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【引用以下の通り】
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植草一秀の『知られざる真実』
2010年3月18日 (木)
密約擁護発言を繰り返す岡田外相罷免を要請
「核密約」が存在したことを政府が公式に発表した。
「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずとの非核三原則」は日本政府が繰り返し表明してきた基本方針であり、国会決議事項でもある。
ところが、実際には日本の非核三原則に反する密約が存在した。
岡田克也外相から密約の検証を委嘱された有識者委員会(座長=北岡伸一・東大大学院教授)が、3月9日に日米関係に絡む四つの密約についての報告書を出した。
このことについては、すでに3月10日に、
と題する記事を掲載した。
四つの密約とは、
①核持ち込みに関する「密約」(1960年1月の安保条約改定時)
②朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動に関する「密約」(1960年1月の安保条約改定時)
③有事の際の核再持ち込みに関する「密約」(1972年の沖縄返還時)
④原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」(1972年の沖縄返還時)
である。
委員会はこのうち①、②、④の3つを密約と認めたが、69年に交わされたとされる③有事の際の核再持ち込みに関する「密約」については、政府内で引き継ぎがされていなかったため「必ずしも密約とは言えない」と結論付けた。
この点については、「ふじふじのフィルター」様が指摘されているように、外務省が外務省の責任とならないように判断を回避したものであり、本来は岡田外相がリーダーシップを発揮して、「密約」の一形態であることを率直に認めるべきであった。
政府が国民を欺き、国会で繰り返し虚偽の答弁を繰り返してきた。
この問題の重大性は、日本国憲法が定める国民主権の大原則をなし崩し的に無意味にしてしまう点にある。
政府が主権者である国民に気付かれないように、主権者である国民を騙し、虚偽を押し通して良いということになってしまうのだ。
自民党はこの問題の主犯であり、自らの過去を強く非難したくないのかも知れないが、驚くべきことはメディアがこの問題を極めて軽く扱っていること、さらに、民主党議員までが強い非難を示していないことだ。
社会民主党の保坂展人氏はブログ「保坂展人のどこどこ日記」に、
と題する記事を掲載された。
保坂氏の記事から重要部分を転載させていただく。
「「核密約」の報告がされた。これまで国会で、歴代総理と外務大臣に「ウソ八百」の証言をさせてきた外務省幹部、そして自民党の責任は重い。普天間問題でも「オスプレイを配備するアメリカの計画は日本の国会や沖縄県には『聞いていない』『知らない』ということで通す」という防衛省の「ウソ八百」は、政権交代のドサクサまぎれに「当然ながら、オスプレイ配備の予定があります」とひっくり返った。
官僚答弁禁止の前に、国会法を改正し、「ウソの答弁禁止法」を制定するべきではないか。今の国会では、議員証言法にもとづく証人喚問以外は、「ウソ八百」答弁は、大手をふってまかり通る。昨年の外務省国連分担金追及で、外務省は「5年の保存期間を過ぎた書類はすべて廃棄しているので、外務省として国連に10年前にいくら支出したのかを把握出来ません」というトンデモない答弁をしている。
ウソの答弁禁止について、「言い間違い」「記憶違い」などは除外して、「本当か」「間違いないか」と議員から確認、再確認されながらウソの答弁を繰り返した者は、一定金額の過料(行政罰)を課して、新聞・テレビなどの報道機関に写真入りの「訂正報告」をすることを義務づけたらどうだろうか。
国会は国権の最高機関である……と言いながら、自民党長期政権下で、「核密約」に代表されるような「ウソ八百」を繰り返してきた外務省歴代幹部、また外務省の答弁書を読み上げるだけだった外務大臣や総理は、野党やメディア、そして国民を欺いたことになる。ウソを言われたら国会は終わりだ。その虚偽情報を前提に、無駄名時間と金が費やされる。
官僚答弁を廃止して、「政務三役」が答弁席に立つのだという。自ら精通していな分野に官僚たちが作成した答弁書を読み上げ、それが虚偽だった場合は処罰されるというのでは「政治主導」ではなくて、「官僚の楯」に政治家がなるということだ。
「ウソの答弁禁止法」は、かつて中村敦夫元参議院議員と私で本気で法案検討をしたことがあったアイデアだ。「ウソの答弁禁止」というのは当たり前だが、別の角度から見れば「ウソはついた方が勝ち」という国会対応を許してきたのが自民党政権だった。
もちろん、ウソの定義=適用条件を厳密・厳格にする必要はあるだろう。ただ、「核密約」を伝えるメディアの論調にも、なぜ「ウソ八百」の国会答弁が許されるのかという指摘がないのは、不思議な国である。」
(ここまで保坂氏執筆記事の転載)
つまり、現行法体系の下では、議員証言法にもとづく証人喚問以外は「ウソ八百」答弁を処罰することができないというのだ。
現行法規に国会での虚偽答弁を罰するための法制が十分に整備されていないのであれば、保坂氏が提唱するように、直ちに、国会での虚偽答弁を処罰するための法制を整備するべきである。
主権者である国民は、国会での虚偽答弁が容認されるとするなら、真実を知り得る方法を持たないことになる。主権者である国民は真実の情報を知る権利を有し、その真実の情報に基づいて選挙の際に主権者としての権利を行使して、自らの代表を国会に送り込むのである。
この問題で看過できないことは、岡田克也外務相が密約について、国民に嘘を述べ続けてきたこれまでの日本政府を擁護する発言を繰り返していることだ。
この発言は、言い方を変えれば、今後も政府は国民に対して嘘を言い続けるかも知れないことを表明するものである。
岡田氏は日米安保を取り巻く当時の国内政治情勢と米ソ冷戦の激化の状況を踏まえれば、政府が国民に嘘をついてきたことも理解できる旨の発言を繰り返している。
このような人物が現職閣僚を務めていることを主権者国民は絶対に容認できない。岡田氏は直ちに発言を撤回するか、撤回しないのなら外務相を辞任するべきである。
60年安保の時代にさかのぼっても、すべてを決定する権限は国民にあることを忘れてはならない。国会議員、その延長上にある内閣は、あくまでも主権者である国民の負託を受けた存在なのである。
主権者国民の判断がどのようなものであっても、主権者国民のためには安保改定に踏み切らざるを得ない、と判断する権限を内閣は保持しないのだ。
主権者国民が国会議員を選出し、国会が内閣を組織して内閣が行政権を担う。内閣は法令の規定に基づいて職務を遂行することができる。しかし、この規定のなかに、国民を欺いて行動する自由は定められていない。
テレビ番組の司会者のなかには、密約は他国においても見られることだとして、国民に対する虚偽説明を正当化する主張を示すものがいるが、他国に事例があるかどうかが事の正否を判定する根拠になるはずがない。不法行為は他国に事例があれば合法行為になるとでも言うのか。
政治家が信念と責任を持って行動するなら、主権者である国民に自らの考えを示したうえで、国民に信を問えばよいのである。主権者である国民が諾とするなら実行すればよい。否とするなら強行する権限を内閣は有さない。
国民主権、人民主権の根本がないがしろにされていることに唖然とする。
60年安保は岸信介内閣が総辞職し、池田内閣が所得倍増計画を打ち上げ、空気を変えてしまったために、蓄積されたエネルギーが雲散霧消してしまった。
国民世論を操作する手法の前に、主権者国民は目をくらまされてしまったのだ。
国民を欺く政治を肯定する岡田克也外相の発言は断じて許されるものでない。こうした当然の声があがらないことが、極めて不思議に思われる。
密約の存在を明らかにしたことは正しいが、政府が主権者国民を欺き続けてきたことを正当化する岡田外相は糾弾されなければならない。岡田氏はこれまでの自民党政権を強く批判できない、何か後ろ暗い事情を背負っているのであろうか。歴代総理大臣、外相などに対する参考人招致が求められるが、その前に岡田外相の見解を徹底的に糺すことが不可欠だ。
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