2009年8月25日火曜日

新しい世界への旅立ちのために : 子々孫々が秩序のある安寧なる未来社会で生きることができる希望と歓喜に満ちた未来社会・世界を創生して行こう。

【新しい世界への旅立ちのために】:我々の子々孫々達が秩序のある安寧なる未来社会で生きることができる希望と歓喜に満ちた未来社会・世界を創生して行こう。


【新しい世界への旅立ちのために】

 このテーマは、私のライフワークの重要な主題の一つである。

1.若き学生時代において、自己の人生の歩むべき道を見い出すために、悩み、惑いながらも、周りにいる人々や、友人、恩師等に教えを教示されながら、自分の進むべき道に対して、この道を進むべきか。それとも、別のの道を進むべきかの判断で、大いなる迷いをもって、人生の山また山、谷また谷のような大きな波に立ち向かうような人生を歩み、乗り越えて、今まで無事に生きながらえてきました。

 私が生命を受けた時代は、日本の第二次世界大戦;太平洋戦争の敗戦後まもなくの、昭和22年【1947年】であった。

 この幼少時代においては、日常の生活は、現在の生活状態に比べて、まるで、日常の食事は、質素で、貧困があたりまえの混沌とした困窮なる社会が存在した社会での生活であったのである。


 戦後において、当時の東京の港区麻布に住居を確保した父母と兄弟姉妹4人の6人家族の賑やかな家庭で、育ったのである。

 戦時中において、満州鉄道の建設技術運営管理の一軍人(陸軍中佐)として、海外に赴任していた父は、戦況が厳しくなる中で、軍部上層の命令で、日本に帰還して従事した軍務は、軍部中枢の機密で、企画されたものであたのであろう。
 
 それは、当時の皇居の中心から、天皇が、皇居の外に、退避・非難する地下壕・地下道を建設することであった。

 このことは、私が大学生のの頃に、物静かで、無駄口、冗談を一切言わない昔かたぎの父から聞かされたことであった。

  この地下道は、戦時中に終局的に使われずにすんで、終戦を迎えたようである。、

 大学で土木技術を学んだ父は、このことで、自己の生命を永らえさせることになったようである。

 人生において、何が幸いと不幸を呼び起こすかは、本人には、知りえないことである。


2.現在の日本の社会の状況を省みると、まるで、社会の中に整然とした秩序がまったく欠如され、どこかに、消えてしまったようである。

 日本の政治を始めとして、行政活動、企業活動、公営団体運営等の中核が、不正義の権力支配の構造に覆われてしまっているのである。そこには、無責任な偽善的体質と体系が放置が横たわわっているのである。
 
この根源には 現在の複雑・広範囲にわたる社会活動において、この構造体系を維持していかなければ生存が成り立たないような仕組みと社会的既存の既成勢力の支配や保守のための制度等によって、守られて、温存されているからである。

 このような。社会的な既成の制度の構造・構成における社会活動・社会構造の中で維持されて、温存されている種種の不全に、気がついて、この社会的構造に内在せる社会構造の不全性の病理的原因を突き止めて、この不全に対する再構築を求めること求められ始めてきている。

 、漸(ようや)くとして、世論に、呼びかけと広報活動により、そのような時代要請の広まりとともに、拡大されつつあるようである、  



 2009・8・25 今日はここまでにします。 後日に改めて。記述を続けます。
 

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