何 彤慧(寧夏大学資源環境学部副学部長) 2010年 3月 9日
湿地の基本概念と機能
湿地とは水陸が交じり合った境界面における生態系の類型の一種であり、伝統的な定義によれば、地球上のすべての沼沢、泥炭地、湿原、湖、河川、氾濫した水が排水されず残った地域、河口三角州、干潟、貯水池、池、水田及び低潮時に水深が6mよりも浅い海域はすべて湿地の範疇に属する。湿地は実際には水圏と大気圏、土壌圏と生物圏が相互に作用する境界面であり、すべての陸地の淡水域及び汽水域並びに沿岸の塩水域を含むものである。国際的には通常森林、海洋及び湿地を地球三大生態系と称しているが、国際連合環境計画世界自然保全モニタリングセンター(UNEP-WCMC)の観測によると、地球上の湿地面積は約570万km2であり、地球の陸地面積の6%前後を占めるという。
湿地の生態系は地球の生態系において欠かすことのできない働きをしている。二酸化炭素の固定、空気と水質の浄化、汚染物質の分解、水の調節などの機能を果たすことは言うまでもないが、湿地は地球の生物の多様性が最も豊富な生態系の類型の一つなのである。湿地は地球の重要な種の倉庫かつ遺伝子ライブラリーとして、そして種の動く回廊として、地球と各地域の生態バランスを守るために重要な役割を果たしている。
中国の湿地の状況
1995年~2003年、中国国家林業局は全中国の100hm2より大きい湿地を対象に第一次湿地調査を行ったが、その結果は次の通りである。中国に現存する湿地の総面積は3848.55万hm2であり、これは中国国土の総面積の約3.77%を占めている。そのうち臨海湿地は594.17万hm2であり、これは湿地総面積の15.44%である。また、河川湿地は820.70 万hm2であり、これは湿地総面積の21.32%である。同様に湖湿地は835.15万hm2で21.70%、沼沢湿地は1370.03万hm2で35.60%、池湿地は228.50万hm2で5.94%である。また、この調査は中国の湿地の生態系が2200種以上の野生植物と1770種以上、鳥類だけでも271種もの野生動物を育んでいることを明らかにした。自然および半自然の湿地は多くの種、特に水鳥のために生息地を保存しており、このおかげで多くの野生生物が生存を脅かされず安全に繁殖していけるのである。
ただ、第一次中国湿地全面調査は明らかに精度の低いものであったことから、現在中国国家林業部は最小単位面積を8 hm2まで下げて第二次湿地資源全面調査を組織的に展開している。とはいえ、第一次湿地全面調査が中国の湿地の全体的な特徴を明らかにしたということもやはり事実である。湿地の構成類型から見ると、沼沢湿地が中国で最も重要な湿地類型である。これは主に東北の三江平原と大小興安嶺や長白山などの山地に、次いで四川西北部の若爾盖高原と青海チベット高原地区に分布している。次に、湖湿地と河川湿地の面積は同じぐらいである。前者は全国的に分布しているが、東部の平原地区と西北・西南の高原または高山地区に多い。後者は主に水系網が比較的密集している中国東部の季節風気候地域に分布しており、なかでも長江や珠江などの大河の中流下流地域に多い。また、臨海湿地は沿海の11の省、市、区および香港・マカオ・台湾地区に分布している。
さて、中国はアジア最大の湿地面積を持つが、国土面積に占める比率は日本の半分、バングラディシュの1/10に過ぎず、国際平均水準(6%)にも遠く及ばない。このことから、現代中国は湿地不足の国であると言える。
しかし、歴史をさかのぼってみると、千百年前、さらには数十年前においても中国の湿地面積は現在よりもはるかに広いものであった。例えば、洞庭湖は現在面積2650km2で中国第二の湖であるが、秦漢帝国期には雲夢沢といい、前漢の大文学者である司馬相如は『子虚賦』においてこれを「九百里四方」と称している。現代の基準で考えると、これは概ね東西は大別山脈から鄂西山地に、南北は長江から大洪山地区にいたる総面積2万km2に当るものと考えられる。この湖の面積は20世紀初期でもまだ6000 km2以上であったが、1949年には4250 km2にまで縮小してしまった。付け加えるならば、司馬相如は「楚に七沢あり」とも述べているが、雲夢沢はそのうちの最小のものに過ぎなかった。また、中国の歴史的名著である『水滸伝』で四方八百里という梁山泊は先秦時代には大野沢と呼ばれていたが、『周易』はこれを「雨期にはよく保水し、急に洪水になってあふれ出ることがない。乾期にはよく貯水し、旱魃にあわてることがない。」と述べている。現在面積627 km2の東平湖はこの梁山泊のなごりと見られている。大野沢から梁山泊、そして東平湖へと、黄河とその支流の影響を受けて、増水時には湖に減水時には水田にという変化を繰り返してきたが、総体的な趨勢としては湿地は年を追うごとに縮小してきている。
このような湿地の消失は、古代においては気候、河流の変化、地形変化などの要素の影響を受けるものが多かったが、近現代においては主に人類の活動の結果である。湿地地帯は日当たり・温度・水量・空気の組み合わせが比較的良好な地域が多く、また地形も低平地であるため、排水をすれば容易に耕地に開発することができる。このことから、世界各国において、湿地地帯は耕地となりうる予備資源として長い間みなされてきたのである。例えば、中国東北部で1960年代に始められた開墾活動は、主に沼沢や湿地を開発するものであった。この結果、「北の大荒野」は「北の大食糧庫」に変貌し、東三省は中国最大の商品食糧基地となったのであるが、三江平原の湿地は1950年代初めの530万hm2から今日の113万hm2まで減少してしまった。耕地面積が土地面積に占める比率が開始前の3%から32%に上昇したのはその代償である。また、中国の臨海マングローブ湿地は20世紀中ごろの6万hm2から近年の2.2万hm2に減少してしまい、臨海の干潟も半分以下に縮小してしまった。これも過度な農業および工業開発の結果である。
中国における湿地の回復を目指す活動
1992年、中国は全世界の政府で組織する「ラムサール条約」に加入し、湿地の回復を目指して動き始めた。そして、1990年代中ごろから、より明確には20世紀に入ってから、中国では湿地の回復と復旧を旗印とする「湿地ブーム」が起こった。これは、中国各地、特に河川沿岸や都市地域の湿地には「起死回生」のものであった。ここ20年に中国で実施された湿地回復のプログラムとプロジェクトは、概ね以下のように分類することができる。
1.水田の湖への返還
水田を湖に戻す活動あるいは耕地を湖に戻す活動は中国最大の湿地回復活動であり、長江流域がこの活動の主な実施地域である。長江は中国一、世界第三の長さを誇る河川であり、その全長は6211kmである。その間には大小700以上もの支流が流れこみ、河川と湖の巨大なネットワークを形成している。特に湖北省宣昌市からの長江中流域と江西省湖口市からの下流域は、中国の淡水湖上位5湖、すなわち洞庭湖、鄱陽湖、太湖、洪沢湖、巣湖をすべて擁しており、その湖の面積は全中国の湖の総面積の60%以上を占めている。この長江流域の湖は、唐宋時代以来1400年以上にわたって常に干拓改造による利用の対象であった。しかし、1998年には長江流域に大洪水が起こり、鄱陽湖や洞庭湖を含む長江中下流域の経済的損失は直接的なものだけでも1345億元にのぼった。この結果、中国政府は水田を湖に戻す活動の緊急性を認識し、「堤防を整備し、水田を湖に戻し、住民を移動させて都市を建設する」という解決方針を立てた。こうして、1999~2003年の5年間に長江本流において水面を1400km2回復させ、中国一の淡水湖である鄱陽湖の水面面積を3950km2から5100km2に、第二の淡水湖の面積も35%拡大して、貯水容積を約130億m3増加させたのである。
水田を湖に戻す活動のもう一つの重点地域は都市周辺である。これは、湿地の生態系が都市の生態系を拡大するのに最も有利な選択肢であるとみなされているからであるが、そのほかにも都市に独特な景観を与え、旅行・レジャー産業の発展に役立つということもある。こうして、長江デルタ地帯の中程度以上のほとんどすべての都市には、水田を湖に戻す活動を通してそれぞれ天然と称する湿地が形成された。杭州市の西渓湿地、秦州市の溱湖湿地、無錫市の長広渓湿地、常熟市の尚湖湿地、紹興市の鏡湖湿地、温州市の三篛湿地などがそれである。
2.囲い込んでの保護
自然保護区を建設し、湿地を囲い込んで保護することによって人間による影響を減らすことは、湿地の生態系を回復させる有効な方法である。中国が1980年代から建設を開始した自然保護区にも湿地生態系は含まれていたが、大々的に建設を開始したのは90年代に入ってからである。2003年においてすでに建設が完成した、または建設中の国家レベルの湿地自然保護区は、内モンゴルオルドスのダライ湖、遼寧省の双台河口、吉林省の莫莫格、向海、黒龍江省の三江、興凱湖、扎龍、江蘇省の大豊、安徽省の升金湖、江西省の鄱陽湖、山東省の長島、黄河デルタ、湖南省の洞庭湖、広東省の内伶仃-福田、湛江マングローブ林、海南省の東寨港、四川省の九寨溝、若爾盖、甘粛省の尕海-則岔、青海省の隆宝、青海湖、三江源、新疆ウイグル自治区のバインブルグ、ハナスなど30か所以上である。省レベルおよび省レベル以下のレベル別湿地の自然保護区は300余りにも達する。また、地球環境基金の資金援助の下、黒龍江省の三江平原湿地、四川省西部と甘粛省南部の若爾盖湿地、江蘇省の塩城湿地、湖南省の洞庭湖湿地に重点的な湿地管理・保護活動が展開され、これらの重点湿地の退化傾向を食い止めている。
3.水を移動による補給
湿地が多くの地域において退化しているのは、主に水のバランスが失われているためである。このことから、湿地の生態系が必要とする水を保障することは、湿地の回復の根本的な対策の一つとなる。そこで、中国は2000年より北方の黄河流域と内陸の河川の流域において、流域水資源の統一的な管理と合理的な調整を行い、生態系を保障することを目標とする水の移動・補給活動を開始した。例えば、黒河はタリム河に次ぐ中国第二の内陸河川であり、祁連山北壁に水源を発し、河西回廊を経て内モンゴル自治区の砂漠に消えるまでに、東西の居延海という二つの終端湖を形成していた。1950年代のこの二つの湖の面積は267km2および35km2であったが、上流での大量の灌漑用水利用のため、年々水量が減少して水域面積も縮小し、さらには2回にわたって完全に枯渇してしまった。この結果、居延オアシスでは毎年26の胡楊林、ホソバグミ林、ギョリュウ林が死滅する事態となってしまった。そこで、2000~2009年に21回にわたって黒河の調整を行い、居延河の水域面積を40km2に維持した。これによって、居延海の湿地が消滅し、オアシスが縮小する局面を基本的に転換したのである。また、新疆ウイグル自治区のボステン湖とアクス河からタリム河へ緊急送水する、黄済津から緊急に水を引き入れて黒龍江省扎龍湿地の生態系に水を補給するなどのプロジェクトは、すべてこれらの湿地の水不足問題を有効に緩和しており、湿地の生態系の状況を改善してきた。
4.湿地汚染の防止と分解
水質汚染は中国の湿地保護が直面している重要な問題である。湿地は一定の汚染拡散防止・分解作用を持っているが、著しい水質汚染は湿地を悪臭のする湖やどぶ川に変えてしまって、生態系の機能を完全に喪失させてしまうのである。第一次中国湿地全面調査の結果明らかになったのは、中国全土の重要な湿地の30%が生産廃水や生活廃水による汚染の脅威にさらされているということである。1980~1990年代の工業化・都市化の急速な進展にともなって中国の湿地汚染は年々深刻化し、大都市周辺の湖の水質は多くはⅣ類やⅤ類となり、ひどい場合にはⅤ類よりも劣化してしまった。そこで、1990年代後半以降、中国は主要汚染物質排出総量規制計画など国家レベルの計画を実施し、中国全土に工業汚染企業の排出基準達成と重点都市の環境質量基準達成を目指してきた。汚染源管理によって「三河、三湖、二区、一市、一海」(すなわち、淮河、海河、遼河、太湖、巣湖、滇池、北京市、渤海)の汚染の除去に重点を置いてきたのである。これは、淮河本流や海河・遼河の流域の汚染水準を下げ、太湖と巣湖の水質悪化傾向に基本的な管理を加え、滇池の富栄養状態や渤海海域の汚染も軽減し、北京市の生態環境を大きく改善するものであった。この結果、2003年の中国全海域のⅡ類海水面積は8.0万km2で前年比3.1万km2減、Ⅲ類海水面積は約2.2万km2で前年比0.3万km2減、Ⅳ類以下の海水面積は2.5万km2で前年比0.1km2減、その他はすべてⅠ類海水となった。これは全体的に汚染傾向が緩和していることを表している。また、近年中国は汚染が深刻な江蘇省陽澄湖、溱湖、新疆ウイグル自治区のボステン湖、内モンゴルのウランス海に重点を置いて湖湿地の富栄養生物管理モデル事業を展開し、基本的な成果を収めた。
湿地の回復から湿地生態系の回復へ
2005年の春から夏にかけての北京の円明園の湖底漏出防止工事は、湿地をどのように整備すればいいのかということについて、中国全土を巻き込んだ論争を引き起こした。円明園とは明、清両王朝の皇帝家の庭園であるが、1860年と1900年の2回にかけて英仏連合軍や8か国連合軍に侵入され、放火、破壊、略奪されてしまった。このことから、円明園は中国内外に非常に広く知られるようになった。さて、その円明園の湖底漏出防止工事は2004年に始まった。その主な工法は合成樹脂の薄いシートを福海の湖底に広げ、湖水の漏出を防ぐというものであった。しかし、工事がほとんど終わろうかという2005年春、生物学者の張正春が登場し、中国全土の注目を浴びた。資源の効益性か生態系の形成かという対立的な観点をめぐり、一方はこの工事が節水と風景的価値の必要を考慮したものであるとみなしたのに対し、もう一方は工事が湿地の生態系の機能を喪失させることを強調したのである。そして、最終的には中国国家環境保護総局が生態系を強調する側を支持し、シートは取り除かれることになった。基本的にはこの論争が始まってから、中国の湿地回復活動は湿地生態系回復の時代に入ったと言えるであろう。
1.湿地の回復と湿地生態系の回復の違い
湿地の回復とは、概念的に説明するならば、技術または工事的手段を用いて退化しつつあるまたはすでに消失してしまった湿地に修復・再現作業を行い、強く影響を受ける一段階前の景観を再現して、一定のメカニズムと機能を形成する方法のことである。2005年以前の中国の湿地回復プロジェクトは、ほとんどが土木開削、くぼ地形成、水利条件の回復、汚染の防止および管理を核心としたものであった。中には人工的に植物を植えて栽培し、美しい湿地的景観を作り出す湿地回復プロジェクトもあった。このような湿地回復プロジェクトは、湿地の生態系機能を、例えば空気を浄化したり、洪水時に水を蓄えたり、水生動植物に生存環境を提供したりするような機能を、回復することも一般的に可能ではあった。しかし、最も重要な目的はやはり環境美化目標と経済目標を実現することにあった。都市は湿地の回復を通して生態環境容量を拡大し、まったく新しい旅行レジャースポットを構築するなど、いわゆる「ソフト環境」を改善したのである。これによって、多くの都市の政策決定者はまったく新しい人的居住環境を作り出し、都市の競争力を高めることができた。
湿地生態系の回復は、湿地の回復と比べて生態系的な内容をより強調するものである。すなわち、生態工事という手段と生態環境修復技術を用いて、生物の生命代謝活動を回復し、水、土、空気、生物など生態系の各要素をすべて回復させ、湿地生態系の複雑性と安定性まで実現しようというものである。湿地生態系の回復が湿地の回復と本質的に異なるところは、生態系のメカニズムと機能を回復させることを強調し、生態系が影響を受ける前のメカニズムと機能を回復することが最も望ましいとみなす、自然本位の理念にある。これに対して湿地の回復は人間本位のものであり、湿地生態系の回復に直接間接的に人間の価値、すなわちいわゆる生態系サービス価値を付加するものである。ただ、実際には、湿地生態系の回復と湿地の回復はそれぞれ矛盾するものではなく、目標上の位置を表すものにすぎない。すなわち、湿地生態系の回復とは湿地回復の上にある目標であり、湿地生態系の回復後の自己維持を重視する姿勢にすぎないのである。
2.中国における湿地生態系回復の探求と実践
生態系の回復という理念が提出されてから今日までわずか30年余りに過ぎないため、この分野の理論研究は未だ薄弱である。湿地の生態系回復についての研究は特にそうであり、湿地の進化と退化のメカニズム、生態系の効力、評価の指標、回復と修復の技術的方法など、全体的に非常に未成熟である。中国は現在、湿地生態系回復事業を主に湖・沼沢・臨海・干潟湿地に重点を置いて展開しているところである。その主な湿地回復技術は以下の三点に集中している。すなわち、第一に湿地生態系環境回復技術であり、これは具体的には水質の理化学処理技術、酸化池技術、特定および非特定汚染源管理技術、汚染物処理技術、光化学処理技術、沈積物抽出技術などである。第二に生物回復技術であり、これはシードバンク導入技術、生物操作技術、個体群動態制御技術、生物種育成技術、群落メカニズム優化技術などである。第三に生態系回復技術であり、これは生態系メカニズム配置技術、生物多様性構築技術、生態系機能向上技術などである。
汚染によりひどく退化した湿地においては、生態系の回復というものは一つのシステムプロジェクトである。例えば、昆明市西南部に位置し、面積306km2の長江上流域の重要高原湖であり、容水量は16億m3である雲南省の滇池の例を挙げられるであろう。この滇池はもともとは「高原の宝石」と称されていたが、昆明など周辺都市が排出する汚水が大量に流れ込むため、1990年代からは悪臭の湖に変貌してしまった。水質は長くⅥ類より劣る水準であり、藍藻が爆発的に繁茂して臨界状態となってしまったのである。そこで、国家および地方の両政府は、滇池の汚染を抑えるため前後して数十億人民元を投入した。まず前提として都市の汚水の流入を防ぎ、それから湖の入り口となる河口の湿地を回復させるプロジェクトを推進したのである。これは、多様な植物を組み合わせて導入することによって湿地生態系のメカニズムを作り上げ、湿地生態系の退化傾向を食い止めて生物の多様性を回復させるものであった。また、長江下流で江蘇、浙江、上海の三省市境界にある太湖と安徽省の巣湖は、滇池と並び称される中国三大汚染湿地であった。1980年代から何度か藍藻が爆発的に繁茂し、地域住民の生活と工業および農業の生産に深刻な影響を与えてきたのである。そこで、国家および地方はまず主に汚染源の制御――流域内の高汚染企業を閉鎖・操業停止処分にして汚染をなくす措置――を行った。次に、汚水処理場を建設して湖に流入する汚染物を減らした。それから、浚渫――湖底の泥土をさらって汚染物を除去し、修復する措置――を行い、多様な植物を植えて生物の多様性を回復させた。このような4つのプロセスを経て少しずつ生態系を回復させたのである。現在は初めての効果が現れてきている状態である。
次に、軽度の汚染退化湿地の回復に対しては、主に生物回復の措置と育成措置がとられた。例えば、長江河口の崇明島の土手内にある干潟湿地の修復過程には、植物群落の変化の原理を用い、水質が淡水化するにつれて環境に適応する植物の種を分別補充して植え、湿地の生態系の転化過程を早めた。また、南洞庭湖湿地および水禽自然保護区の退化湿地を回復させる際には、人工植苗の造林方式を採用し、外縁樹木の沼沢植生を回復させた。また、人工植草方式を採用して内部の草の沼沢植生を回復させた。さらに、フェンス、隔離帯、品種導入栽培、人工繁殖などの方式を採用して、希少植物を育成し、生物の多様性を形成させた。
最後に、現在の中国の生態系の環境保護、管理、科学研究などについてまとめておきたい。まず、湿地を回復させるのか湿地生態系を回復させるのかは、中国が気候の変化に対応し持続可能な発展への出口を探し出すために重要な選択となるであろう。また、近年そうであったように今後も長期にわたって、中国学術界の研究におけるホットイシューとなるであろう。さらに、全国および地方の基礎的建設か生態系建設かという領域でも、その投資をめぐって熱い論争が繰り広げられるであろう。すなわち、湿地の回復、再建、そして保護は、中国の数多くの生態環境問題において、今まさに最も人々の注意と関心を引きつけている問題なのである。
PROFILE
何 彤慧(He Tonghui):
寧夏大学西部生態研究センターおよび西北退化生態系回復再建教育部重点実験室教授
寧夏大学西部生態研究センターおよび西北退化生態系回復再建教育部重点実験室教授
1964年9月生まれ。寧夏地理学会理事、寧夏ウイグル族自治区自然保護区評議委員会委員、寧夏地名学会理事を兼任。近年は主に人間と地理の関係および環境変化、退化生態系の修復などについて研究、主編集および編集参加の著作が6部、発表研究論文が50編以上。
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