国会議員を退いて5年8カ月。私は全国各地で、ざっと300回の講演をしてきました。招かれる先にはあなた方と親しいグループや団体、また憲法9条を会もあります。

 いま静かに日本の政治を見ると、おかしくなっていく日本を感じます。とくに小泉内閣の5年は、短い言葉で国民を狂わせて、アメリカ型の市場万能主義をそのまま持ち込み、アメリカの権益がかかわる戦場に自衛隊を派遣して日本社会の屋台骨を粉々にしてしまいました。私はこんな内閣と同じ時代に国会議員でいたら後世恥ずかしいと思い、議員退いたのです。

 私自身は、軍隊経験は6ヶ月だけですが、あの戦争の時代とその後を体験した人間として、今日ほど日本の人々が、この国の進路を誤らないように明治以後の歴史を振り返り、平和を考えなければならない時はないと思います。

■大政翼賛会に
 01年10月、衆院本会議にテロ特措法案の採決がかかったとき、私は、本会場を退場して棄権しました。03年6月のイラク特措法案が採決にかかったときにも本会場を出て棄権しました。この法案が自民党総務会に示されたとき、自衛隊の派遣については慎重であるべきだといったのは、ぼくと野呂田芳成さん、谷洋一さん(ともに元農水相)の3人だけ。あとの議員は「こんなときに何をいっているのだ。自衛隊を派遣するのはあたりまえじゃないか」といってきました。

 正直いって僕はむなしさを感じました。自民党は戦争が好きな政党になってしまった。それこそ大政翼賛会時代にもどってしまったわけです。

 このできごとに先立つ1997年4月、衆院本会議で僕は、日米安保条約の実施に伴う土地使用にかんする特別委員長としての「沖縄駐留軍特措法改正案」報告で「この法律が沖縄を軍靴で踏みにじる結果にならぬように。…国会の審議が再び大政翼賛会的にならないように、若い人にお願いしたい」と自分の思いをつけ加えました。国会ルール違反と批判され、議事録から削除された経験があります。

 しかし、そのあと、特措法を積み重ねて自衛隊は地球の裏側まで出かけていけるようになってしまいました。

 私は、振り返って今も三つの特措法に対する自分の当時の判断は間違っていなかったと思っています。

 最近、この国のこれからの平和を考えるうえで、僕が一番恐れているのは米軍再編です。米軍は米本土にあった米陸軍第1軍団司令部を座間(神奈川県)に移転させ、そこへ陸上自衛隊の司令部を集結させました。かつて日本は傀儡(かいらい)国家である「満州国」をつくり、そこに関東軍司令部を置いて、中国大陸を植民地化していく橋頭堡(きょうとうほ)をつくりました。あのときの日本の植民地政策と同じ考え方ではないでしょうか。当時と違うのは日本政府が、この米軍再編に3兆円ものお金を出そうとしていることです。

 (民主党前代表の)小沢(一郎)さんは、国連の下ではら自衛隊をかいがいに出しいてもいいなんておかしなことをいっています。こんどの総選挙で民主党が政権をとってもわれわれにとっても何の展望も開けないでしょう。また政界再編なんていっても、本当にまともにこの国の行方を決める政治家の集団はできないんじゃないかと思います。

 日米間には現在、安保条約があるだけで、平和友好条約はないです。やはり日米平和友好条約を結べる環境をつくらねば、日本はいつまでたっても米国と対等になれないと思います。

■憲法
 たしかにいまの憲法にはいろいろ矛盾はあります。しかし、わが国は日本国憲法の掲げる「戦争放棄」「恒久平和」の理念を一つのよりどころにして、自衛隊を海外に出したりすることを「卑怯(ひきょう)者」といわれても避けてきました。

 憲法を盾にして戦争に加担しない道を歩んできたんです。このことが戦後64年の平和につながったんです。一つ足を踏み出したら取り返しのつかないことになることは20世紀の戦争の一つ一つが物語っています。

 私は、この事実だけは何があろうと忘れてはいけないし、日本はあくまでも憲法の掲げる理念に則(のっと)って国際平和に貢献すべきだと思います。

 私自身は、憲法について、9条2項を変えて自衛隊を認め、しかし、海外へ出さないという規定にすべきと考えています。あなた方とは違うかもしれないが、これが実現しないうちは、9条を含めて現在の憲法を守るべきだと思います。

■戦争の傷跡
 私の生まれ育った京都府船井郡園部町(現在の南丹市)がある口丹波(くちたんば)といわれる地方には戦争前、マンガンなどの鉱山がありました。

 僕は子どものころ、鉱山で働く朝鮮人が、背中にたくさんの荷物を背負い、道をよろよろ歩く、疲れ切ってうずくまるとムチでパチッと叩(たた)かれ血を流しながら、はうようにまた歩き出す、そんな姿を見てきました。また私の家から300メートルほど先に大阪造兵廠(しょう)が疎開してきて、兵器を造るため連行されて来た朝鮮人が同じようにひどい仕打ちで働かされていました。

 戦後64年が経過した今も、戦争の傷は癒えていません。未処理の問題も数多くあります。

 北朝鮮との国交回復、賠償の問題も残っています。中国に日本が化学兵器や中国残留孤児の問題もあります。多くの未解決の傷跡をみるとき、まだまだ日本は無謀な戦争の責任が取れていないと思います。そのこと自体が被害者の方々にとって大きな傷になっていると思われ、政治家の一人として申し訳ない思いです。

■歴史に学ぶ
 幕末から目地維持にかけて「富国強兵」が国是となって日清・日露戦争に突入し、その結果が「満州国」という傀儡国家をつくる、あるいは朝鮮半島を植民地にするという狂った時代をつくり上げてしまいました。美化された明治の改革ではあったけれども、このときのスタートがあの戦争の敗戦まで至っていたのか、そう思うとき、そこに焦点を当てて、もう一度、歴史を学ぶ必要があります。

 私は、子どもたちにしっかりと近現代史を教えてこなかったツケが、田母神俊雄・元航空幕僚長のような暴言を吐く人間が出てくるような、悲しい、いまの日本の狂ったような状況に拍車をかけていると思います。

 シビリアンコントロールが効かない状況が起きているのを、政治がどのようにチェックし、正常化していくのかというところにも力を置かないと自衛隊内部からの暴発によって日本の平和が脅かされる危険性があると思います。

 国の根幹を決めなくてはいけない政治家達が、しっかりした歴史認識にたって、再び誤った道へ走っていブレーキをかけなくてはならないと思います。

 去年あたりから「蟹工船」ブームといわれ若い人たちがまともに歴史に向かい合おうという気持ちが出ていることを非常にうれしく思い、また期待もしています。こういう輪が広がることで、日本が再び軍国主義になっていく道が閉ざされて、平和な国としてやっていけるスタート台に立てるのではないかと思います。

 そのための種を蒔(ま)いていく使命がわれわれにはあるんじゃないかと思っています。

- - - - -  - - -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  - 』
 
【以上出展引用終わり】



 元自民党幹事長 野中広務氏について。Asyra投稿記事を読んで。

  この場を借りて、私の感想を述べて見たい。

 特別インタビュー・野中広務さん 憲法・戦争・平和【しんぶん赤旗 2009年6月27日】の記事が
 Asyura経由で伝えられていたことで、以前から、野中氏の動向が、気になっていたのであるが、適時、適切な記事に、めぐり合えたと思いました。

 私は、共産主義が嫌いで、日本共産党も好きになれないが、今回の赤旗の企画とその読み応えのある元自民党幹事長 野中広務氏のインタビュー記事で、以外な野中氏の心持ちを知って、感動したので紹介いたします。 これを読んで、私として、思想的にも野中氏に、共感できるのである。
 
野中氏が、現在でも。自民党に所属していたら、このような、共感は、生まれようがなかったであろう。
 
 追記:古巣の現自民党に対する思いと政治全般、人生観に触れられています。

 野中弘務氏は、ユニークな人生を歩んでいる。

 京都府を選挙の地盤として、若いときから、政治家として、実績を積み上げて、自民党田中派に所属して、自民党の幹事長になり、一時は自民党の総裁を獲得出来るほどの実力があった。 
 
 しかし福田派の小泉政権誕生後に、自らの決断で、自民党を去ったのである。 弱者に優しさを秘めている人のようである。
 
 もっと、政治家として、もっと活躍をして頂きたかった人である。 政治調整的な能力は一級であった。

 以前、私は、京都市の近くに住んでいたが、建設省発注の公共土木事業の監理業務の仕事の中で、知り合った社員数人の小企業の社長は、この人を応援していた。 建設公共事業の執行では、地元住民の建設反対等が常に生じる。 その事業の遅らせないような対策として、地元の中小企業へのための予算配分や発注事業が考慮されている。 その事業を請負う中小企業にとって、貴重な収入となる事業である。 その中には、一般的な土木店や暴力団筋の土木企業や同和系の企業もあった。
 
いずれにしても、請け負った工事は、立派に契約履行を果たした。
 
 公共事業は、社会的な弱者に、仕事が、回るような配慮があるのである。 その中には、公言できないようなこともあったが、公共事業に対して、反対され、事業の執行が停止される場合の社会的な損害に比べたら、事業の監理者側の不利益となり、究極的に、税金の浪費になってしまうのである。
 公共土木事業は、政府の中小企業のための社会調整の役割を持っているのである。

  私は、上記の仕事を契約制で、期間満了として、建設省の上部の判断で、業務上の公に出来ないことを知っている私の契約が打ち切られたのである。 そのことを公表すると、当時の建設省の人と私が、長年世話になり、所属していた建設コンサルタントに迷惑になるので、いままで公表を控えて来ているのである。これは、公金の不正支出に関わる事であった。 
 現在では、時効きれに、なっているであろう。

 その離職後に、そのことに対する反発で、わずかな期間であったが、同和系の小企業に、御世話になったこともある。非常に、歓迎されて、優しい人であった。 その後、その小企業は、数年後に、不渡り倒産をしてしまったことを、知り合いから知らされた。

 再度、会って見たいのであるが、かなわないことのようである。

 私は、人間の差別には、もともと、思想的に反対なのである。 その意味においても、野中氏に政治的な功罪は別として、この記事を読んで、多くの共感を受けるのである。
   
 これからも、野中氏の活躍を見守りたいと思っています。

  参考リンク1.: 野中広務氏のWikipedia を添付します。
      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%AD%E5%BA%83%E5%8B%99


  参考リンク2.:Asyura投稿:元自民党幹事長 野中広務氏について。Asyra投稿記事を読んで。
         → http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/826.html


人気ブログランキングへ 

人気ブログランキングへ

Saturday, July 4, 2009

自公機関誌《紙》読売新聞、朝日新聞、自公擁護宣伝紙の如く成り果てた次に来るのは、読者離れで、倒産が待ち構えているのだ。

自公機関誌《紙》読売新聞、朝日新聞、自公擁護宣伝紙の如く成り果てた次に来るのは、読者離れで、倒産が待ち構えているのだ。

 先日に、Asyuraに分けて投稿した上記の題名の記事である下記の①②③の投稿記事をひとまとめにして、より読みやすく、理解されるように、校正、訂正、修正をしました。

  ① 本文部;投稿記事部 http://asyura2.com/09/senkyo66/msg/716.html

    → 上記修正版を 《 § 1 》 とする。

 
  ② 追記部;投稿記事部 http://asyura2.com/09/senkyo66/msg/720.html

    → 上記修正版を 《 § 2 》 とする。


  ③ 追記の追記;投稿記事部 http://asyura2.com/09/senkyo66/msg/732.html

    → 上記修正版を 《 § 3 》 とする。

   (注)校正日 ; 2009年7月4日


《修正版;以下のとおり》 



 《 § 1 》


《 自公機関誌《紙》読売新聞、朝日新聞、自公擁護宣伝紙の如く成り果てた次に来るのは、読者離れで、倒産が待ち構えているのだ。 》

1.読売新聞、もともと、社主であった正力松太郎氏が自民党の議員であったから、自民党よりの、論調であったが、いつの間にやら、朝日新聞や毎日新聞の論調の方向が、自公政権よりの論調が主流となってしまっている。 読むのに非常に、耐え難く、義憤が生じるのである。

2.自活して独立してから。40年以上の間に、1,2年間は、読売を購読したが、後は、朝日新聞の購読をしてきたが朝日新聞の近年の論調は、購読に耐えないものに成り果ててしまっているのである。
 かっての、朝日新聞の社会的正義感あふれる姿は、どこへ、消えてしまったのであろうか???。

3.大いに、疑念がある。この論調の変転に、大きな謎が、隠されている様である。

4.新聞は、もともと、広報宣伝と社会的な論争においては、どこかの機関誌ではないのであるから言論の公正さと中立的、客観的な正義が、読者から強く求められるべきものである。

5.しかし、これが、現在の日本での、大新聞会社等は、それと正反対なことをしているのである。他の報道機関の状況も似たものである。

6.若者に限らずの多くの国民達は、ワーキングプアーになり、購読自体が不可能な状態にあり、年長のもの達にも、そのような、広報機関誌のような報道かみきれに、あいそがつき始めて来ているのである。

7.自分達のしていることが自分の首を絞めていることに、気がつかないのであろうか??? 

8.たぶん、そのことに、気はついていて、あえて、このようなことをしなければならないなんらかな理由と外部からの強い力が加えられているのであろう。

9.たぶん、この裏には、隠された仕組みと秘密の資金を供与し、その報道を担当する上層責任者を懐柔させてしまっているのであろうか?。その意図されて仕組まれた広報誘導的な狙いを持って実行されているのであろう。これらの新聞報道機関の社内においても、そのことは、おそらく、ごく一部のものに限られていて、隠密でなされているのであろう。

 昔日の隠密忍者のよう役割を担っていて、社内的な特権的な権限を行使して行われている様なのである。

10.このような状況でも、種々の情報源をもっている購読者達は、あるいは新聞の論調に、気をつけて、熟読、吟味して購読する人達は、その記事の中で、目的のもった意図を隠して、偏った表現の論調で、記されたことが、直ちに、理解されるのである。

11.このことが、論説の上層の主幹等あるいは校正担当の首脳達の判断で、行はれているのかは、購読者には、わからないのである。

12.しかし、そのような方法で、意図的な作為のある論調をのせるような新聞社等の記事は、社会的な欺瞞を嫌う我々には、読むに耐えないのである。

13.購読者の不信を生むような報道は、もはや、必要とされないのである。

14.もはや、日本の新聞業界全体が、社会的な正義を提供する言論誌ではなくなったのである。

15.なんとも、情けのない業界になってしまった。

16.国民の多くは、インターネット等で、広く、多方面からの情報を得るようになっているが、そのインターネットを利用できない老齢者は、この購読する新聞記事の論調を頼りに、社会問題についての判断をしてしまうのである。公平さのない真実を歪曲するような論調は、このような人たちをあざむいていることになるのである。

17.現代の新聞業界が、このようなものでは、社会をかく乱し、社会の発展に妨げになってくるのである。

18.新聞業界が、将来に渡り、生き残ることを望むならば、自分達の危機感と使命感をもって、社会的な公平さと中立性と社会的な正義を提示して、読者の信頼を勝ち取って行かなければ、そこに、待つのは滅亡に他ならないのである。

19.社会的な、公器である新聞に、その主柱である論調に関して、その欺瞞性について、購読者から指摘や抗議がなされることは、その新聞の存在の意義が問われていることである。

20.残されている時間は、少ない。

21.特に若い記者達や報道関係者に、その隠された意図で、報道がなされていることに対して、正義感をもって、そのような欺瞞性に対抗ができる能力になって、社会的な報道に、使命感と危機感をもって、自己の職分に誇りをもって、社会的な貢献をして頂きたいのである。 

 新聞報道に、社会的な公正と正義を取り戻して頂きたいのである。 このことを切に願う次第である。

 そうしなければ、日本の社会は、先の大戦時の時代ような、統制的な、不自由で、不正、欺瞞に満ちた闇黒的な社会に、陥ってしまうことであろう。

 (注:朝日新聞の配達を数年前に、2年間したことのある義理のある販売店の要請と購読の契約で、今年    の末までは、朝日新聞を購読をせざる得ないことが、非常に、無念に思っている。
 
《 § 2 》           



1.誤謬のあった自公政権の近年10年間の経済運営路線によって、経済的な困窮に至る人々が増大していくこの日本の社会で、家計を何とか、節約し、切り盛りさせながら、新聞を購読している人々も、かなりの数になるであろう。

2.その人達は、その購読する新聞に対して、もっと、世の中が良くなって欲しいと必死な気持ちを願いながら、その記事、論調に接するのである。

3.そのような、読者達の貴い汗に基づいて、新聞の購読が、維持されているのである。

4.ところが、その記事、論調に、求められるべき社会的な公正さと正義感がなければ、その読者は、亡失して。その言論に対して、不信を生んでしまうのである。

5.日々に、明日は、今日よりも少しは、社会の状況が、良くなって欲しいと願いながら、その新聞に期待をもって、新聞を購読している人々の姿を思い起こして欲しい。

6.話題がそれるが、敢えて、ここで述べるのであるが、私が、若かりし日に、私の師になった一人の新聞記者(当時60歳を越える)との出会い中で知遇を得た人で、当時の静岡新聞の論説委員の星野芳樹氏は、若き時代に、日本の軍事政権下で、中国の上海で、亡命生活を余儀なくされ、戦争反対の意思を貫き通して、戦争中に監獄の身を置かれた経験を持っていたのであるが、この人の外国での情報の取り方は、2,3等車の列車とか、キチン宿の安い宿に。おいて、庶民との対話の中で、生の声をひろいあげるような努力を進んでしていたのであった。 

 そこを退職して、ケニアにて、しばらくの間は、静岡新聞、朝日新聞の支援もあり、日本アフリカ文化交流協会「ケニヤスワヒリ語学院」を設立し、現地で、日本で募集した若者にスワヒリ語を学ばせていたのである。 その中で、当時の政情不安定のアフリカの各地、各国をめぐり、種々複雑な状況を日本に伝えたのである。また、この人は、戦後すぐ、思想転向し、自由党の国会議員になり、外地からの引き上げ者の促進のために、その努力を注いだ人であった。

7.報道すべき記事は、人から、受身で、情報を与えられて、書くものでは、ないのである。自分から、その庶民の生活に飛び込んでこそ、生の本当の記事が書けるのである。ましてや、政府のある筋からの広報的な宣伝記事など、困窮する国民にとって、一銭の価値もないのである。

 追記:余談になるが、日本が敗戦し、外地からの命からがら、引き上げてきた多くの人たちも、その人の恩恵を受けたであろう。 その困難な道をたどった引揚者の中の一人として、満州からの引き上げてきた公明党の冬柴氏がおられるが、現在のその氏の、国民・国政に対する増長的な政治姿勢は、その貴い人生経験を生かしておらないようである。どのような政治家に対しても、周りの人は、あらゆる場所から、常にその人なりを客観的に見ているのである。 たぶんこの人の人生は、謙虚さを失ったことで、最後は、みじめなものとなるであろう。
もっと、自分の耳で、他を頼らず、国民の声を率直に、謙虚に、耳を傾けるような、一流の政治家になって頂きたいものである。

 【追記1】:
  ここで、改めて、この旅行の企画を支援された当時の静岡新聞の社主 大石氏と静岡新聞の関係者に対して、深く感謝を表明を記させて頂きます。
 当時静岡新聞社主 大石氏は自民党所属の国会議員であった。)

 星野芳樹氏の自邸に、あるとき誘われて出かけたときに、当時の創価学会の幹部であると紹介された市川雄一氏が同席していて、創価学会についての私達の若者の意見を聞かせてほしいとのことであったので、当時の私は、創価学会に関心はあまり、感じていなかったが藤原弘達氏がTV等で創価学会と公明党の正教分離に対する批判を展開していた時代であった。 その時の私の返答は、政治と宗教を何を基準に分けるかは、困難であるから、正教分離はできないのではないか、遠慮なく意見を述べたことを思い出す。 私が当時において、この人に、親しみを感じて分かれたのである。

 後世において、小沢一郎氏と並んで、一々路線の政治路線を進めた創価学会の主流を形成した人であった。 このようなベテランの政治家が創価学会を率いていれば、現在の日本の混迷の深まるような政治状況にはならなかったように思うのである。

 最近、私が Asyura に投稿した市川氏に関係する記事を参考リンクとして、ここに加えてみます。

  Asyura投稿:2009年5月26日
《 Re: 二見伸明:燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(THE JOURNAL)【「小沢問題」の本質は民主主義の根幹に関わる問題である】》

     http://www.asyura.com/09/senkyo64/msg/167.html

 【参考リンク:市川雄一:
     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E9%9B%84%E4%B8%80 】
 
 現在は、創価学会員として、10年近くに渡り、経験した中での私の結論において、創価学会の正教一致の活動に対して、退会したからであろうが、大きな疑問と不信を、生じてもっている。

 後世において、現在は、1998年51歳の時に、ある縁で、創価学会に入会し、その日常活動において、参加していたのであるが、近年の自民・公明党の与党政権による政治・経済路線の大きな疑念を持って、創価学会本部に電話をした時に、私が、創価学会員であり、自分の姓名を名乗り、現在の公明党の取る政策に反対し、民主党を支持することの表明をしたとたんに、電話が、無言電話になってしまったのである。創価学会員の話を受付なかったのである。 こちらは、遠距離の電話賃を気にしながら、電話しているにもかかわらずにである。こちらが、話かけても、電話を切るわけでないのである。 無言のままである。 相手が出ないものであるから、再度電話をかけて、同一人物に、つながったとたんに、再度無言電話であった。電話をかけた者に対して、大変に、失礼なことで、大変に、憤慨したのである。このような態度の人を、創価学会本部において、平然として、電話の応対をさせているのであった。 
 いつものことであるが、創価学会本部の係りの者は、こちらから、名前を尋ねても、決して答えないのである。 話の内容によっては、地方の支部の人は、名前を教えてくれる人もあった。親切な応対をしてくれる年功者の人も多くあったが、このような横柄で、傲慢不遜なこの比較的に若い中堅の者達が、この現在の創価学会本部の主流的な勢力となっている様なのであろう。

 このことが、創価学会を辞める決意をした一つの大きな要因であった。退会した理由は、これだけでないが、2008年の10月に、創価学会を退会したのである。


《 § 3 》

1.先に述べた星野芳樹氏の兄弟で、その長男 星野直樹氏は、満州国の総務長官を経験している人である。

 その満州国において、この星野直樹氏は、岸信介、松岡洋介氏と並ぶ存在の人であった。
 
 【 参考に星野直樹氏のWikepediaを下記にリンクする。 

   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E9%87%8E%E7%9B%B4%E6%A8%B9  】
 

2.星野芳樹は、その3男であった。芳樹氏には、共産党の活動の中での亡命生活中に韓国人の鄭氏との間に生まれて韓国内で、生まれ母親の手で育てられた隠された娘《このことは、おそらく身内には、伝えずに、あの世に旅たって行ったのであろう。》その娘の子である長男と長女が現在において、存命されているはずである。  【Asyura投稿時には、5男 と誤記したのを訂正いたします。】

     【星野芳樹氏の参考リンク】:
       1.  http://www.jacii.net/page004.html  

       2.  http://www.suikodo.com/job/book.html

       3.  http://www.jacii.net/newpage13.html

       4.  http://74.125.153.132/search?q=cache:ER8cwTV3NiAJ:www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/syuisyo/005/touh/t005003.htm+%E6%98%9F%E9%87%8E%E8%8A%B3%E6%A8%B9&cd=5&hl=ja&ct=clnk

 当時の静岡在中の大学生(当時の県立静岡大学、静岡薬科大学、東海大学海洋学部)から、選ばれた私達4人を乗せて、老齢にもかかわらず韓国への日本からフェリーを使い、自動車での韓国旅行を引率し、実子の娘とプサン市で合流して、同行されたのである。その娘さんの通訳で、快い旅となった。

3.私が訪れた当時の韓国の政権は朴大統領であった。フェリーでプサン港に上陸し、すぐに、私達一行は、KCIAの人に、監視されたようである。 当時のプサン港は、地方の小さな漁港のようなものであったが現在のプサン港は、世界的でも、有数の国際流通港湾になっている。

4.途中慶州市と浦項市に立ち寄って、浦項市では最新式の鉄鋼所の新設のための港湾施設造成の最中であった。当時の八幡製鉄所の協力のもとで、浦項製鉄所が作られようとしていた。

5.ソウル市では、現在のサムソン財閥:三星財閥を率いる三星物産の会長の李氏の本人が、自ら、私達一行を迎えてくれて、懇談をしてくれた。その理由は日本から、きた若い人の意見を聞きたいとのことからであった。私は、その時に、会長に、遠慮なく、次のように話しをしました。(韓国において、これからも、まだやるべきことがたくさんあるようです。)と伝えたのである。その時代から、すでに、40年経過したサムソン:三星財閥の成長や韓国経済の成長は、すばらしいものになったのである。
 この三星物産の起源は、敗戦となって、日本から、撤収され、現地に返却された施設を政府から融通されて、出発していったようである。

6.ソウル市では、ソウル郊外にある南北を隔てる38度線上の板門店を建物内で、見物したのである。北朝鮮側と厳しい対立がある中で、米国憲兵に守られながらの緊張した場面であった。

7.ソウルでは、成均館大学、高麗大学、李花女子大学生等との楽しい懇談も行われた。その間に東亜日報新聞社や朝鮮日報の人々にも、非常にお世話になったのである。

8.国や国籍が違えても、若者同士の心や思いは、会話をすれば、相互に通じるものであることを経験できたのである。これが、この旅行の最大な成果となったのである。 人生における最大な贈り物になったのである。

9.そのような青年達を、権力者の都合で、再び、悲惨な醜い戦場につかせてはならないのである。

10.戦前までは、長い間、日本の植民地支配で、ソウル市に日本の総督府が置かれていたのであるが、植民地の象徴として議論の中で、近年その建物が取り壊されることになったようである。

11.戦前には、当時の日本政府は、韓国の人からは反発を受ける中で、軍事強制的に日本語で、教育を行ったのである。

12.名前は、覚えていないので申し訳ないのであるが、途中で、立ち寄った50歳代頃のある市長は、私達を親切で、丁寧に迎えて、私達と懇談の中で、私達に、《夏草やつわども達の夢の跡》と日本語で親しく語ってくれたことに感動し、今も思い出される。 この言葉は、訪れた日本人の若者に対して、戦争の無意味さを示す教訓として、話をなされたのであろう。当時の殖民地主義の日本語強制の教育制度の中で、生き残るがために、必死で、学んだのであろう。

13.日本に帰って、翌年後に、当時の大統領選挙で、朴大統領を凌いでいたとの世評もあった金大中氏は、本国を避けて、日本に滞在し、日本の政治家や日本の世論に、自論の広報をしていたのであるが、朴政権の圧力で、日本からの拉致事件が、発生したのである。その後において、朴大統領は、その身内の側近によって、拳銃で殺されたのである。金大中氏が大統領になったのは、朴大統領から2人、3人が大統領となって、金大中大統領はその後である。その後に 先日、自殺(?)したと発表された盧 武鉉(ノ・ムヒョン、노무현)大統領から、引き継いだ現在の李明博大統領が政権を担っている。 この李明博(イ・ミョンバク)大統領の育ちは、親が日本に強制連行されて日本で生活する中で、生まれ育ったのである。 日本にうらみを持って当然であろうが、この大統領は、親日的である。立派な精神を有してがんばっておられる。 睡眠時間も4,5時間程度で、その政務に励んでおられるとの報道もあった。

 国内的には、不安定な韓国政権や韓国の人々は、取り巻く国際的な力に翻弄されながらも世界へ活動を拡げることに成功しているのである。

 日本にとって、隣国であるこの韓国民族は、歴史の中で、幾度かの戦争状態や紛争があったのであるが、日本の文化の源流には、この韓国民族の帰化人等の活躍によって、築き上げられた文化源流が、この日本に強く影響しているのである。 

 モンゴル系統の同じ顔、姿である。朝鮮半島から、その地の戦乱で、逃れてきた人々が私達の日本の先祖であったかもしれないのである。 その温故ある民族に対して、人種的な差別等の扱いをしてはならないのである。差別する人は、自分達の先祖につばをかける行為と同然であることに、気がつかなければならないのである。
 
14.旅行から帰り、その年の4月から、就職し、社会人として、歩みを始めた。その星野芳樹からの連絡で、国会近くの尾崎行雄(咢堂)記念館での、バングラデッシュ独立の記念の会合に、誘われてでかけたが、そこに、当時自民党総裁候補として、田中角栄氏と争っていた福田赳夫氏にバングラデッシュの大使との通訳を駆ってでて相互間に紹介をしていた。 その数ヶ月後に、私は福田赳夫氏が総裁選で選ばれると予想していたのだけれど、天の声の間違えもあると福田氏はコメントを公表していた。
 
  (参考リンク: 尾崎行雄 Wikipedia :
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%A1%8C%E9%9B%84   )
  
  (参考リンク: 福田赳夫 Wikipedia :
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E8%B5%B3%E5%A4%AB  )


 大分、言論についての本論から、外れて、申し訳ありませんでしたが、これも、老婆心の思いで、国や国籍が異なっても、若い人々が、仲良く、相互に協力して、生きていくことが、大事な大きな時代の流れだと考えるからである。


【 結論 】
 
 言論報道は、あくまでも、政権の片方に、肩入れや不公平な報道をして、国民の撹乱の要因になってはならないのである。

 新しい社会を築き上げ、時代を形成する原動力は、若者にあるのである。 この大事な若者達をこのような社会状況に陥らせた現自民・公明党与党政権は、この責任を、国民から求められているのである。 

 若者は、この状況を抜け出すために、社会的な正義の旗を高く掲げて、声を張り上げて、非暴力的な言論闘争を開始していかなけれならないのである。 自信と勇気を持って進めば、恐れることや恐れる者など存在しないのである。

参考リンク:Asyura投稿: http://www.asyura.com/09/senkyo64/msg/167.html
-------------------------------------------------------------------------------------

http://blog.with2.net/link.php?847650
人気ブログランキングへ

Scuba diving in Hawaii

Friday, July 3, 2009

音で見る:「イルカ等の反響定位」を人で訓練(動画)

音で見る:「イルカ等の反響定位」を人で訓練(動画)

http://wiredvision.jp/news/200907/2009070223.html

Translate