2010年2月22日月曜日

「日中歴史共同研究と曲学阿世」: by 笹川陽平ブログ



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日本財団会長 笹川陽平ブログ
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【出典引用リンク】: http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/2316

引用以下の通り

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「日中歴史共同研究と曲学阿世」 [2010年02月22日(月)]
民間レベルで取り組んだ共同研究(2006年5月発行)
「日中歴史共同研究と曲学阿世」
2006年10月、安部晋三首相が訪中し、胡錦濤国家主席に日中間の歴史共同研究を提案、基本合意を得た。日中の歴史問題を学者に委ね、共同認識を持つことが狙いであった。

しかし、この提案は失敗だった。発端が政治主導である上に、相手は学問や表現の自由が著しく制限されている中国である。共同研究は政治と切り離せない関係になってしまった。

議論は、研究の継続を確認した2008年5月の胡錦濤国家主席の訪日までは順調であった。しかしその後、中国側は一般国民への影響などを理由に、討議要旨に続いて論文全ての非公表を求める事態に陥った。この中には中国の一般市民が知らないこと、知らされていないことが多々あり、「表に出せば問題が起きかねず、中国政府が恐れて待ったをかけたのだろう」(2月2日 朝日新聞)。

この共同研究の成果?は、公表が一年以上も遅れた。その上、日本での大々的な報道に比べ、中国ではベタ記事扱いだった。

私はこの報道を読んだ時、『曲学阿世』なる言葉を思い出した。

かつて吉田茂首相は、サンフランシスコ平和条約の調印について、「永世中立とか全面講和は、現下の情勢では到底行い得ない。それなのに全面講和を主張する南原繁東大総長の言葉は『曲学阿世』の徒に他ならない」と発言した。

名指しされた南原繁総長は「学問の冒涜、学者に対する権力弾圧」と反論。『曲学阿世』なる言葉は広く国民の知るところとなった。

本来学問は、国家や権力に阿るものではない。政府に任命された今回の委員である学者は、任命された時点ですでに何らかの制約を受けおり、学問的良識に基づいた主張をなし得なかったことは、報道により明らかである。

歴史上、学問の真理探究と研究成果の発表のために獄に入牢した人々は、世界に数多く存在した。日中歴史共同研究においても、学問的良識のある学者なら妥協せずに即刻委員を辞退すべきであった。

報道によれば、共同研究は更に続くという。日本の学者はいつから政治家擬いになったのだろうか。

ちなみに我々は、2001年から「日中若手歴史研究者会議」をスタートさせた。時の政府に係わりのない、民間によるプロジェクトであった。比較的若い世代の研究者を中心にした緩やかな研究会組織であったが、「和やかな理性的な対話が可能であることを知ったのは貴重な経験であった」と、参加した日本人学者が述懐していたのが印象的である。政府間の「日中歴史共同研究」発表の4年前であった。

研究討議の内容は、2006年5月、「国境を超える歴史認識」として、東大出版と中国社会科学院出版社から同時出版されている。ご興味の向きは今回の「日中歴史共同研究」と読み比べされことをお勧めする。


*曲学阿世(きょくがくあせい)
「真理を曲げて世間の気に入るような説を唱えること」
出典;史記(儒林列伝)

前漢の最盛期を築いた武帝は、即位と同時に天下に広く人材を求め、詩人として名声のあった 轅固生(えんこせい)を登用した。彼が同郷の公孫弘(こうそんこう)という若い学者に言った。

「今、学問の道が乱れ、俗説が流行している。どうかしっかり勉強し、自分が正しいと思うことを言いなさい。決して自己の信ずる学説を曲げ、世間に阿らないように」という言葉が成語の由来です。


(次回2月24日は、「ハンセン病制圧活動でインド訪問」です)

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