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Friday, September 25, 2009

「1070」 民主党大勝を語る(1) 総選挙後座談会から。 2009.9.16 副島隆彦を囲む会のアルルの男・ヒロシ(中田安彦)の紹介


「1070」 民主党大勝を語る(1) 総選挙後座談会から。 2009.9.16 副島隆彦を囲む会のアルルの男・ヒロシ(中田安彦)の紹介


【出展引用リンク】:

        http://www.snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi


【引用始め】以下の通り
===============
2009年の総選挙を振り返って(1)



参加者:副島隆彦、古村治彦、日野貴之、中田安彦

2009年9月4日、渋谷・シャノアール会議室にて


 中田(司会) どうも皆さん、こんにちは。本日はお集まり頂きましてありがとうございました。
 今日は2009年9月4日です。SNSIの選挙後総括座談会ということで、やらせていたきたいと思います。私が司会を務めさせていただきまして、今日は、SNSI(副島国家戦略研究所)きっての日本政治通である古村さんと日野さんにもおいでいただきました。もちろん、副島隆彦先生もいらっしゃいます。この5人で議論を進めていきたいと思います。
 さて、今回の選挙なんですけれども、当初から民主党が勝つ、勝つと言われておりましたが、結局、民主党は小選挙区で大勝しました。かなりとったんですね。全部で308議席とりましたね。

 古村 小選挙区で221、比例で87でしたね。

 中田 自民党が119議席で、小選挙区が64ですね。公明党が全部で21で、選挙前よりも10減らしているんですね。共産党と社民党は前と変わらず9と7ずつということでした。そして、今回新しく登場した渡辺喜美・元金融大臣が率いる「みんなの党」(ユア・パーティ)という政党のがあります。こちらが渡辺代表以下、テレビで有名な江田憲司氏のほか、5議席獲得しております。もともと国会議員だった人が4人いて1人が新人で通っているということになりますね。民主党と協力関係にある、綿貫民輔代表の「国民新党」は3議席というような形で、合計480議席のうち308議席を、前は野党だった民主党が占めたことになります。

 今日の座談会は、まず、今回の選挙は何が今までの選挙と違ったのかということを皆さんにお話ししていただきます。

 その後で、今後の民主党はどういうふうな政治をしていくのか、派閥闘争の要素も含めてお話しいただきます。そして、その後日米関係のお話をして、総括をして終わりたいと思います。
 まず古村さん、今回の選挙は今までの選挙と何が違ったんでしょうか。そこを簡単に90秒程度でまとめていただけると、非常に助かります。

 古村 今回、このようにランドスライド(地滑り的勝利)で、民主党が勝ったわけですけれども、自民党で通った人たちの顔ぶれと、民主党を見ますと、「ばらまき」というのが一つキーワードになるのかなと思っています。

 中田 ばらまき。予算をばらまくということですね。

 古村 そうですね。僕が思うに、自民党型のばらまきのやり方が終わって、「民主党型のばらまき」の方法、「ばらまき」という表現が悪ければ、再分配、がこれから実行されていくんだろうと思っています。
 自民党のばらまきというのは、基本的に政治学的にいうと、ジャパニックモデルですね。俗に「鉄の三角形」(アイアン・トライアングル)と言われるように、政と官と業界、経団連とか、農協とか、医師会とかの利益団体が結びついていた。
 それで、これまでやってきました。地方への所得の再分配として、ばらまいていたわけです。しかし、この大不況では、このトリクルダウンがうまくいかなくなった。トリクルダウンとは「しずくが下にしたたり落ちる」という意味です。まず、これまでのやり方ですと、公共工事などでまず財界やゼネコンに予算を回して、そのおこぼれを一般大衆に行き渡らせていました。しかし、その政策がうまくいかなくなった。
 下に行かなくて人々の生活が疲弊しているので、民主党は、間に入れないで直接皆さんに上げますということになったわけです。自民党のやり方とは違いますね。日本研究者である、ケント・カルダーの議論でもありましたけれども……
 中田 ちょっとそこは難しいですね。要するに、今の話をまとめると、自民党政権のときは、政・官・業ということでトライアングルができていていた、と。
 古村 そうですね。そのおこぼれが下に行っていて。
 中田 自民党は、公共事業とか公共工事を通して予算を地方に配分していた。
 古村 そうですね。
 中田 それが今回、不況ということもあり、確かに公共事業をばらまきましたけれども、それ以前に、地元の経済界が疲弊していて、とても自民党を支えられなくなった。そういう要素があって、自民党の従来の支持組織、土建屋連合とか、医師会とか、農協が駄目になっていた。そこに、かわって、民主党が新しい金のばらまきをしてきたということですね。
 古村 そうです。
 中田 それで、この「民主党形のばらまき」というか、所得再配分ですか。あるいは、民主党の選挙対策の景気対策といっても良いと思います。これはどういったものですか。
 古村 民主党は、基本的には内需を喚起して、人々の可処分所得(家系が自由に使えるお金)をふやして、子供たちの教育費とか一番お金のかかるところにお金を出していくことにした。それが、ひと世帯当たり年間で30万円とか40万円とか余分にもらえるわけです。その分を少しでも消費に回してもらっていこうと。つまり、国内需要をそうやって喚起しようと、もっと消費して暮れよ、ということです。そのやりかた、つまり「内需型」で日本の景気をよくしようと思ってやっているわけですね。
 中田 要するに、家庭の主婦がお金を使いたいと思うような。
 古村 家計ですね、経済学的にいうと。

 中田 今回民主党は、農家に対する「戸別所得補償制度」と、一般の家庭に対する「子ども手当」ということで、(景気の下支えを)やったわけです。
 そこを考えたのは恐らく小沢一郎、今度民主党の幹事長になると発表されましたけれども、こちらのところはどのようにごらんになりますか。今までの自民党と比べて。
 古村 そういう疲弊しているところとか、今、「勝ち組」「負け組」という言葉がありますが、負け組と言われるような人たちに補てん、補償するというのは、実は、もともと自民党がやってきたことなんです。
 今の中国とか韓国を見ればわかりますけれども、高度経済成長のときには、否応なしに生活の格差が出てくる。先に豊かになる人と、ずっと豊かになれない人がいる。けれども、日本は、政治学的にいうと、高度成長をしながら、同時に比較的平等な社会をつくり上げてきたというので評価をされていまして、ディストリビューティブ(分配的)というか、再分配を自民党がうまくやってきた。
 多分それは田中角栄首相に象徴されると思うんですが、それを彼ら(アメリカの日本研究者たち)はコンペンセーションポリティクス(=補償による政治)と呼んでいます。それで自民党が勝ってきた。自民党はもともと農村型政党だったんです。その田中元首相の弟子であるところの、民主党の小沢一郎は、コンペンセーションということを、自分のプリンシプル(原則)にしていたと僕は思います。ばらまきと言われるかもしれないけれども。
 中田 小沢一郎のことはまた後で少し話しましょう。次ぎに、日野さん、いかがですか。
 個別の各選挙区の話はまた後にして、古村さんは、今回の選挙は民主党の新しいタイプの補償政策を打ち出したことが選挙への影響が決定的になったと言っていましたけれども、日野さんはどうごらんになりますか。
 日野 そういう面もあったと思うんですけど、より深刻だったのは、雇用が不安定になっているという社会の状況があるわけです。これについて、自民党が、どれだけ批判されても真剣に対応する素振りが全くなかったというところが、サラリーマンというか労働者層をかなり怒らせたのです。これの「民衆の怒り」が、決定的だったんだろうなというふうに見ています。

 中田 自民党が15兆円の補正予算を組んで景気対策をやったということを、しきりにアピールしていましたよね。でも、だめなんですか。
 日野 景気対策が雇用につながってこないというふうに判断されたということです。
 古村さんのおっしゃったばらまきのやり方を変えるということについては、実は自民党よりも公明党のほうが多分敏感に察知していた。
だから、定額給付金を景気対策の目玉にして、それに対応しようと試みたんでしょうけど、それが、どういう理由かはともかくとして、結果には結びつかなかったということだったんじゃないですか。
 中田 民主党の子ども手当なんていうのは、額は月2万6000円で、定額給付金を毎月あげるみたいな政策ですよね。
 日野 だから、そちらのほうが特に子供のいる家庭にとってはインパクトが大きかったというので、確かにそれはきいたという面はあるんでしょうね。
具体的な票の出方の中では。一方、自民党は、一応大型の景気対策をやったので、西日本の地方を中心にある程度盛り返した。議席ではかなり減らしましたけど、票では、西日本では東日本ほど負けていないというような傾向は見られました。
 中田 自民党は西日本では案外勝った。
 日野 ちょっと踏みとどまった、という程度ですけどね。
 中田 それ以外の各党の議席数で、日野さんが見て何か特別に注目したことはありますか。
 日野 首都圏で「みんなの党」が意外に強かった。これにはメディアもあまり注目していないんじゃないですか。二大政党の対決で埋没(まいぼつ)しながら、特に看板もいない中で、首都圏の(穏健な)保守層が結構みんなの党に投票した。
 逆に、国民新党のほうが、民主党の小沢戦略に食われて農村部というか地方の利益代表としてアピールできなくて、伸び悩んだ。

 あともう一つ、都市型の政党の「新党日本」もあまり票がとれなかったというところで、その辺、中小政党は明暗が分かれた感じがします。
 中田 「みんなの党」というのは、前の金融大臣の渡辺喜美さんが選挙の1カ月ぐらい前に結党してできた政党で、たしか15人ぐらい出していたんですかね。それで、最終的には5人通った。


渡辺喜美・衆院議員(みんなの党代表)
 もちろん、その中には、突然民主党の公認から外れてしまった、党のネクスト防衛大臣だった浅尾慶一郎さんとか、田中甲(たなかこう)という元民主党系の人もいましたね。

 日野 田中さんとか、柿沢未途さん(かきざわみと)とかの個別の支持者が首都圏にそんなにいたとは思わないんですね。
 中田 柿沢未途さんは故・柿澤弘治元外相の息子で元東京都議ですね。
 日野 「みんなの党」の候補者ですけど、もちろん、テレビ受けする渡辺喜美さんや江田憲司さんの支持者はそれなりにいたと思うんですけど、首都圏であれだけ票が出たというのは、別の要因がある。それは、今の自民党を支持できない保守層のサラリーマンがたくさんいたということです。
 そのあたりの票の行方がちょっと一つおもしろいなという感じがしました。
 中田 ここに資料があって、新聞なんですけど、「みんなの党」が、北関東(きたかんとう、東京を含む地域)の比例代表の得票で59万7025票とっているんですね。
 これに対して共産党が47万1138票ということで、「みんなの党」のほうが多いんです。もちろんトップが民主党の317万で、自民党が190万、公明党が85万で、「みんなの党」が4番目に来ているわけですね。
 日野 第4党ということですね。
 中田 これはどういうふうにごらんになりますか。まず、「国民新党」が田舎のおじいさんを取り込むのに失敗した。東京では25区から国民新党から、真砂太郎(まさごたろう)という人が出ていました。民主党の応援を貰っていたはずなのに、自民党の国交省あがりの井上信治(いのうえしんじ)という元官僚の前職に大差でやぶれています。確かにこの国民新党の候補は、民主党との選挙協力とのかねあいでくら替えをしたんですが、それでも大差が付きましたね。
 日野 参院選のときは、自民党政権はまだ小泉・竹中路線を継承しているようなイメージがあった状態だったので、「国民新党」がある意味で追い風があって、みんなの党的なものはまだ出てくる余地がなかったですね。
 しかし、今回の総選挙では逆に、麻生さんみたいに、小泉・竹中路線と本心としては「私は違うんだ、竹中の郵政民営化には反対なんだ」という人が総理大臣をやって、自民党の長として選挙を率いたことで、この争点では国民新党との差は付かなかった。

 中田 渡辺さんはたしか安倍内閣の改造内閣で金融大臣をしたんですね。
 日野 そうですね。官僚・公務員制度改革とかをやった。一方で、特に外資系の日本社会改造プランみたいなものと連動してそういうようなことを進めてきた方なのですね。
 中田 この辺が自民党の「上げ潮」派の中川秀直さんとも共通していますね。外資の保険会社の代表とか、アメリカの商工会議所の代表とよく会って、テレビに出ていましたから。

 そういった、渡辺さんの「みんなの党」が受けた。もちろん、必ずしも渡辺さんのように国際金融のカウンターパートになろうとした人だけが、この新政党から出たわけではありませんでした。だから、個々の候補者というより、改革政党という党のキャッチフレーズに有権者が反応したと考えるべきでしょう。
 つまり、都市型の住民は、民主党のある意味「ばらまき的」なものに必ずしも賛同できなくて、構造改革を推進する政党があったほうがいいという声が57万あったということでしょうか。
 日野 そういう票も出たという感じですよね。
 中田 それに対して、民主党自体が、前回の国民新党のスタンスをそのまま政党として受け継いでいるみたいなところもありますね、今回。地方対策とか。しかし、残念ながら伸びなかった。党首の綿貫さんから、幹事長の亀井久興さんも落選してしまって、残った大物は衆院では亀井静香さんだけになってしまった。





国民新党党首となった亀井静香


 日野 国民新党的な政策を、福田、麻生政権が打ち出してきて、路線転換してきた。民主としては、さらにそれに先回りで対応して、弱者への大幅な手当の拡充という政策に行かざるを得なかったというような感じで流れていったというのもあった。

 中田 意外に全然伸びなかったと思うのは、平沼赳夫(ひらぬまたけお)元経済産業大臣の政治集団です。これは政党ではないんですけど、平沼グループとして、実際には無所属でしたが候補者を15人くらい立てました。
 その中ではメディアは、城内実さんのことを大きく取り上げた。彼は、2005年の郵政民営化選挙で小泉純一郎に、元大蔵官僚の片山さつきを「刺客」(しきゃく)としてぶつけられて、あえなく落選してしまった。元は安倍晋三と近かった人です。郵政民営化の法案の採決では、安倍さんに「反対の票を投じないように」と議場で説得されていたシーンが有名になりました。

 この城内さんが、今回は選挙区で圧勝した。ということは、前回の選挙の震源地で大きな揺り戻しが起きているわけです。「最初の刺客」ということで、小泉が小池百合子を送り込んだ、東京10区でも民主党の新人が勝った。前回の総選挙で煮え湯をのまされた、小林興起(こばやしこうき)さんも比例単独で当選した。結局、小池も比例復活当選をしたわけで、片山さつきのように職を失うわけではなかったですが、流れが大きく変わっていた。そう考えると、国民新党や平沼グループじゃなくても、反小泉・竹中の受け皿はあったわけですね。平沼グループの当選者三人だって、個人の努力がものをいった。

 もともとは旧橋本派で、郵政民営化のときに竹中平蔵に果敢に国会論戦挑んだ小泉龍司(こいずみりゅうじ)さんという埼玉11区の元自民党の方がいる。しかし、結局この3人だけだった。
 どういった原因があると思いますか。政策的な面と議席獲得能力的な面で。古村さんいかがですか。
 古村 平沼さんが非常に外交政策がタカ派なので、平沼さんの対北朝鮮とか対中国の姿勢が有権者に受けなかったんじゃないかなと思います。
 中田 平沼さん自身が病気で倒れられて、小沢一郎のように全国行脚ができなかったという要因もあると思うんですけど。

 古村 そうですね。だけど彼を見たからといって、彼が全国を回ったからといって、支持がふえるかというと、ちょっと疑問符ですね。
 中田 今、保守的な言論という話が出ましたけど、こういうものが選挙の争点からはずれたのが今回の選挙だったと思います。この問題が注目を集めなかったのは、これまでの自民党政権が北朝鮮拉致問題の解決を唱えつつも、小泉訪朝以外に成果をだせなかったこと。国内景気も悪くなって、そとの北朝鮮の核開発もミサイルも優先度の高い問題ではなくなったこともあると思います。
古村 それはそのとおりだと思います。自民党は遊説で麻生太郎首相が、外交問題を取り上げたりしましたが、何が問題なのかを理解してしなかった。
 92年の大統領選挙のときのブッシュとクリントンの戦いのように、問題は経済だと。「問題は、経済だよ、バカ」と米メディアがブッシュ陣営をこき下ろす記事を書いた。今度の選挙も、民主党が、「国民の生活が第一」をキャッチフレーズした。これを「社会主義」と批判することはたやすいですが、戦後の政治は、「どっちが自分たちにお金をくれるのか」ということで動いてきたということを忘れては行けないと思います。社会党はお金を配れず、自民党が配ってきた。これが権力になってきたのです。

 今回、選挙公約を見ると、確かに10年後の成長戦略は書いてありますが、民主党と違って、自民党は「お金を配る」とは言わなかった。これだけの世界的なリセッションのときに、家計を支えると言わなかった、言えなかったことが、自民党に対する地方の反発を決定的にしました。

 まあ、生活が安定しなければ、北朝鮮に撃たれて死ぬより先に餓死しますのでね(笑)。

 中田 あと、茨城の医師会がまず民主党についたとか、そういう話が選挙前から出ていて、結局、茨城6区の自民党の厚生族といわれた、丹羽雄哉さんなんかが結果としても議席を失っている。

 また、小沢一郎が、農家の戸別所得補償を印籠(いんろう)のように掲げながらで、まるで水戸黄門みたいに、助さん、格さんなら秘書軍団を引き連れて、新潟県とか全国を行脚していった。
 自民党の支持母体(ベース)が、次々と民主党に奪われていったことで、自民党が自然に基盤を失ってしまった。そして、自民党には、アメリカの共和党みたいな、宗教保守の勢力と、お公家さんのリベラル派の政治家が残ったわけですよ。
 古村 それぞれの組織自体も既に硬直化、官僚化しています。私がアメリカで研究していた、「農協」(JA)にしても、農協の会員も、実際に農業をしている人と、東京にいて全中とかの会長をしている人たちでは意識が違う。そして、農協が自分たちの利益代表ではないということは、農家の人もはっきりともうわかっていた。小沢さんも、「農協は官僚化しちゃだめだ」ということを言った。そしたら、農協からは、抗議の書面が出ましたが、なすすべもない。医師会なんかも多分同じでしょう。
 中田 農協を小沢一郎が批判したというのは、具体的にはどういうことですか。そこのところは一般の人はわからないと思いますので。
 古村 農家の人たちが今求めていることと、自民党と農協の上の人たちが考えていることが違うわけですね。

農家としては戸別補償が欲しいし、減反してお金をもらっても、それだけ農業を続けて行くに先がないわけです。つまり、普通の農家は、そうとう閉そく感があるんですね。
 都市部にあるアパートをやっていて、それでいて農家を名乗っているような人たちは別だと思います。

 今までの農業政策に対しての批判があって、農協も実はそれに加担してきた共犯者であるということへの怒りがある。
 中田 専業農家が怒っているということですか。
 古村 いや、全体でしょうね。兼業農家も含めて。

 日野 ちょっと平沼さんの話に戻していいですか。平沼さんはタカ派的な政策を主張されていたということなんですけど、自民党自体がいま町村派が中心になっていて、外交・安保を中心として非常に宗教右派的な色を強めている。

 ただ、平沼さんは、言ってみれば、復党に条件をつけた、中川秀直幹事長という人への個人的な確執で自民党とたもとを分かっているだけですよ。その部分では、有権者から見れば、平沼と自民党にどれだけ差があるのかどうかもよくわからない。

 中田 要するに、中川秀直さんが幹事長だったときに平沼さんの復党問題があって、「わび状を書け」と言われた件ですよね。「わび状」という表現がいいかどうかは、わかりませんが。
 日野 このとき、郵政民営化法案に反対していた、野田聖子さんとか、今回落選して引退した、堀内光雄さんとかは、党の復党の条件を受け入れたんですけど、平沼さんだけは、あんなやつに頭を下げられるかみたいな感じで復党しなかったと。

 そういう経緯から意地になっているだけであって、政策的に今の自民党路線と、「すり合わせ」ができないほど、考えに隔たりがあるかというと、そういうわけでもない。平沼さんの選挙区以外の人から見ると、何が自民党と違うのかよくわからなくて、あまり存在意味がないということでしょうね。

 もう一つは、平沼さんが、打って出るチャンスを逸したということです。彼が、「改革クラブ」なんかの小グループの連中を引き受けて、一つの政治勢力として体をなしたものにしていったらどうかというような話もあった。ですけど、平沼さん自身が、理由はわかりませんけど、組織化して一つの勢力として影響力を持つことをあまり前向きにならなかったようですね。
 そういうこともあって、今回は泡沫勢力で、城内さん、小泉さんとか、選挙に強い人だけが同じグループから当選するということだったと思います。
 中田 「改革クラブ」というのは、民主党から出た参院で、元郵政大臣の渡辺秀央(わたなべひでお、新潟の政治家)さんとか、あとは……。
 日野 自民党にいて、郵政法案に反対した、荒井広幸(あらいひろゆき)さんとか、西村真悟さん。
 これが、すぐに自民党に入れない人たちの予備政党というか待機政党みたいな感じになっていまして、平沼さんと合流したらどうかという話も出ていたんですけど、平沼さんがそれを断ったというような雰囲気だったんです。
 中田 思想系譜的には、平沼さんというのは安倍晋三さんみたいな人と一緒になるべき人であって。
 日野 安倍さんと非常に近いし、安倍さんとほとんど矛盾するところはない方なので、郵政のときの遺恨(いこん)だけで自民党に戻れないということのようですから、存在意義というのは今回の選挙の中では出てこなかった。
 中田 なるほど。ありがとうございます。副島先生は、今回の選挙をごらんになってどのようにお考えですか。

 副島 あのね、平沼と安倍とは兄弟分なんです。平沼のほうが兄貴分になるんですよ、保守系の「日本会議」という組織の核の中ではね。先に平沼が首相になれると自分では思っていたぐらいの人だから。
 中田 あっ、それでへそを曲げている。
 副島 へそを曲げるというか、色合いの違いは少しあるけど、日本会議系ですよ。今回、外交安保政策では、北朝鮮問題の対応を全面に出した、幸福実現党という政党があったでしょう。これは、経済政策では大幅な減税政策を打ち出していて、これがもうブッシュ政権時代の共和党の考え方の引き写しのように見えますね。幸福実現党は、最後の最後で、小池百合子と合同で街頭演説をやって、「共闘宣言」をしたと報じたスポーツ紙もありましたね。これじゃあ、幸福実現自民党になってしまう、と誰かが冗談で言っていましたよ。
 日野 アメリカの共和党みたいに、宗教右派を大きな勢力として党の中に抱え込んでいくみたいな政党になっていくんじゃないですか。
 中田 基盤が日本会議で、一種の宗教右派というわけですね。日本的な原理主義ですね。原理主義というのは、戦前の「原理日本」の箕田胸喜(みのだむねき、きょうき)の発刊していた雑誌ですが。狂信的な愛国主義を打ち出していた。今の自民党の保守派はそこまで行かないけれども、小泉・安倍政権のとき、一時的にネオコン勢力の「受け皿」になっていた感がありました。
 安倍さんが首相就任前に、共和党系ネオコンの総本山「AEI」にわざわざ出向いたり、日本で主催されたシンポジウムに出ていたりした。
 確かに自由主義史観系の考え方は、それまでの左翼のカウンターバランスとして機能した時期があった。しかし、私が彼らを評価するのは、過去の歴史について、左翼に傾きすぎていたバランスを取ったからで、今の外交政策をタカ派的にやっていい、ということでは全然ない。それらは分けて考えるべきであると思いますね。
 日野 アメリカでも、民主党批判をするのは、リバータリアンみたいな反政府、反官僚もいるけど、宗教右派のような勢力もいる。

 中田 日本の場合は原理主義という動きは、90年代末の「自由主義史観研究会」の流れがあって、これがきっかけになって、保守的な流れに結びついてきた。しかし、日本の戦争や英霊を弁護する流れとは別に、それだけではなく、平行して反中国の思想も強かった。日本の保守というのは、副島先生が『時代を見通す力』で書いていたし、山本七平も昔、書いていたように、伝統的に、といっても幕末からですが、「反中国」なんです。これに反共の思想が、財界の共産主義への不安感のうまく結びついていったわけです。これはこれで必然性があった。
 そしてこれは、アメリカのほうと連動した動きですね。1990年まで、およそ45年ほどが、米ソ冷戦という枠組みで動いてきた。それを仕掛けたのは覇権国・アメリカだったわけですから、世界中がそのシナリオを意識していたわけです。そのときに、共産主義が反宗教だったことから、反共の側が宗教をテコにして結びついたわけです。
 これは、おそらく民社党のような労使協調の流れで誕生した保守政党とは違うのだと思います。
 副島 そういう話はずっと私が書いてきた。そういう思想的な話も良いけれども、今は、もっと実際的にどうなっていたかという話を私がしなければならないね。
 大きくは8月に入ってから波が変わったんだよ。7月12日の都議選で負けて、民主党の政権ができるという流れに変わった。
 しかし、自民党内の勢力各派は全然自覚がなかった。司令官クラスだから。末端の動きが見えなかったのかもしれない。例えば、小池百合子さんが、昔の自分の選挙区の神戸で一生懸命自民党の候補の応援演説をやっていたら、支持者の人から、「あなた、自分の選挙区に帰らなくていいの」と言われた。その時に、小池以下、自民党の幹部どもは、はっと気づいたというんだ。でも、もう遅かったんですよ。

 これが、8月の頭だったんだけども、一つ大きな波が後から襲いかかった。国民新党だって体質は一緒だから、渡辺喜美だってねらっていたし、自分のほうに自民党から20人ぐらいは崩れてくると思っていたんですよ。
 8月までは、国民新党系と鳩山邦夫系は、自分たちが波頭だと思っていたわけですよ。何しろ、弟の鳩山邦夫が信念を貫いて総務大臣をやめて、郵政民営化反対の旗柱を立てたとき、自分たちが最大の波だと思ったんです。
 ところが、その波から、民主党に勝たせろという大きな国民の波が起こったんですよ。亀井静香が言ったとおり、大きな波が押し寄せてきて、自分たちがのみ込まれていったんですよ。
 中田 鳩山邦夫は、選挙後に自分で新党をつくるみたいなことを言っていましたからね。
 副島 じゃなくて、核になれると思っていたわけですよ。
中田 政界再編の。 

副島 もっと言えば、民主党とは違う反自民党の勢力ですよ。やがてできる大きな勢力の核に自分たちがなれるんだと思っていた。
 しかし、そこはもう小沢にばれていたんですよ。小沢はそれを許さなかったということですよ。
 それがどこであらわれたか。私はじっと見ていた。そうしたら、8月17日に選挙の公示日です。選挙はそこから2週間ですから、公示日直前というか、まさに最後のぎりぎりの日に、「比例単独59人」というリストを小沢がぱんと出した。これが小沢戦略だった。この日まで手の内を見せなかった。
 その中味は、ほとんどが小沢直系の、小沢親衛隊の「小沢政治塾」の人たちだったんです。私は、この顔ぶれを見たときにぞっとした。川島智太郎(かわしまともたろう)、それから中川昭一にぶつけた元書生の石川知裕(いしかわともひろ)。それから、樋高剛(ひだかつよし)という人たちがいるんです。
 樋高は、神奈川18区だけど、彼らは狂信的な小沢一郎主義者です。彼らは、秘書グループとかそんな甘いもんじゃない。私は、単独比例に名前がついていただけの連中が次々に受かって(当選して)いったあたりが、今回の選挙で一番大事なところだと実は思っている。
  他に、民主党にもすでに農林族というのがいまして、新潟の筒井信隆(つついのぶたか)というのと、篠原孝(しのはらたかし)というのがいるんです。
 農協(JA)とその最上級の幹部たちの集まりである全中(ぜんちゅう、全国農業協同組合中央会)というが、FTA(フリートレード・アクト、自由貿易協定)に反対した。これで民主党をつぶせると思うぐらいの大集会を、8月1日に東京に結集してやったんです。
 古村君がさきほど言ったとおり、彼ら農協の大幹部たちは農業なんかやっていない。全国の駅前の、ビル持ち、土地持ち、アパート経営者で、金融資産家みたいなやつらです。一人で数百億円の資産を持っているような連中です。年がら背広を着て、会議ばかりで、農業(百姓)なんか全くやっていない人たちだ。
 こいつらがFTA反対で、これで民主党をつぶせると思って、民主党農林族をたたきのめそうとしたわけです。
 北海道の松木謙公(まつきけんこう)が、北海道グループですが、JA、全中の強い抗議に対して、ヘイコラして妥協しようとした。そのときに菅とかは反対した。民主党は政策調査会というのがありまして、そこが頑強に抵抗した。
 そこにも小沢一郎の直系がいまして、彼らが小沢に直言、直訴した。ここで、小沢が一発、「農協(の幹部たち)なんか相手にするな」という重要な言葉が生まれた。「あんなやつらは自分たちの利権のことしか考えていないんだ」ときっぱりと発言した。
そうしたら、この農協の、腐れきった大幹部たちは、一斉に黙りこくってしまった。この時、全中(ぜんちゅう)が、歴史的な大敗北を喫したのです。 これで、農協・全中は、崩壊します。小沢一郎のこの時の発言は、非常に重要なものだと思います。
 今度の選挙は、民主党がマニフェストの中で「五つの約束」をはっきり打ち出して、次第に国民にはっきりしてきた。
 まず、子ども手当を年間31万円あげる。つまり、若い夫婦に2人目の子供をつくりなさい、とやった。その次に、最低保障年金を7万円とした。 老人にはだれでも月7万円を上げると言った。3番目が、農業をやっている人で、農業所得が年間本当に、50万円以上ある人は、だれでも45万円をあげる。農協を通さない。農協に途中で天引きされて、手数料とかで、中抜きされるから、それを阻止した。これが、戸別の所得補償制度ですね。すばらしい制度だ。





今回の選挙の勝利は小沢の全国行脚

なしにはありえない(開票センターで

涙をぬぐう小沢一郎)



 4番目が、高速道路を無料化する。これも、すばらしい政策だ。地方の高速道路は、お金がかかるから誰も使わないで放置している。本当にもったいない。それもこれも自民党と官僚たちが、自分たちの利権にしているからだ。 5番目が、月に10万円の手当つきの職業訓練。職のない人たちにお金を出しながら職業訓練を与える。それこそば、らまきなんだけど、全部で15兆何千億円かかる。それでも、すべて国民思いの、非常にいい政策だ。どんどんやるべきだ。
 中田 17兆円ぐらいかな。
 副島 これでも最低限度だ。これらの財源をどこから探し出して、持ってくるかが問題なのだけども。農家の貧しそうなおばあさんたちが、私がテレビを見ていたら、「小沢さんが(私たちに、ひとり)45万円ずつくれるんだって」とはっきり言っていたからね。私は、小沢は本当に偉い政治家だと、思った。貧しい老人たちが、小沢一郎に、全国各地で、すがりついていたもの。 これが本当の政治だ。
 東北、北海道、九州まで、農水族がたくさんいるところほど、自民党=農協がわーっと崩れて、今度は小沢一郎支持に回った。日本国民に、それこそあした食えない人たちが本当にいるんですよ。彼らが小沢一郎に「助けてくれ」と直訴し始めた。その波が8月17日から起きたんです。この新しい波が、その前の小波たちを乗り越えていったわけ。
 亀井静香たちはたかをくくっていた。最後の段階で、渡辺喜美(わたなべよしみ)も小沢と連立協議をやって、下につくかつかないかという議論になったわけです。
 渡辺が子分にはならないと突っぱねたんだけど、その段階で小沢はすぱっと切った。渡辺たちは、今は苦しくても、自分たちは、新しく出来てゆく保守政党(自民党が無くなった後)の中核になるのだと決断した。 これで、はっきりと選挙後の流れが、ヨーロッパ基準での、社会民主主義政党(ソシアル・デモクラット)としての民主党(労働者と貧しい層の国民の政党)としての性格がはっきりして、これで、民主党政権ができるという骨格が決まった。
 だから、これで、やがて民主党と対抗する、保守派(資産家と経営者たちの党)の勢力が出来あがっていって、日本も、二大政権交替体制(two party system トゥー・パーティ・システム)の 二大政党の国になってゆくことがはっきりしたのだ、と私は判断しなした。
 このあと、「政権移行チーム」というのをつくった岡田と鳩山で新しい政権、閣僚をつくろうとしたら、小沢が待ったをかけました。
 小沢が偉かったのは、「新政権は、国民新党と社民党との連立政権である」と言ったことです。ちゃんと、連立政権の手続を踏めというわけです。党三役が決まる前に、連立政権であるところの最高決議機関を作ってそれに従えと小沢が言ったことは偉かった。それが、次の政治体制の骨格を決めていく。
 この他に、電波・通信系の民主党の族議員になってゆくのだろうけれども、NTT労組出身の内藤正光(ないとうまさみつ)という人がいる。それから、通産官僚出身の松井孝治(まついこうじ)という人がいる。松井は、京都の政治家です。ということは、京セラの稲盛和夫の子分です。NTT系じゃない。KDDI系、au系です。


 だから、彼らを入れるというのが一つ。医療・保健系は、厚生族と言うのだけれども、年金は長妻昭がやるんだろう。医療政策は、足立信也(あだちしんや)と鈴木寛(すずきかん)という人たちがいる。彼らは参議院だけど。民主党の幹部のひとりの仙石由人(せんごくよしと)もそうです、厚生族です。
 厚生労働省をたたきのめす政策は、何と舛添要一・現厚生労働大臣と、民主党政権は、政策的に共通しているんです。要するに、官僚たちには、だまされないということです。だから、従来の族議員がどのように姿を変えていくかを、私はじっと見ている。
 結局、小沢直系がこれまで80人いたのが、今回、40人ふえて120人になったのです。もしかしたら140人になったかもしれない。それが今回の選挙の結果です。やったことは、先生の田中角栄の戦略と全く同じなのでしょう。
 中田 悪い言い方をすれば、選挙に勝つということだけを考えて政策を打ってきていますよね。
 副島 そういうことです。
 古村 ちょうど田中派が一番膨張したときが140ぐらい。だから、党の半分。小沢チルドレンなんて言われている人もちょうどそのくらいです。

 副島 しかし、それは衆議院議員だけででしょう。参議院まで入れたらもっと多いんだぞ。

 中田 参議院に50人ぐらいいるんですかね。
 古村 そうしたら200人ぐらいになっちゃいますね。もうこれは党の半分を握る。
 4分の1国会議員を握るというのが田中の戦略だったから。小沢は田中角栄の参考書をずっと勉強していたんですね。
中田 まあ、話は飛んでしまいましたが、一番目の話題の話はこれくらいにしておきましょう。



(二回目につづく。二回目は会員ページに掲載します)

編集・文章整序:中田
2009/09/16(Wed) No.01
 
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【引用終わり】以上の通り

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