植草さん、了解しました。外資に繋がる村上ファンドとオリクッスとを結ぶ偽善売国の政治家、財界人を究明することですね。
1.日本の国民が営々として、汗して、積み上げた形成された国富を、ダニの如く、吸血鬼の如く、飢えたブタの如くに寄生し、貪る既得権力擁護の官僚と権力支配的な偽善売国の政治家、財界人を、主権者である国民が,営々として、積み上げて創りあげてきた政治、司法、行政の総力で、主権者である国民の前に、国民のための社会的な正義のために、国民のための正義に反する欺瞞的な不当行為・不法によって、収奪をする人々やその悪徳の集団とその偽善的な作為について、そして、その陰謀について、国民の前に、公表しようとするか弱き正義感のある賢人達を、冤罪等で、陥れる悪徳な、悪魔的な人々を主権者である国民の面前において、白日のもとに、公表して、一連托生の不当・不正義の陰謀に対して、国家反逆罪で、合法的に、断罪し、地祭りにして、国家の大事な国法に定められた公正な合法的手続きを経て、裁き、監獄へ送り出せば宜(よろ)しいのですね。
2.既得権力を利用して不当権力行使を行っている官僚、政治家、財界人達の社会的な不当・不正義を正すことが、日本の主権者である国民から、大勢の人々から求められているのである。不正義を正すこと。これが、次期政権に対して、一番重要な案件であると私は考えます。これは、混迷する現在の日本の政治に、対して、国民に信頼を取り戻すための第一の必須条件である。
3.日本の日々に汗して働く人々は、政治的、権力の不当行使や不正義を、厳格に、裁き、この闇黒支配の集団を公的な正義をもって、断罪することを、真実の心で、望んでおられます。
4.社会的不正義に対して、断罪することにおいて、このことは、天地開闢の古来からの厳格な人類社会の法則の中で、確実に行われてきていることであり、そのことを確信し、そして、日本の社会に、厳然と蔓延る(はびこる)不正義を断罪し、日本の社会的、公的な正義を守るべき天地の神々(主権者国民)が、必ずや、その正義のための成就をやり遂げることになるでしょう。
5.その裁きのときは、刻、一刻と、確実に、近づいています。
6.どのような、敵の卑劣な罠でも、恐れる必要などない。
7.あせらず、一歩、一歩を、その暗闇が、明らかにされるように、正義を裁く主権者である国民と、ともに、正義の旗を、高く揚げて、進めば、必ず成就されることが証明されるのである。
8.あなたのインターネット論説の主張を、その悪魔的な力で、不可能とするための陰謀的な工作によって、苦しまれているようですが、そのことに、理解をしている仲間達が、力強く、大勢控えていることを認識して、これからも、がんばってください。
9.悪なる集団は、一見しぶとく、強がりをもって、その怨敵を追い落とすことに、悪知恵にたけているだけで、実体は勇気のない弱い無能力なもの達の集まりである。
10.いざ、その正義のための大風・おおかぜをこの日本中に、巻き起こさん。
11.現在のこの闇黒的な日本を麗(うるわしい)日本にかえるために、正義を掲げた主権者国民の前に、神風を吹かせよ。
12.その時は近いのである。
13.覚悟せよ。自公政権に蔓延るその悪の集団の人々達よ。
14.一人、二人と冤罪で、陥れても、国民による貴き汗で成り立つ税金の収奪のような不適切な運用・搾取によって、陥れても、正義による追求は、止むことなしで、主権者である国民の手によって断罪がなされるでしょう。
15.正義の風を巻き起こすため、あらゆる善知識・知恵を集結させて、その目的の完遂のために、油断することなしに進めていきましょう。
16.主権者国民とともに、勇気と正義の力で、その正義の神風をこの日本に巻き起こしていきましょう。
17.まずは、その悪の集団に取込まれた最大の敵陣である自民・公明党政権に寄りかかる一人一人を善知識・知恵をつかって、確実に、無尽の深き谷底に、2度と再起できないように、合法的な方法により、きれい、さっぱりとして、地獄の暗闇に、徹底的に、つき落とし、国民が決定する公なる正義にて、断罪を進めて行きましょう。
18.国民の期待を裏切り、悪性的な存在と化した自民・公明与党政権の国会議員諸氏は、その因果によって、そのような場所が、その煉獄の地底が、とても良く、お似合いの適時な場所である。 偽善的な権力ではなく真の公明・公正の国民の力を結集させて、究明で、判明された悪人を奈落の底に、つき落として行きましょう。
19、次期政権は、国民のこの期待に応えるために、これを実現させるため、現在の政治・選挙、官僚制度改革、司法制度改革の刷新を、断固として、推し進めねばならないことが国民から求められている。
20.このことを憂いている国民は、正義は必ず勝たねばならぬという信念を持ちて、いざ、出陣の勝ち鬨を揚げたまえ。
元創価学会員より Asyura投稿リンク:
http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/959.html
http://blog.with2.net/link.php?847650
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☆Let us Create Hopeful Future☆
Let's Create a Peaceful World where People are Safe and Conflict free
世界の人口増大に伴って、世界的な大きな課題となってきた食料問題の解決方策及び国際的な雇用創出の増大を目的として、大規模な浮体式洋上構造物上において、世界中の市民の参加による共同組織体制を創生し、地球の約70%の表面積の海洋を有効に利用して、自然再生循環系(Sustainable)の新しい産業・経済体系を創生させるプロジェクト構想を公海の海上に構築する。
例えば、国際的な教育施設も洋上構築物に併設し、洋上での大規模な農林産物・牧畜・水産物の栽培や洋上太陽光発電や洋上風力発電等のプロジェクト等を構築・発展させる。
青年達の夢と希望を世界的な規模に拡げながら、国際的な協力で、希望のある未来のために、平和で、紛争のない、安寧な世界を創って行きましょう。
ノアの箱舟を創ろう Let us Create the Super Ocean-Floating-Structures such as the Noah's ark.
ノアの箱舟を創ろう
Let us Create the Super Ocean - Floating - Structures such as the Noah's ark.
Sunday, July 5, 2009
元自民党幹事長 野中広務氏について。Asyra投稿記事を読んで。
元自民党幹事長 野中広務氏について。Asyra投稿記事を読んで。
出展引用→《 特別インタビュー・野中広務さん 憲法・戦争・平和【しんぶん赤旗 2009年6月27日】》
http://blogs.yahoo.co.jp/aleido_che_guevara/28038793.html
→【出展紹介 http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/645.html 】
投稿者 gataro 日時 2009 年 7 月 02 日 07:41:57:
( http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10291619296.html )
から転載。)
連載 政界地獄耳 赤旗が報じた「野中の声」【日刊スポーツ】
2009-07-02 07:18:50
gataro-cloneの投稿
テーマ:戦争と平和
→【出展引用以下の通り】
『 - - - - - - - - - - - - - - - - ― -
特別インタビュー・野中広務さん 憲法・戦争・平和【しんぶん赤旗 2009年6月27日】
小渕恵三内閣で内閣官房長官を務めた野中広務さん(元自民党幹事長)に、憲法などをめぐって最近思うことを聞きました。野中氏は2003年秋の総選挙を機に衆議院議員を引退。その後、憲法や戦争と平和、政治の原点をテーマに全国各地を講演に歩き、テレビや雑誌上で活発な発言を続けています。
*********************
25歳で郷里の町会議員になり、衆議院引退までの52年の政治生活を通じて「宿敵」だったあなた方(「赤旗」)に私の思いを語るのも、いまの時代が、そうさせるのだと思います。
■議員引退の訳
国会議員を退いて5年8カ月。私は全国各地で、ざっと300回の講演をしてきました。招かれる先にはあなた方と親しいグループや団体、また憲法9条を会もあります。
いま静かに日本の政治を見ると、おかしくなっていく日本を感じます。とくに小泉内閣の5年は、短い言葉で国民を狂わせて、アメリカ型の市場万能主義をそのまま持ち込み、アメリカの権益がかかわる戦場に自衛隊を派遣して日本社会の屋台骨を粉々にしてしまいました。私はこんな内閣と同じ時代に国会議員でいたら後世恥ずかしいと思い、議員退いたのです。
私自身は、軍隊経験は6ヶ月だけですが、あの戦争の時代とその後を体験した人間として、今日ほど日本の人々が、この国の進路を誤らないように明治以後の歴史を振り返り、平和を考えなければならない時はないと思います。
■大政翼賛会に
01年10月、衆院本会議にテロ特措法案の採決がかかったとき、私は、本会場を退場して棄権しました。03年6月のイラク特措法案が採決にかかったときにも本会場を出て棄権しました。この法案が自民党総務会に示されたとき、自衛隊の派遣については慎重であるべきだといったのは、ぼくと野呂田芳成さん、谷洋一さん(ともに元農水相)の3人だけ。あとの議員は「こんなときに何をいっているのだ。自衛隊を派遣するのはあたりまえじゃないか」といってきました。
正直いって僕はむなしさを感じました。自民党は戦争が好きな政党になってしまった。それこそ大政翼賛会時代にもどってしまったわけです。
このできごとに先立つ1997年4月、衆院本会議で僕は、日米安保条約の実施に伴う土地使用にかんする特別委員長としての「沖縄駐留軍特措法改正案」報告で「この法律が沖縄を軍靴で踏みにじる結果にならぬように。…国会の審議が再び大政翼賛会的にならないように、若い人にお願いしたい」と自分の思いをつけ加えました。国会ルール違反と批判され、議事録から削除された経験があります。
しかし、そのあと、特措法を積み重ねて自衛隊は地球の裏側まで出かけていけるようになってしまいました。
私は、振り返って今も三つの特措法に対する自分の当時の判断は間違っていなかったと思っています。
最近、この国のこれからの平和を考えるうえで、僕が一番恐れているのは米軍再編です。米軍は米本土にあった米陸軍第1軍団司令部を座間(神奈川県)に移転させ、そこへ陸上自衛隊の司令部を集結させました。かつて日本は傀儡(かいらい)国家である「満州国」をつくり、そこに関東軍司令部を置いて、中国大陸を植民地化していく橋頭堡(きょうとうほ)をつくりました。あのときの日本の植民地政策と同じ考え方ではないでしょうか。当時と違うのは日本政府が、この米軍再編に3兆円ものお金を出そうとしていることです。
(民主党前代表の)小沢(一郎)さんは、国連の下ではら自衛隊をかいがいに出しいてもいいなんておかしなことをいっています。こんどの総選挙で民主党が政権をとってもわれわれにとっても何の展望も開けないでしょう。また政界再編なんていっても、本当にまともにこの国の行方を決める政治家の集団はできないんじゃないかと思います。
日米間には現在、安保条約があるだけで、平和友好条約はないです。やはり日米平和友好条約を結べる環境をつくらねば、日本はいつまでたっても米国と対等になれないと思います。
■憲法
たしかにいまの憲法にはいろいろ矛盾はあります。しかし、わが国は日本国憲法の掲げる「戦争放棄」「恒久平和」の理念を一つのよりどころにして、自衛隊を海外に出したりすることを「卑怯(ひきょう)者」といわれても避けてきました。
憲法を盾にして戦争に加担しない道を歩んできたんです。このことが戦後64年の平和につながったんです。一つ足を踏み出したら取り返しのつかないことになることは20世紀の戦争の一つ一つが物語っています。
私は、この事実だけは何があろうと忘れてはいけないし、日本はあくまでも憲法の掲げる理念に則(のっと)って国際平和に貢献すべきだと思います。
私自身は、憲法について、9条2項を変えて自衛隊を認め、しかし、海外へ出さないという規定にすべきと考えています。あなた方とは違うかもしれないが、これが実現しないうちは、9条を含めて現在の憲法を守るべきだと思います。
■戦争の傷跡
私の生まれ育った京都府船井郡園部町(現在の南丹市)がある口丹波(くちたんば)といわれる地方には戦争前、マンガンなどの鉱山がありました。
僕は子どものころ、鉱山で働く朝鮮人が、背中にたくさんの荷物を背負い、道をよろよろ歩く、疲れ切ってうずくまるとムチでパチッと叩(たた)かれ血を流しながら、はうようにまた歩き出す、そんな姿を見てきました。また私の家から300メートルほど先に大阪造兵廠(しょう)が疎開してきて、兵器を造るため連行されて来た朝鮮人が同じようにひどい仕打ちで働かされていました。
戦後64年が経過した今も、戦争の傷は癒えていません。未処理の問題も数多くあります。
北朝鮮との国交回復、賠償の問題も残っています。中国に日本が化学兵器や中国残留孤児の問題もあります。多くの未解決の傷跡をみるとき、まだまだ日本は無謀な戦争の責任が取れていないと思います。そのこと自体が被害者の方々にとって大きな傷になっていると思われ、政治家の一人として申し訳ない思いです。
■歴史に学ぶ
幕末から目地維持にかけて「富国強兵」が国是となって日清・日露戦争に突入し、その結果が「満州国」という傀儡国家をつくる、あるいは朝鮮半島を植民地にするという狂った時代をつくり上げてしまいました。美化された明治の改革ではあったけれども、このときのスタートがあの戦争の敗戦まで至っていたのか、そう思うとき、そこに焦点を当てて、もう一度、歴史を学ぶ必要があります。
私は、子どもたちにしっかりと近現代史を教えてこなかったツケが、田母神俊雄・元航空幕僚長のような暴言を吐く人間が出てくるような、悲しい、いまの日本の狂ったような状況に拍車をかけていると思います。
シビリアンコントロールが効かない状況が起きているのを、政治がどのようにチェックし、正常化していくのかというところにも力を置かないと自衛隊内部からの暴発によって日本の平和が脅かされる危険性があると思います。
国の根幹を決めなくてはいけない政治家達が、しっかりした歴史認識にたって、再び誤った道へ走っていブレーキをかけなくてはならないと思います。
去年あたりから「蟹工船」ブームといわれ若い人たちがまともに歴史に向かい合おうという気持ちが出ていることを非常にうれしく思い、また期待もしています。こういう輪が広がることで、日本が再び軍国主義になっていく道が閉ざされて、平和な国としてやっていけるスタート台に立てるのではないかと思います。
そのための種を蒔(ま)いていく使命がわれわれにはあるんじゃないかと思っています。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 』
【以上出展引用終わり】
元自民党幹事長 野中広務氏について。Asyra投稿記事を読んで。
この場を借りて、私の感想を述べて見たい。
特別インタビュー・野中広務さん 憲法・戦争・平和【しんぶん赤旗 2009年6月27日】の記事が
Asyura経由で伝えられていたことで、以前から、野中氏の動向が、気になっていたのであるが、適時、適切な記事に、めぐり合えたと思いました。
私は、共産主義が嫌いで、日本共産党も好きになれないが、今回の赤旗の企画とその読み応えのある元自民党幹事長 野中広務氏のインタビュー記事で、以外な野中氏の心持ちを知って、感動したので紹介いたします。 これを読んで、私として、思想的にも野中氏に、共感できるのである。
野中氏が、現在でも。自民党に所属していたら、このような、共感は、生まれようがなかったであろう。
追記:古巣の現自民党に対する思いと政治全般、人生観に触れられています。
野中弘務氏は、ユニークな人生を歩んでいる。
京都府を選挙の地盤として、若いときから、政治家として、実績を積み上げて、自民党田中派に所属して、自民党の幹事長になり、一時は自民党の総裁を獲得出来るほどの実力があった。
しかし福田派の小泉政権誕生後に、自らの決断で、自民党を去ったのである。 弱者に優しさを秘めている人のようである。
もっと、政治家として、もっと活躍をして頂きたかった人である。 政治調整的な能力は一級であった。
以前、私は、京都市の近くに住んでいたが、建設省発注の公共土木事業の監理業務の仕事の中で、知り合った社員数人の小企業の社長は、この人を応援していた。 建設公共事業の執行では、地元住民の建設反対等が常に生じる。 その事業の遅らせないような対策として、地元の中小企業へのための予算配分や発注事業が考慮されている。 その事業を請負う中小企業にとって、貴重な収入となる事業である。 その中には、一般的な土木店や暴力団筋の土木企業や同和系の企業もあった。
いずれにしても、請け負った工事は、立派に契約履行を果たした。
公共事業は、社会的な弱者に、仕事が、回るような配慮があるのである。 その中には、公言できないようなこともあったが、公共事業に対して、反対され、事業の執行が停止される場合の社会的な損害に比べたら、事業の監理者側の不利益となり、究極的に、税金の浪費になってしまうのである。
公共土木事業は、政府の中小企業のための社会調整の役割を持っているのである。
私は、上記の仕事を契約制で、期間満了として、建設省の上部の判断で、業務上の公に出来ないことを知っている私の契約が打ち切られたのである。 そのことを公表すると、当時の建設省の人と私が、長年世話になり、所属していた建設コンサルタントに迷惑になるので、いままで公表を控えて来ているのである。これは、公金の不正支出に関わる事であった。
現在では、時効きれに、なっているであろう。
その離職後に、そのことに対する反発で、わずかな期間であったが、同和系の小企業に、御世話になったこともある。非常に、歓迎されて、優しい人であった。 その後、その小企業は、数年後に、不渡り倒産をしてしまったことを、知り合いから知らされた。
再度、会って見たいのであるが、かなわないことのようである。
私は、人間の差別には、もともと、思想的に反対なのである。 その意味においても、野中氏に政治的な功罪は別として、この記事を読んで、多くの共感を受けるのである。
これからも、野中氏の活躍を見守りたいと思っています。
参考リンク1.: 野中広務氏のWikipedia を添付します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%AD%E5%BA%83%E5%8B%99
参考リンク2.:Asyura投稿:元自民党幹事長 野中広務氏について。Asyra投稿記事を読んで。
→ http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/826.html
出展引用→《 特別インタビュー・野中広務さん 憲法・戦争・平和【しんぶん赤旗 2009年6月27日】》
http://blogs.yahoo.co.jp/aleido_che_guevara/28038793.html
→【出展紹介 http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/645.html 】
投稿者 gataro 日時 2009 年 7 月 02 日 07:41:57:
( http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10291619296.html )
から転載。)
連載 政界地獄耳 赤旗が報じた「野中の声」【日刊スポーツ】
2009-07-02 07:18:50
gataro-cloneの投稿
テーマ:戦争と平和
→【出展引用以下の通り】
『 - - - - - - - - - - - - - - - - ― -
特別インタビュー・野中広務さん 憲法・戦争・平和【しんぶん赤旗 2009年6月27日】
小渕恵三内閣で内閣官房長官を務めた野中広務さん(元自民党幹事長)に、憲法などをめぐって最近思うことを聞きました。野中氏は2003年秋の総選挙を機に衆議院議員を引退。その後、憲法や戦争と平和、政治の原点をテーマに全国各地を講演に歩き、テレビや雑誌上で活発な発言を続けています。
*********************
25歳で郷里の町会議員になり、衆議院引退までの52年の政治生活を通じて「宿敵」だったあなた方(「赤旗」)に私の思いを語るのも、いまの時代が、そうさせるのだと思います。
■議員引退の訳
国会議員を退いて5年8カ月。私は全国各地で、ざっと300回の講演をしてきました。招かれる先にはあなた方と親しいグループや団体、また憲法9条を会もあります。
いま静かに日本の政治を見ると、おかしくなっていく日本を感じます。とくに小泉内閣の5年は、短い言葉で国民を狂わせて、アメリカ型の市場万能主義をそのまま持ち込み、アメリカの権益がかかわる戦場に自衛隊を派遣して日本社会の屋台骨を粉々にしてしまいました。私はこんな内閣と同じ時代に国会議員でいたら後世恥ずかしいと思い、議員退いたのです。
私自身は、軍隊経験は6ヶ月だけですが、あの戦争の時代とその後を体験した人間として、今日ほど日本の人々が、この国の進路を誤らないように明治以後の歴史を振り返り、平和を考えなければならない時はないと思います。
■大政翼賛会に
01年10月、衆院本会議にテロ特措法案の採決がかかったとき、私は、本会場を退場して棄権しました。03年6月のイラク特措法案が採決にかかったときにも本会場を出て棄権しました。この法案が自民党総務会に示されたとき、自衛隊の派遣については慎重であるべきだといったのは、ぼくと野呂田芳成さん、谷洋一さん(ともに元農水相)の3人だけ。あとの議員は「こんなときに何をいっているのだ。自衛隊を派遣するのはあたりまえじゃないか」といってきました。
正直いって僕はむなしさを感じました。自民党は戦争が好きな政党になってしまった。それこそ大政翼賛会時代にもどってしまったわけです。
このできごとに先立つ1997年4月、衆院本会議で僕は、日米安保条約の実施に伴う土地使用にかんする特別委員長としての「沖縄駐留軍特措法改正案」報告で「この法律が沖縄を軍靴で踏みにじる結果にならぬように。…国会の審議が再び大政翼賛会的にならないように、若い人にお願いしたい」と自分の思いをつけ加えました。国会ルール違反と批判され、議事録から削除された経験があります。
しかし、そのあと、特措法を積み重ねて自衛隊は地球の裏側まで出かけていけるようになってしまいました。
私は、振り返って今も三つの特措法に対する自分の当時の判断は間違っていなかったと思っています。
最近、この国のこれからの平和を考えるうえで、僕が一番恐れているのは米軍再編です。米軍は米本土にあった米陸軍第1軍団司令部を座間(神奈川県)に移転させ、そこへ陸上自衛隊の司令部を集結させました。かつて日本は傀儡(かいらい)国家である「満州国」をつくり、そこに関東軍司令部を置いて、中国大陸を植民地化していく橋頭堡(きょうとうほ)をつくりました。あのときの日本の植民地政策と同じ考え方ではないでしょうか。当時と違うのは日本政府が、この米軍再編に3兆円ものお金を出そうとしていることです。
(民主党前代表の)小沢(一郎)さんは、国連の下ではら自衛隊をかいがいに出しいてもいいなんておかしなことをいっています。こんどの総選挙で民主党が政権をとってもわれわれにとっても何の展望も開けないでしょう。また政界再編なんていっても、本当にまともにこの国の行方を決める政治家の集団はできないんじゃないかと思います。
日米間には現在、安保条約があるだけで、平和友好条約はないです。やはり日米平和友好条約を結べる環境をつくらねば、日本はいつまでたっても米国と対等になれないと思います。
■憲法
たしかにいまの憲法にはいろいろ矛盾はあります。しかし、わが国は日本国憲法の掲げる「戦争放棄」「恒久平和」の理念を一つのよりどころにして、自衛隊を海外に出したりすることを「卑怯(ひきょう)者」といわれても避けてきました。
憲法を盾にして戦争に加担しない道を歩んできたんです。このことが戦後64年の平和につながったんです。一つ足を踏み出したら取り返しのつかないことになることは20世紀の戦争の一つ一つが物語っています。
私は、この事実だけは何があろうと忘れてはいけないし、日本はあくまでも憲法の掲げる理念に則(のっと)って国際平和に貢献すべきだと思います。
私自身は、憲法について、9条2項を変えて自衛隊を認め、しかし、海外へ出さないという規定にすべきと考えています。あなた方とは違うかもしれないが、これが実現しないうちは、9条を含めて現在の憲法を守るべきだと思います。
■戦争の傷跡
私の生まれ育った京都府船井郡園部町(現在の南丹市)がある口丹波(くちたんば)といわれる地方には戦争前、マンガンなどの鉱山がありました。
僕は子どものころ、鉱山で働く朝鮮人が、背中にたくさんの荷物を背負い、道をよろよろ歩く、疲れ切ってうずくまるとムチでパチッと叩(たた)かれ血を流しながら、はうようにまた歩き出す、そんな姿を見てきました。また私の家から300メートルほど先に大阪造兵廠(しょう)が疎開してきて、兵器を造るため連行されて来た朝鮮人が同じようにひどい仕打ちで働かされていました。
戦後64年が経過した今も、戦争の傷は癒えていません。未処理の問題も数多くあります。
北朝鮮との国交回復、賠償の問題も残っています。中国に日本が化学兵器や中国残留孤児の問題もあります。多くの未解決の傷跡をみるとき、まだまだ日本は無謀な戦争の責任が取れていないと思います。そのこと自体が被害者の方々にとって大きな傷になっていると思われ、政治家の一人として申し訳ない思いです。
■歴史に学ぶ
幕末から目地維持にかけて「富国強兵」が国是となって日清・日露戦争に突入し、その結果が「満州国」という傀儡国家をつくる、あるいは朝鮮半島を植民地にするという狂った時代をつくり上げてしまいました。美化された明治の改革ではあったけれども、このときのスタートがあの戦争の敗戦まで至っていたのか、そう思うとき、そこに焦点を当てて、もう一度、歴史を学ぶ必要があります。
私は、子どもたちにしっかりと近現代史を教えてこなかったツケが、田母神俊雄・元航空幕僚長のような暴言を吐く人間が出てくるような、悲しい、いまの日本の狂ったような状況に拍車をかけていると思います。
シビリアンコントロールが効かない状況が起きているのを、政治がどのようにチェックし、正常化していくのかというところにも力を置かないと自衛隊内部からの暴発によって日本の平和が脅かされる危険性があると思います。
国の根幹を決めなくてはいけない政治家達が、しっかりした歴史認識にたって、再び誤った道へ走っていブレーキをかけなくてはならないと思います。
去年あたりから「蟹工船」ブームといわれ若い人たちがまともに歴史に向かい合おうという気持ちが出ていることを非常にうれしく思い、また期待もしています。こういう輪が広がることで、日本が再び軍国主義になっていく道が閉ざされて、平和な国としてやっていけるスタート台に立てるのではないかと思います。
そのための種を蒔(ま)いていく使命がわれわれにはあるんじゃないかと思っています。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 』
【以上出展引用終わり】
元自民党幹事長 野中広務氏について。Asyra投稿記事を読んで。
この場を借りて、私の感想を述べて見たい。
特別インタビュー・野中広務さん 憲法・戦争・平和【しんぶん赤旗 2009年6月27日】の記事が
Asyura経由で伝えられていたことで、以前から、野中氏の動向が、気になっていたのであるが、適時、適切な記事に、めぐり合えたと思いました。
私は、共産主義が嫌いで、日本共産党も好きになれないが、今回の赤旗の企画とその読み応えのある元自民党幹事長 野中広務氏のインタビュー記事で、以外な野中氏の心持ちを知って、感動したので紹介いたします。 これを読んで、私として、思想的にも野中氏に、共感できるのである。
野中氏が、現在でも。自民党に所属していたら、このような、共感は、生まれようがなかったであろう。
追記:古巣の現自民党に対する思いと政治全般、人生観に触れられています。
野中弘務氏は、ユニークな人生を歩んでいる。
京都府を選挙の地盤として、若いときから、政治家として、実績を積み上げて、自民党田中派に所属して、自民党の幹事長になり、一時は自民党の総裁を獲得出来るほどの実力があった。
しかし福田派の小泉政権誕生後に、自らの決断で、自民党を去ったのである。 弱者に優しさを秘めている人のようである。
もっと、政治家として、もっと活躍をして頂きたかった人である。 政治調整的な能力は一級であった。
以前、私は、京都市の近くに住んでいたが、建設省発注の公共土木事業の監理業務の仕事の中で、知り合った社員数人の小企業の社長は、この人を応援していた。 建設公共事業の執行では、地元住民の建設反対等が常に生じる。 その事業の遅らせないような対策として、地元の中小企業へのための予算配分や発注事業が考慮されている。 その事業を請負う中小企業にとって、貴重な収入となる事業である。 その中には、一般的な土木店や暴力団筋の土木企業や同和系の企業もあった。
いずれにしても、請け負った工事は、立派に契約履行を果たした。
公共事業は、社会的な弱者に、仕事が、回るような配慮があるのである。 その中には、公言できないようなこともあったが、公共事業に対して、反対され、事業の執行が停止される場合の社会的な損害に比べたら、事業の監理者側の不利益となり、究極的に、税金の浪費になってしまうのである。
公共土木事業は、政府の中小企業のための社会調整の役割を持っているのである。
私は、上記の仕事を契約制で、期間満了として、建設省の上部の判断で、業務上の公に出来ないことを知っている私の契約が打ち切られたのである。 そのことを公表すると、当時の建設省の人と私が、長年世話になり、所属していた建設コンサルタントに迷惑になるので、いままで公表を控えて来ているのである。これは、公金の不正支出に関わる事であった。
現在では、時効きれに、なっているであろう。
その離職後に、そのことに対する反発で、わずかな期間であったが、同和系の小企業に、御世話になったこともある。非常に、歓迎されて、優しい人であった。 その後、その小企業は、数年後に、不渡り倒産をしてしまったことを、知り合いから知らされた。
再度、会って見たいのであるが、かなわないことのようである。
私は、人間の差別には、もともと、思想的に反対なのである。 その意味においても、野中氏に政治的な功罪は別として、この記事を読んで、多くの共感を受けるのである。
これからも、野中氏の活躍を見守りたいと思っています。
参考リンク1.: 野中広務氏のWikipedia を添付します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%AD%E5%BA%83%E5%8B%99
参考リンク2.:Asyura投稿:元自民党幹事長 野中広務氏について。Asyra投稿記事を読んで。
→ http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/826.html
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