2009年7月17日金曜日

PCB(ポリ塩化ビフェニール)について

【PCB(ポリ塩化ビフェニル)】について;

猛毒のPCB(ポリ塩化ビフェニル)による、汚染は、私達が日常に口にする海洋生物の体内に蓄積しているのである。
  
 これは、物理学の中でいう熱力学の第二方程式のエントロピーの法則原理によるものである。すなわち、物理量の拡散と集積を端的に表すものの例である。

 現民主党党首 鳩山由紀夫氏は、理工系の頭脳で、この原理法則を理解して、友愛のテーゼにもしておられる。



【参考出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)】 

:【抜粋】以下の通り

【出展リンク】:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E5%A1%A9%E5%8C%96%E3%83%93%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%AB

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PCBの構造。ビフェニルの水素が、1~10個塩素に置換されている。ポリ塩化ビフェニル(ポリえんかビフェニル、polychlorinated biphenyl)またはポリクロロビフェニル (polychlorobiphenyl) は、ビフェニルの水素原子が塩素原子で置換された化合物の総称で、一般式 C12HnCl(10-n) (0≦n≦9) で表される。置換塩素の数や位置によって、計算上209種の異性体が存在する。略してPCB(ピーシービー)とも呼ばれる。なお、英語ではプリント基板 (printed circuit board) との混同を避け「PCBs」と呼ばれる事もある[1][2]。

熱に対して安定で、電気絶縁性が高く、耐薬品性に優れている。加熱や冷却用熱媒体、変圧器やコンデンサといった電気機器の絶縁油、可塑剤、塗料、ノンカーボン紙の溶剤など、非常に幅広い分野に用いられた。

一方、生体に対する毒性が高く、脂肪組織に蓄積しやすい。発癌性があり、また皮膚障害、内臓障害、ホルモン異常を引き起こすことが分かっている。

PCBの異性体の中でも特に、コプラナーPCB (Co-PCB) と呼ばれる平面状の構造をとるものは、一般のPCBに比べて毒性が高く、ダイオキシン類にも分類されている。これには29種類の異性体が存在する(例えば、2および2'の位置に塩素の置換が起こると、塩素原子同士が重なり合ってしまうために平面状分子ではなくなる)。

【以上引用終わり】

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巨大企業モンサントの世界戦略(前編) 遺伝子組換...詳細コメントこのユーザーのその他の動画巨大企業モンサントの世界戦略(前編) 遺伝子組換 バイオテクノロジー - 48:31 - 2008/07/12

巨大企業モンサントの世界戦略(前編)の動画の紹介です。
 
 【出展引用リンク】:
 http://video.google.co.jp/videoplay?docid=2219229390528597169&hl=ja

【以下の通り】

巨大企業モンサントの世界戦略(前編)
遺伝子組換...詳細コメントこのユーザーのその他の動画巨大企業モンサントの世界戦略(前編) 遺伝子組換 バイオテクノロジー - 48:31 - 2008/07/12


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Tennessee Waltz - Patti Page (Stereo)

Sweet voice !! This is Patti Page.

Alma Cogan - The Tennessee Waltz

《特別寄稿》 世界連邦と国連改革 の紹介

《特別寄稿》 世界連邦と国連改革 の紹介
   【出展引用リンク】:http://khp-home.web.infoseek.co.jp/WFMI/WFMI-sp1.htm

【以下の通り】ーーーーー
《特別寄稿》 世界連邦と国連改革

世界連邦運動協会副会長  加 藤 俊 作

Last updated: 06/17/2006 00:16:30



*著者と世界連邦運動協会のご好意により、世界連邦Newsletterより転載(書式等は、HP用に改変)。
世界連邦と国連改革(1)

言うまでもなく戦争は人災であって、天災ではない。すなわち、戦争は人間が引き起こす一つの社会現象であり、そこには必ず人為的な原因がある。たとえどれほど熱心に平和を祈願し、戦争反対を叫んでも、もし戦争の原因を追求し、それらを取り除く努力をしなければ戦争をこの地上から廃絶することはできない。このような極めて簡単な事実が案外理解されておらず、戦後60年余が経った今でも相変わらず戦争体験の語り継ぎなどが行われている。このようなことはそれ自体としては尊い行為であるが、肝心の戦争が何故起こるのか、どうしたらこの地上から戦争を無くすことが出来るのかといった議論はあまりみられない。

勿論平和を実現するための諸提案、例えば軍縮とか信頼醸成の努力とか非核武装地帯の創設といったことが行われているのは事実である。しかし、それらの努力が世界の恒久平和の実現という究極の目標とどのように関わっているかは必ずしも明確にされていない。ここに世界連邦主義者といわゆる平和運動家との違いがあるといえよう。


Emery Reves
それではどこが違うのか。その点について説明するためには1945年6月にアメリカで出版されたエメリー・リーブスの書いた「平和の解剖」という本が説得力があり、本書はアメリカやヨーロッパで大きな影響を与え、欧米ではいまだに世界連邦運動のバイブル的な存在になっている。日本ではこの本はその後稲垣守克氏(同盟の初代理事長)の訳で出版され、同様に日本の世連運動の発展に影響を与えた。それでは同書が何故それほどの影響を与えたのか。それは同書が「何故戦争が起こるのか」という点についてその原因を明快に述べていたからである。リーブスはその中で次のように述べている。「戦争は社会集団、つまり、部族、王朝、教会、都市、民族が無制限の主権を行使したとき常に発生する。これらの社会集団間の戦争は、主権的権力が彼らから、より大きな、より高次の単位に移されたときに終わる。しかし、それによってたとえ平和がもたらされても、新しい主権単位がさらに接触し始めると、また戦争がはじまる」。彼のこの主張は最近の幾つかの事例によっても証明されている。例えば、明治維新で日本が一つの近代国家になるまでは、日本国内でも戦争があったし、20世紀二度も大戦を引き起こしたドイツがEUに組みこまれたことによって少なくとも西欧内での戦争の可能性はなくなり、一方東側では旧ソ連や旧ユーゴの時代には連邦内での戦争が無かったのが、連邦解体後各地で戦争が起きている。この理論から彼は主権国家体制が続く限り、戦争はこの地上から無くならず、したがって戦争を廃絶し、永久平和を実現するためには世界政府の確立が必要だ、としたのである。今一つ世連運動に大きな影響を与えた著書に、大戦直後に出版されたコード・メイヤーの「平和か無政府状態か」がある。これは国連が安全保障の手段として採用している「集団安全保障」制度がもつ根本的矛盾を批判したもので、これこそが今日なお世界から戦争を無くすことの出来ない最大原因の一つである。

しかし、日本の場合何といっても世連運動を引き起こした最大の原因は1945年広島、長崎に投下された原爆であり、さらには1947年に発布された「日本国憲法」とくにその第九条で「戦争放棄」を規定したことであった。前者はもし今度戦争が起きれば、それは疑いもなく核戦争であり、人類は生き残れないという危機感であり、後者はもし「戦争放棄」を規定した憲法第九条を文字通り維持するためには、すべての国が同様に軍備を全廃し、それに代わって世界政府が世界警察を持ち、軍備を持たない世界の治安の維持にあたる法治体制を作らなければそれは実現できないという確信であった。日本以外の国々が相変わらず軍備をもったままで日本だけが非武装でいるということでは多くの国民は不安を感じないわけにはいかないであろう。1997年チャールズ・オーバビー博士(憲法九条の会の創立者)が「地球憲法第九条」(邦訳,国弘正雄)という本を出版された趣旨もそこにあった。すなわち、憲法第九条を文字通り維持し、真に戦争のない世界を実現するためにも、暴力に代えて法が支配する世界連邦が必要なのである。

(世界連邦Newsletter,第563号より)


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世界連邦と国連改革(2)

大体主権国家には固有の権利として自衛権が認められている。しかし、国内社会においては市民にも自衛権,すなわち、正当防衛権がみとめられているが、だからといってそのための武装が認められているわけではない(米国はいまだに銃社会であるが、その弊害については最近上映されたマイケル・ムア監督の「ボーリング・フォー・コロンバイン」参照)。

それでは何故国家には自衛のための軍備の保有が認められているのか。それは現在の世界社会には国家に代わってその国の安全を保障する体制が成立しておらず、そのために国家が自ら軍備をもって自国の安全を計らなければならないという現状があるからである。しかし、現在の世界に自国以外に安全を計る機関が全く無いわけではない。すなわち、それが国連の「集団安全保障」制度である。この制度は「国連の加盟国のうちある一国(A)が他の加盟国(B)を侵略した場合、その他のすべての加盟国はあたかも自国が侵略を受けたとみなして侵略を受けた(B)国を助け、共同して(A)国による侵略を排除することを予め約束することによってそれぞれ自国の安全を保障しようとする制度である。もしこの制度が文字通り実行されれば、どの国も侵略しても勝ち目がないから侵略を控え、その結果いずれの国も自国の安全が保障されることになる。

しかし、国連憲章はまだ第二次大戦が進行中に作られた関係からこの制度で中核的な役割を果たす国連軍として安保理事会の五常任理事国の軍隊が予定されていたが、戦後の冷戦の結果憲章の規定する国連軍は編成されず、冷戦終結後の1990年8月イラクがクウエートに侵略した時ソ連はこの機会に憲章の規定する国連軍を編成することを提案したが、これが出来ると作戦遂行に当たって他の常任理事国と協議することが義務ずけられることになり、これら諸国に拘束されることを嫌ったアメリカはこれを拒否し、結局米軍を主体とする多国籍軍がイラクの侵略排除に当たった。そして事実多国籍軍(29ヶ国が兵力を派遣し、日本は140億ドルを拠出した)の力でイラク軍はクウェートから追放され、国連決議は達成された訳だが、ここに第二次大戦直後コード・メイヤーが著書『平和か無政府状態か』で指摘した現在の国連の「集団安全保障」制度のもつ問題点が浮き彫りにされた。

すなわち、この制度のもとでは、国連は「平和を守るために戦争をする」ことになる。今回の多国籍軍は正規の国連軍ではなかったが、その行為は国連憲章第42条に基づく合法的な強制措置としての行為であり、いわゆる国対国の「戦争」ではなかった。それにも拘わらず誰一人その点を強調する者はおらず、新聞、テレビなどをはじめ皆これを「湾岸戦争」とよび、しかもこれは国連の勝利であったが、あたかもアメリカが戦勝国であったかのように報道された。当時私はアメリカにいたが、ニューヨークのブロードウェイで大規模な凱旋パレードが行われ、家々には星条旗が飾られ、国連旗を飾る家は皆無であった。

このように国連が「平和を守るために」戦争をやり、それが合法化されている限り、戦争がこの地上から無くなるはずはない。もし、本当にこの地上から戦争を無くすためには、国家の軍備保有を禁じ、国連だけが警察軍をもつことである。もし国家が軍備を持たなければ、国連警察の規模もさほど大きい必要はないであろう。これこそが長年世界連邦主義者が主張してきたことである。1992年1月当時のガリ国連事務総長は「平和の課題」(Agenda For Peace)という報告書を安保理事会に提出、そのなかで「国連平和執行部隊」の創設を提唱、それはソマリアに派遣されたが、結局同国の軍隊との衝突になり、撤退を余儀なくされたが、これも国家に軍隊の保有を認めたままでこのような部隊を派遣すれば中立公正であるべき国連が自ら戦争をすることになり、ガリ事務総長も結局この提案の失敗を認め、この構想は撤回された。

以上二回にわたって現在の主権国家体制と国連憲章の問題点の幾つかについて述べたが、去る2001年9月11日のニューヨークの貿易センターおよびワシントンのペンタゴン襲撃に象徴されるテロリストの台頭、またそれに伴う2003年3月20日アメリカのブッシュ大統領が行ったイラク攻撃、さらには民間戦争請負会社の増大など、国連発足当時には全く想像されなかった新たな要因を国連改革を論じるに当たってどのように考えるべきかははなはだ難しい問題である。しかし、これらの問題を現在の主権国家体制の枠組みで解決することの困難性はますます明らかになっている。当面個人の犯罪を対象とした「国際刑事裁判所」の強化こそ急務であろう。

(世界連邦Newsletter,第565号より)


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世界連邦と国連改革(3)

これまで2回にわたって現在の国連憲章のもとでは戦争を廃絶することは出来ず、またもし次に戦争が起こればそれは核戦争に他ならず、それは人類の生存を脅やかすとの懸念から、究極的には世界法秩序を確立し、世界連邦を実現するほかはないとの確信から我々の世界連邦運動は始まったことを述べた。しかし、世界連邦あるいは世界国家という思想ないし構想は歴史的には古く、西欧では14世紀の初頭に、詩聖といわれたダンテ(Dante Alighieri)が『帝政論』で、唯一の君主による世界国家論を説いたのをはじめ、少なからざる人物が同様の構想を提唱した。ただし、これらの人々の説いた「世界」はその多くは今日のヨーロッパであった。

日本においても例えば、佐藤信淵の『混同秘策』、小野梓の『救民論』、植木枝盛の『無上政法論』、福沢諭吉の『立国は私なり』、中江兆民の『三酔人経論問答』など同様の思想の系譜をたどることが出来る。しかし、日本をはじめ世界で世界連邦の思想が具体的な運動として開始されたのは、第二次大戦終結後である。特に同大戦末期人類史上初めて原子爆弾が使用されたことはこの運動に大きな影響を与えた。そのことは日本の「世界連邦建設同盟」の設立が広島原爆投下満三周年の1948年(昭和23)8月6日であったことがよく示している。

国連憲章が調印されたのは1945年6月25日で、まだ原爆投下以前であり、従って憲章には原爆に関する規定はなく、また国連が大戦の渦中で作られたため、軍縮に関する規定はただの一条(第26条)しかない。従って国連は発足時すでに一部の有識者から時代遅れの機構と批判された。しかし、国連憲章はそれまでの「無差別戦争論」を否定し、戦争の合法性を「自衛権に基づく戦争」と安保理事会の決定に基づく「強制措置」として行われる実力行使に限定し、「戦争の違法化」を大きく前進させた。ただここで見落とせないことは、これまで国際法に全く見られなかった「集団的自衛権」なる新概念が憲章に導入されたことである。

大体、国連憲章のたたき台として米英ソ中4大国の代表が作成し、1944年10月7日に公表されたいわゆる「ダンバートン・オークス提案」には自衛権の規定はなかった。ところが、将来国連創設会議に招かれることがきまっていた米州諸国の賛成を必要としていた米国は同提案の公表前にそれを米州諸国に伝え、1945年2月ヤルタ会談終了後アメリカのステティニアス国務長官は直接メキシコ・シティーで開かれていた米州会議に出席した。彼の第一目的は来るべきサンフランシスコ会議で提案される世界憲章を会議において支持するための統一戦線を達成することであった。

この会議で特記すべきことは、この会議の過程で初めて「集団的自衛権」というそれまで国際法に見られなかった新概念が提起されたことである。そもそも自衛権とは自国が他国から侵略されたとき行使することが出来る権利である。しかし、集団的自衛権とは自国の同盟国が侵略されると、たとえ自国が直接侵略されなくても自国が侵略されたと看做して戦争を開始できることを意味している。特に問題なのは国連憲章には、例えば「自衛権」とか国連加盟の条件として「平和愛好国でなければならない」と規定されているが、(憲章第4条)それらの解釈条項がなく(憲章第96条を別にして)、ある国が「自衛権」を恣意的に解釈して戦争を開始した場合、同盟国も集団的自衛の立場から自国が侵略されなくても戦争を開始することになり、その結果『戦争の違法化』を著しく後退させる結果になった。

『集団的自衛権』なる新しい概念が提案された時、会議に参加していた代表からも「自国が侵略されていないのにどうして自衛権の発動が許されるのか」といった議論や、憲章第51条に「個別的又は集団的自衛の固有の権利」とうたわれた時にも『集団的自衛権』を固有の(inherent)権利とすることに疑義がだされたが、文言上現行のような規定になったのである。将来もし憲法第9条が改正され、集団的自衛権が認められるならば、日本が攻撃されなくても戦争に巻き込まれる可能性がうまれることを認識する必要がある。

現在の国連憲章は前文で「大小国家の同権」をうたいながら第二次大戦の5主要連合国だけが拒否権を持ち、しかもその適用範囲も憲章の改正だけでなく、事務総長の選任にまで及び、これでは事務総長も大国の意に副わない国連の改革を実現したくても不可能である。それでは我々世連運動者はこのような厳しい現実のなかで如何にして我々の目指す国連改革を実現できるのか。これが次に論ずべき課題である。

(世界連邦Newsletter,第566号より)


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世界連邦と国連改革(4)

国連は2005年10月に成立60周年を迎えた。その間に世界の情勢は大きく変わったが、それにもかかわらず、国連憲章は安保理事会の非常任理事国と経済社会理事会の理事国の増員以外には何一つ改正されずに今日にいたっている。もちろん、例えば1950年のアメリカ提案による「平和のための統合」決議に基づく国連緊急特別総会の創設や1956年のスエズ動乱を契機に当時の国連事務総長ダグ・ハマーショルドの提案による「国連平和維持活動」いわゆるPKOの創設といった憲章の本質にかかわる事実上の改正(de facto revision)もみられたが、憲章それ自体には何ら手が加えられることはなかった。その最大の理由は憲章の改正について非常に厳しい規定 (第108条,第109条)があるためである。

前述のように憲章の改正については安保理事会の5大国(米英露仏中)だけが常任理事国として拒否権が認められており、加盟国(191カ国)の大多数がある改正案に賛成しても5大国の一国が反対すればその改正案は否決されてしまう。1945年の国連創設会議においてこの問題が出された時参加国から激しい反対が噴出したが、これら5大国は譲らず、もしこの権利が認められないならば、この機構に参加しないとまでいい、結局他の参加国もやむを得ずこれを認めた。但し交換条件として憲章第109条3項(この憲章の効力発生後の総会の第十回年次会期までに全体会議が開催されなかった場合には、これを召集する提案を総会の第十回年次会期の議事日程に加えなければならず、全体会議は、総会の構成国の過半数及び安全保障理事会の7理事国の投票によって決定されたときに開催しなければならない)が規定された。

当時の世界の世界連邦(以下世連))運動者はこの規定を憲章改正の好機ととらえ、「1955年こそ決断の年」との合言葉をかかげてそのための準備をした。しかし、1955年、この問題は総会の議題にはなったが、朝鮮戦争が終結して世界が一時的に安定に向かっている時に、国連憲章の改正問題を総会で取り上げ、そのための全体会議を開けば、かえってその安定を乱すおそれがあるとの理由で棚上げされ、その後全体会議は開かれることなく今日にいたっている。

1955年の総会で憲章を改正し、一挙に世界連邦政府の実現を期待して運動をしてきた多くの世連運動者の失望は大きく、それは運動に少なからざる打撃を与えた(この問題については、田中正明著「世界連邦―その思想と運動」平凡社、1974年、の「憲章改正ついに成らず」pp.226-231参照)。この苦い経験から世連運動はこれまでの「機構主義的アプローチ」から「機能主義的アプローチ」へと軸足をシフトしていく。翌年の1956年イギリスのライム・ホールで開かれた第7回世界大会で当時の事務総長ラルフ・ロンバルデは報告演説のなかで次のように述べている。すこし長いが、引用する。

「・・・さて、われわれは第三期を迎えた。それは今や成人となって、社会的責任を自覚し、世界の動きのなかで、積極的な役割を果たさなければならない。それは思想的、政治的、経済的に分裂している世界を一つにすることがいかに困難なことであるかを、しっかりと頭に入れたうえで、ナショナリズム、コロニアリズム、国家エゴイズム、その他もろもろの偏見や問題と取り組まなければならない。これらの障害を考えるならば、これからのWAWF(注、世界連邦世界協会)の仕事は、革命的なものではなく、漸進的なものであり、テーブルを叩いて世界政府を叫ぶことではなく、現在の主権国家や国際組織という枠のなかで、しだいに国家主権の制限と、いっそう緊密な国家相互の協力関係をつくり出すような、小さな、しかも大事な仕事を積み重ねて行くことであると思われる。いいかえれば、現実政治と取り組んでいる人びとを肯かせ、協力をうるために、われわれが現に当面している諸問題について、深い関心をもたしめるようにすることである。“いつの間にかできあがる世界政府”-多くの人が気づかない間に、世の中のことが世界連邦的方向にしだいに成長して、否応なく現実の問題となってゆく、このために力を貸すのがわれわれの運動である一そのような機能主義的なアプローチを軸に、政治、経済、社会、文化、組織のすべての面で、一歩でも接近する方法を考え、実践してゆこう。」(前掲書,p.236)

ここには「人類の破滅か世界連邦か」とか「今すぐ世界連邦を」といった運動初期にみられた気負いや絶叫はみられないが、決して国連改革を断念したわけではなかった。世連運動は‘55年の経験を教訓としてより柔軟で幅の広い運動を展開していくことになる。 

(世界連邦Newsletter,第568号より)


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世界連邦と国連改革(5)

1955年の苦い経験をとおして国連改革、特に国連憲章の改正がいかに困難であるかを知らされ、世連運動は前回書いたように運動の軸足を「国連を改革して世界政府へ」というこれまでの「機構主義的アプローチ」から方針をより「機能主義的なアプローチ」へと移してゆくことになったが、たとえ憲章の改正が困難であろうと常に世界連邦のあり方を広く一般大衆に示し、国家主義的な人びとの意識を地球市民としての自覚を持つ者へと変革してゆかなければ世界連邦は実現するものではない。そこで1955年以降においてもWAWF(WFM)は世界大会を開催するたびに世界情勢の変化に対応した国連改革案を採択してきた。

特にWAWFは1975年6月および1985年4月に包括的な国連の改革案を提案している。前者は当時WAWFの国連代表であったドナルド・キースを中心に纏めたもので、『前文』、『憲章改正を要する提案』、『憲章改正を要しない提案』、『憲章改正が望ましい提案』の4部からなり、さらにそれぞれについて『憲章改正を要する提案』で、「加盟」、「紛争の平和的解決」、「国際司法裁判所」、「人権」、「経済社会理事会の強化」、また『憲章改正を要しない提案』については「国連開発計画」、「世界環境機関」、「海洋管理制度」、「国際災害救援」、『憲章改正が望ましい提案』では「平和維持」、「安保理事会の構成」、「安保理事会の表決」、「総会の表決権」、「国連財政」、「国連軍縮機関」について具体的に提案している(世界連邦新聞,1975年6月1日号)。さらに、前述のように1985年4月にWAWFは新たな『国連改革提案』を出しているが(世界連邦新聞,1985年4月1日号)、前者の方が具体的で一般読者には説得力があると思われる。

さらに世界大会においてそのつど限定的とはいえ国連の改革について決議をしている。例えば、オタワ大会[1970年]では[安保理事会]の改革について「準常任理事国という新しいクラスをつくり、世界の各地域ごとに回りもちの議席を追加し、それら準常任理事国が回りもちで議席につくこと。安保理事会の常任理事国を追加し、その場合、新しい常任理事国には全会一致の必要条件(拒否権)は与えない。」とし、また、ブリュッセル大会[1972年]では、かなり包括的な「国際連合改革提案」を採択している(『世界連邦運動55年のあゆみ』,世界連邦運動協会発行,pp.156-159参照)。東京大会[1980年]では、「国連システムの改革」と題してかなり広範な国連改革案を採択している(前掲書,pp.177-179)。フィラデルフィア大会[1987年]では「国連強化のためのWAWF政策声明」(前掲書,pp.188-189)を、その後の世界大会においても「国連改革」に関連した決議をしてきている。

われわれは既に充分なほどのわれわれの「国連改革案」をもっている。しかし、問題は国連が主権国家の連合体であり、それをどのように改革するかの主導権は加盟国政府にあると言う事実である。現在「国連改革」、特に「安保理事会の改革」が問題になっているが、残念ながらそこで展開されているのは、少数の大国のエゴの駆け引きであり、われわれがこれまで積み上げてきた「国連改革案」とはほど遠いものである。

ただ、昨年12月20日国連総会と安保理事会は紛争後の国の復興を支える常設の「平和構築委員会」を新設する決議案をそれぞれ採択した。これは同年9月の特別首脳会議で合意された国連改革案の一つである。国連はこれまで紛争の予防や解決に力を注ぎ、平和維持部隊なども派遣してきたが、部隊が去った後も平和づくりを担う組織はなかった。平和構築委員会は、紛争が解決した後の国家を対象に、政府や社会の再建を進め、混乱への逆戻りを防ぐことをめざすもので、アナン事務総長らも「歴史的だ」と評価している。このように現在の国連でも憲章の改正なしで有意義な改革は可能である。WAWF(WFM)も長年にわたってEUの「欧州議会」に準ずるような「議員総会」または「人民総会」を現在の「総会」のもとに創設することを主張しているが、このような改革も憲章を改正しなくても不可能ではない(憲章第3章7条2項)。

従って世界連邦運動者としては、たえずわれわれの目指す世界連邦の青図を示しながら、同時に出来ることから実行してゆくことではなかろうか。

(世界連邦Newsletter,第569号より)


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世界連邦からみた国連とアメリカ

前号で世界連邦運動の国連改革案について述べたが、今回は世界連邦の立場から国連と現代のアメリカとの関係を考察してみたい。この問題については既に最上敏樹ICU教授が『国連とアメリカ』(岩波新書)のなかで詳しく論じておられるが、ここでは米国防総省が今年2月4日に発表した「4年ごとの国防政策見直し」(Quadrennial Defense Review-QDR)を拠りどころに論ずることにする。同報告書は米国防総省の中長期的戦略文書で、兵力の構成など米軍全体のあり方について、約20年後を視野に入れた青写真として、法律で4年ごとの議会への提出が定められているもので97年と01年に続く今回で3回目のものである。しかし、今回の報告書は過去2回のそれとは、基本的に違う内容のものである。すなわち、これまでの報告書は専ら「国家対国家」の対立が軸だったが、今回の報告書は「対テロ」に主眼が置かれ、それは冷戦並みの労力と時間を要する「長期戦争」と位置づけ、従来通りの戦力では十分に対応できない「非正規」な分野に軍事力の比重を移すことをうたっている点にある。具体的には国際テロ組織による攻撃などによる混乱への備えの必要性を踏まえ、世界全体で11群を配置する方針の空母攻撃群のうち半数以上の6群を太平洋に置き、潜水艦も6割の隻数を太平洋に集中させる。経済活動や通商ルートとして太平洋地域の重要性が高まっていることが背景にある。それだけではない。この報告書は同盟国としての日本を高く評価し、この政策の実施に当たり日本の協力を期待している。現在日本で問題になっている米軍の再編もその一環に他ならない。

しかし、ここで問題なのは、一体米国はいつ世界の警察官になったのかである。言うまでもなくアメリカは国連の一加盟国であり、国連憲章に定めた義務を受諾し、かつそれを履行する能力と意思が求められている。(憲章第4条)国連憲章は第42条、43条で「国連軍」を規定している。もともとこの規定は第2次大戦時連合国の敵であった日独伊枢軸国の軍国主義的復活による再侵略に対応するものとして構想されたものであり、それは東西冷戦により、機能麻痺に陥ったが、1989年の冷戦終結により、今や「国対国」の戦争は予想されず、そこで残された脅威としてテロが問題とされているが、テロ組織は国家ではない。それならば、憲章を生かして5常任理事国の軍隊を中心として正規の国連軍を編成し、それがテロに対応するべきであろう。しかもテロに対応するのに果たして空母攻撃群や潜水艦群などが役立つであろうか。むしろ大国が利益のために兵器を売り、特に小火器(small arms)やウランや化学兵器などがテロ組織の手に渡った場合、国家の軍備などでそれに対応することは不可能である。しかも、米国海軍は今年6月から8月にかけて、太平洋地域で空母4隻を参加させて、3回の大規模演習を実施する方針を明らかにしている。憲章の義務を受諾している国連の一加盟国がこのように「自衛」の名のもとに安保理事会にも諮らず、世界を我が物のように行動していることに国連の事務総長をはじめ他の190の加盟国がこれを黙認していることは理解に苦しむところである。

われわれ世界連邦運動者はかねてより国家の軍備を廃絶し、それに代えて「世界法」が支配する新しい世界秩序を作ることを主張している。今や他国を公然と軍事的攻撃するであろう大国は米国以外に考えられない。米国が仮想敵としてテロを挙げざるを得ないことがそのことを証明している。軍備増強の理由に「北朝鮮の脅威」を挙げるものがいるが、むしろ「北朝鮮」が核兵器や弾道ミサイルにこだわるのは、同国がイラクのようにアメリカの無警告攻撃を恐れるからであろう。確かに現在の「北朝鮮」が問題国家であることは明らかである。しかし、同国の持つ問題は、国際刑事裁判所(ICC)を強化することによって法的に解決するべきであろう。 ICC条約は、ジェノサイド(集団虐殺)の罪、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略の罪の4類型を「国際社会全体の関心の対象となっている最も重大な犯罪」と位置づけ、これらの犯罪については国境を越えて捜査し、犯罪の責任者、及び実行者を裁く権限を持つ。また同条約は「人道に対する罪」の具体的な行為として11の罪を列挙しているが、その一つに「強制失踪」があり、これは未だに未解決の「拉致」の態様に完全に適合する。条約によれば、こうした犯罪が加盟国で起きた場合、仮に容疑者のいる国が非加盟国でも、ICCにはその容疑者を訴追し、裁判にかける権限が与えられている。「対テロ」の問題こそアメリカではなく国連が中心になって対処すべき問題であろう。

(世界連邦Newsletter,第570号より)


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世界連邦と国連改革(6)

国連総会は3月15日、昨年3月アナン国連事務総長が提案し、同年9月の国連本部での世界首脳サミットが承認した国連改革案の主要な柱の一つであった「人権理事会」を創設する決議案を賛成170、反対4、棄権3で採択した。現行の国連人権委員会を衣替えし、常設理事会として広く人権問題に対応するのが目的である。米国はもっと強力な組織を求めて反対票を投じたが、同日の総会で「理事会の強化のため、他の加盟国と協力する」と表明、創設後の人権理事会には積極的に関与する姿勢を示した。日本は決議案に賛成票を投じた。反対国は米国のほかにイスラエルとマーシャル諸島、パラオ。棄権はイラン、ベネズエラ、ベラルーシの3か国。北朝鮮など7カ国は投票に参加しなかった。

同決議案に反対投票を投ずるに当たってボルトン米国連大使は人権侵害国として「スーダン、キューバ,イラン、ジンバブエ、ベラルーシ、ミヤンマー」と国名をあげ、暗にこれらの国が同理事会の理事に選ばれることを牽制した。

人権理事会の骨子は次の通りである。

(1) 総会の下部機関として創設する。

(2) 深刻かつ組織的なものを含む人権侵害に対処し、勧告を行う。

(3) 47カ国で構成する。

(4) 総会構成国の過半数〔現在96か国〕の支持を要件に、1カ国ずつ秘密投票で理事国を選出する。

(5) アジアとアフリカからそれぞれ13、中南米から8、西欧とその他から7、東欧から6カ国と地域グループごとに配分する。

(6) 任期は3年、連続して3選はできない。

(7) 理事国に深刻かつ組織的な人権侵害があった場合、総会での投票国の3分2以上の賛成で資格を停止できる。

今回「人権理事会」の創設に伴って3月27日廃止宣言された「人権委員会」が1945年の国連創設会議で設置が決まるまでにはNGOの大きな努力があった。(拙著「国際連合成立史」有信堂p.107参照)もしこの時に同委員会が成立していなかったならば、今回の「人権理事会」の創設もなかったかもしれない。

ところで、世連運動者は「人権」の問題についてどのような態度を取ってきたであろうか。先ず1947年の第一回の世界大会で採択された「モントルー宣言」6原則の第3原則で「世界連邦政府の管轄内にあることがらについては、いかなる個人に対しても直接に世界法を適用すること。人権の保障と連邦の安全を犯すようなあらゆる試みに対する鎮圧」をあげ、1952年の「広島宣言」でも「人種的差別を撤廃し、基本的人権を確立する」と述べ、その後も機会あるごとに人権の確立について主張してきたが、ニューズ・レター569号で述べた1975年のWAWF(WFM)の『国連改革提案』の「憲章改正を要する提案」の中で「人権」の一項目を設け、次のように「人権理事会」の創設を主張している。

「現在、国連は人権問題を五つ以上の段階で取り扱っている。すなわち小委員会あるいは特別委員会、人権委員会、経済社会理事会、総会の第三委員会、そして最後に総会の全体会議である。国連はこれらの措置を統合し総会に対して直接報告するために新たに人権理事会を創設すべきである。この理事会は経済社会理事会と同じレベルにおかれ、経済社会理事会を人権に関する責任から解放し、経済的社会的開発について集中できるようにする。

国連は人権高等弁務官の新らたなポストを創設するという提案を実行に移すことが望ましい。現存あるいは計画中の人権地域裁判所を補完する人権世界裁判所の設置は研究に価する。この人権世界裁判所は欧州人権裁判所と類似した責任を持つことになるであろう」WFMは今から31年前に既に『人権理事会』の創設を提唱していたのである。

周知のように憲章第12章が規定している『信託統治理事会』がその役割を終え、事実上機能していない。従ってそれに代えて『人権理事会』ないし『環境理事会』の創設が以前から望まれていた。今回つくられた『人権理事会』は総会の下部機関であり、『信託統治理事会』に代わるものではないが、それは常設機関であり、『経済社会理事会』のもとで年間6週間しか開かれない「人権委員会」に比べれば大きな前進といえよう。しかし、この新設の理事会でこれまで人権委員会で大きな役割を果たしてきたNGOがどのような位置づけをされるのか、未だ明らかではない。人権を抑圧するのは権力者の側である。その意味で同理事会においてもNGOが果たすべき役割は大きい。



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【法華経の教えのひとつとして、利他の精神の教えがある。まさに、その教えに背く現公明党と創価学会幹部は、何者の仕業なのだ。】

【法華経の教えの一つに、利他の精神の教えがある。まさに、その教えに背く現公明党と創価学会幹部は、一体何者の仕業なのだ。】

1.仏教とその経典には、日本の文化の創始源流の黎明期に伝わった。
 
  私が尊敬する哲学者梅原猛氏の著作の聖徳太子【集英社文庫 聖徳太子1~ 】で、詳述、研究されている。

2.その著述の年表の中に、次のように記述されている。
      
  西暦538年 百済の聖明王より、仏像と経論をおくられる。
  西暦540年 都を大和の磯城郡の磯城嶋金刺宮に遷す。高句麗、百済、新羅、任那朝貢す。大伴金村、任那4県割譲問題で、大連を辞任。
  西暦541年 百済聖明王、任那諸国の王、日本府、ともに任那の復興をはかる。
  西暦543年 津守連を百済に遣わし、任那の復興を促す。
  西暦545年 百済、天皇のために、丈六の仏像を造る。
  西暦547年 百済救援の軍を求めてくる。
  西暦548年 高句麗南下して百済を攻める(独山、馬津城)。百済、新羅に救援をめ、日本には、派遣中止を求める。  
  西暦550年 百済、高句麗の奴、捕虜を日本に献じる。
  西暦552年 百済の聖明王、仏像・経論を献じる。蘇我稲目、これを小墾田の家に安置し、向原の家を浄めて寺とする。
  西暦553年 百済、救援の軍を求めてくる。
  西暦554年 百済再び救援の軍を求めてくる。百済、五経博士、易博士、医博士、楽人等を献じる。百済に、兵千人・馬百匹・船40隻をおくる。新羅との戦いで聖明王戦死する。
  西暦555年 百済王子余昌、弟の恵を遣わして、聖明王の死を報じる。
  西暦560年 新羅、朝貢する。
  西暦561年 新羅の使者入朝するが、百済より、下位に序列されたのを怒り、帰国する。
  西暦562年 新羅の官家を滅ぼす。新羅征討の詔を下す。代将軍紀男麻呂が、任那に渡り、新羅と戦う。大伴狭手彦に命じて高句麗と戦わせる。新羅、朝憲する。       
  西暦570年 蘇我稲目没。仏像崇拝に反対していた物部御輿ら、寺を焼き、仏像・経論を難波江に流す。高句麗の使者、越国に漂着する。     
       
       -------途中省略【以下年表引用は終わり】


  聖徳太子 西暦609年 勝鬟経儀疏(しょうまんきょう)の著作を始める。小野妹子ら帰国
  聖徳太子 西暦611年 勝鬟経儀疏を著す。新羅、任那朝貢する。
  聖徳太子 西暦612年 維摩経儀疏(ゆいまきょう)の著作を始める。
  聖徳太子 西暦613年 維摩経儀疏を著す。
  聖徳太子 西暦614年 法華経儀疏の著作を始める。
  聖徳太子 西暦615年 法華経儀疏を著す。

(【以下年表引用は終わり】)

 このように、当時の朝鮮半島には、百済、新羅、高麗の三国の攻防・抗争の背景に、当時の中国の中で、当時の文帝の下で、庇護された仏教は繁栄流布されたのであるが、その後世において、仏教が、やがて、廃れるようになり強大勢力化した隋の皇帝 煬帝の政治、統治の国際的な拡大支配の目論見による朝鮮半島の歴史的な支配権の抗争に係わる様になり、その干渉による緊張と攻防の影響があったのである。
 
 【参考リンク】;煬帝とは(wikipedia):
     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%AC%E5%B8%9D

 朝鮮半島での、この百済、新羅、高句麗の三国の攻防戦の影響が、日本の統治政権へも波及し、影響していたのである。
 
 仏教は、大乗経と小乗経の二つに大別されているがその大乗経が伝えられた仏教の主流となって、クマラジュ等によって、インド~シルクロードを経て、西域の中央アジア、中国や朝鮮半島を経て、伝えられ、もたらさせたのである。 その背景には、人類、民族の壮絶な文化の伝来のドラマが秘められいて、人間の情熱が隠されているのである。

 小乗仏教は、インドから東南アジア、ビルマ、タイ、カンボジア、インドネシア等に伝わり、広く分布していった。今現在において、その仏教の興亡において、すでに、歴史の中で埋没したものもある。

 大乗仏教は、今でも、日本の文化の創生に影響を与えており、日本の文化の一つの大きな源流となっている。

 現在の中国では、宗教は、共産主義の政権のもとで、禁止されている。
 マルクス共産主義思想の始源において、宗教は、麻薬であると教えているのである。

 人類の民族間の悲惨な抗争の歴史の中で、この仏教の発展が、時の流れの中で、姿、形を変えながら、絶えることがなく続けられてきているのである。
 
 悲惨な民族間の抗争よりも、もっと賢い方法があるのではないかと考える人々がその時代の中で、思念して、つくりあげて、後世に伝えられてきたものが、仏教なのである。 

 歴史の中で、権力や民衆が、仏教に係わり、あるいは偽善的に利用して、宗教的な信仰心を、権力抗争に利用して、社会のかく乱を招くことが、歴史の中に、多く刻まれているのである。

 日本の歴史において、戦国時代の権力争奪抗争の騒乱で、本願寺顕如、顕忍等の寺領の独立自治の支配権をめぐり、一向宗の門徒衆を駆り立てて、当時の室町時代の末期(最後)の将軍職を織田信長から、追放された足利義昭氏と組んで、その宗教指導者による、一向一揆の闘争が長期に渡り,その時代の社会を騒乱に、引きずり出し、多大の悲惨な結果となる状況・影響を生み出したこともあったのである。 後に、その一向衆は、比叡山に逃げ込み、織田信長、豊臣秀吉によって、比叡山の焼き討ち等の騒乱を巻き起こしたのである。支配権による抗争を避けるべきために思念されて、生まれた仏教を逆に支配権の道具として、悪用し、その宗教的な独立自治のための権力の獲得の道具にされてしまったのである。ここに、宗教指導者の愚かさと宗教権力者の欺瞞性が存在しているのである。悲惨な目にあったのは、その宗門の門徒の人々である。

 【参考リンク】:一向一揆とは: 
       http://kamurai.itspy.com/nobunaga/honganzi.htm
 
人類の社会の歴史の中で、宗教の発展の過程において、宗教の創始者の理念や想念の解釈に変質と改変が意図的になされ、その宗教の改質や変質が行われて、やがては、その宗教の指導権、支配権をめぐり、内部権力抗争にいたる場合もあったのである。
  
 時代的な社会背景の流動につれ、本来の宗教的な創始者の始源の想念、理念から、やがて、変質・乖離して、その宗教を継続する過程で、その宗教指導権をめぐる抗争による、内部分裂が、自然発生的に、起されるのである。狂信的な宗教原理主義者による社会の撹乱が引き起こされるのである。
 この内部抗争は、原始の想念が、物理的な原理である、時間的な拡散や変質によって、引き起こされるのである。この現象は、宗教だけで、発生するものでははない。政治的、文化的な人知の社会の時代的な流動に伴いながら、自然的な動きで、生まれて来るのである。
 
 この内部分裂によって、どちらが、優れているとかの抗争の結果は、やがては、時間や時代を後にして、みなければ、わからないのである。

 宗教の持つ特有性の中に、その宗教の発展のための進行過程において、あらゆる方法による広報、宣伝がその宗教の権力指導者等により、狂信的、偽善的な意図を覆い隠して、行われることがあるのである。自己の優位性を強調させるために、他に対する相違するものを、敵対化、相対化させて、自己の優位性・優越性を掲げて、自己の特別な存在感を強調し、自己の既得権力の保身のための行動をとるようなことも歴史的に、しばしば、引き起こされている事である。 
 
 宗教の根源は、支配権の獲得においての抗争や闘争でなく、人間社会の共同性を高揚させるべきもの精神性の追求がなければならないのである。宗教の文化は、そこに、存在の意義があるのである。
 その有意義を無視し、放棄して、好んで、他と抗争をしようとする権力支配の盲者と成り果てるものが、歴史の中で、引き起こされるのである。
 
 ここには、大乗経の仏教で、教えられている基本の考えである他を利するという概念【利他の精神】が。全くに、無視されているのである。協調でなく、闘争がそこに、生じるのである。
 利他とは、キリスト教で言うならば、隣人愛の精神である。 
 
 宗教闘争でなく、政治的な闘争で、かってのドイツのヒットラーが、民衆を巻き込んで、これと同様な歴史的な過程を進み、大きな過ちを人類社会の秩序の破壊を巻き起したのである。

 この狂信的な宗教的権力者と変質的、偏向的な政治権力が、相互に、緊密に、集合・結集連合した場合には、その社会は、圧倒的なその連合の権力によって、その社会が支配されてしまうのである。

 これが、近年の自公政権に、潜む危険性が、十分に存在し、国民がそれを警戒し始めて来ているのである。

 現代において、この危険的、偽善性のある自民の政治権力に、ぴたりと寄り添う宗教的権力志向性のある公明党・創価学会には、十分に警戒することが必要であることが理解されるであろう。
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【参考リンク1】: 【梅原猛】 :
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E5%8E%9F%E7%8C%9B

【参考リンク2】:【大乗仏教(Mahāyāna Buddhism)とは】:wikipediaより。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E4%BB%8F%E6%95%99

【参考リンク3】:【法華経とは:松岡正剛のブログより】
     http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1300.html

【参考リンク4】:【法華経とは:妙法蓮華經如來壽量品第十六(法華経):【創価学会、日蓮宗の経典】
         (みょうほうれんげきょう にょらいじゅりょうほんだいじゅうろく ほけきょう)
        http://enlighten.fc2web.com/jigage.html

【私のasyura投稿リンク】:
    http://www.asyura2.com/09/senkyo67/msg/600.html


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蒙古放浪歌 

 司馬良太郎さんがこの歌を好んでいた。とのコメントがありました。
歌詞がとても素敵です。

今畜生、 特攻隊であった鶴田浩二じゃないけれど西を見ても東を見ても真っ暗闇じゃございませんか!!!

今畜生、 特攻隊であった鶴田浩二じゃないけれど西を見ても東を見ても真っ暗闇じゃございませんか!!!
 今畜生、 特攻隊であった鶴田浩二じゃないけれど、現在の悪しき自民・公明党与党政権の強者優先の政治・経済・政策のどれひとつ、見ても、真っ暗闇じゃございませんか!!!。

 国民は、西を見てもは、東をみても、経済的な困窮さに、困り果てて、疲労困憊(こんぱい)で、辛抱して、汗と涙で、生活を凌(しの)いでいるのである。

 いざ、主権者である国民をないがしろにして、暗黒の世界に、引きずり込んだその悪しき自民・公明党与党政権の権力主義者を、この麗しい(うるわしい)日本の政治社会から、おいだすために、特攻隊の精神で、戦おう。

 断じて、許すまじ、偽善・欺瞞的集団の自公政権を断じて許すことはできないのだ。

主権者である国民の総力で、この不当・不正義なるこの偽善的な自公政権を打ち倒そう。

 いざ、正義の旗を掲げて、不正・不正義の巣窟(そうくつ)である自公政権の守る敵陣を勇気をもって、糾弾していこう。 敵陣の汚いわな(偽善的な広報)に、撹乱されずに、十分に気をつけて、確信をもって、敵陣をたたき潰(つぶ)そう。

 いざ、団結して、進軍開始だ。 敵陣に隠れる悪者を、主権者である国民による、審判を持って、断罪すべき者達を狙い打ちにするのだ。  


【Asyura投稿リンク】: http://www.asyura2.com/09/senkyo67/msg/396.html

【 政治部門のブログランキングを始めました。皆様の賛同で、悪しき自公政権を追い払おう。
よろしくお願い致します。】
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