鳩山内閣メールマガジン(第30号 2010/05/13) |
鳩山由紀夫の「ゆう&あい」
[負担を分かち合う] |
連休中の5月4日、沖縄を訪問いたしました。
県庁でお会いした仲井眞知事には、現在の日米同盟のもとでわが国の安全を守るためには、普天間基地の機能のすべてを国外や県外に移設することはどうしても難しく、誠に申し訳ない思いでありますが、県内への移設をお願いせざるを得ない、ということを率直に申し上げました。
普天間第二小学校では、住民の方々との対話集会をもたせていただきました。私も校舎の屋上から直接拝見いたしましたが、この小学校は、普天間基地の飛行場のすぐ隣に接しています。住宅やマンションの上を飛行機やヘリコプターが飛び、私の訪問中にも、飛行機が数回上空を飛んで爆音を響かせました。
学校の先生や保護者の方からは、「授業を遮る爆音、基地があるために起こる事件事故の可能性を1日も早くすべて取り去って頂きたい。子どもたちが安心して学校生活を送れるようにしてほしい」との切実なご意見を頂戴しました。危険性や騒音を除去するためには、1日も早く移設先を探さなければなりません。
米軍の施設等がある県内の19市町村長ともお会いいたしました。首長のみなさんからは、「県民大会で示されたように、県外移設を求めている。安全保障全般の議論をすべきであり、全国で応分の負担をしていくべきではないか」などのご意見をいただきました。
また、先週金曜日には、鹿児島県知事や徳之島の3町長と官邸でお会いしました。ご迷惑をおかけしたことについて率直にお詫び申し上げるとともに、沖縄の負担を「一部、ぜひ徳之島でお引き受けいただけないか」とお願い申し上げました。
日本の0.6%の広さの沖縄県に、普天間基地を含め在日米軍基地の74%が存在するという現状。
基地問題は、北東アジアの地域が依然として不安定な状況の中で、この国の安全のため、国民全員で考えていかなければならない問題です。すべての国民のみなさま方にご理解いただき、負担を分かち合うというお気持ちを持っていただければと考えています。
昨年政権に就いてから約8カ月、さまざまな角度から米国とギリギリの交渉を行っています。日米同盟を守り、国の安全保障を維持しながら、トータルとして沖縄県民のみなさまの負担をどれだけ軽減できるか、5月末の決着に向けて、私自身がその先頭に立って誠心誠意努力してまいります。
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小沢大臣が語る
[水俣病被害者救済と地域再生に向けた新たなスタートについて] |
環境大臣
小沢 鋭仁(おざわ さきひと)
5月1日、水俣病犠牲者慰霊式に歴代総理として初めて参列した鳩山総理とともに出席し、心から哀悼の意を表しました。
ここに至るに先立ち、3月には、裁判を行っている被害者団体の方々と和解に向けた基本的合意が成立、4月には、水俣病特措法の救済措置の方針の閣議決定を実現致しました。これらについては、昨年7月の水俣病特措法制定、その後の「いのちを守る」鳩山政権の発足以来、環境省の最重要課題の一つとして取り組んで参りました。田島副大臣が陣頭に立ち、省を挙げて、精力的かつ丁寧に関係各方面からご意見を伺ってきました。私としても自ら現地を見て、現地の声を聴きたいと考え、5月1日以外の現地入りは余り例がないということでしたが、3月に水俣を訪問した上で、担当大臣として最終的な決断をしました。
水俣病が発生してから50年以上が経ちます。私にとって水俣病と言えば、子供の頃テレビで「踊る猫」の映像を見たことや、学生時代に故宇井純先生による自主講座に参加したことが思い出されます。まさに公害問題の原点であり、この問題を責任者として担当し、この日を迎えることができたことは、政治家冥利に尽きると申しましょうか、誠に感慨深いものがあります。
慰霊式において、遺族の方が、辛い経験、そして命と自然の大切さを言葉にされるのを聴きながら、振り返って改めて海を見ると、その美しさはこの上ないものでした。3月の訪問の時にもそう感じましたが、美しいが故になおさら、この海が水銀で汚され、深刻な健康被害をもたらし、地域社会にも深刻な影響を及ぼしたことに対する哀しみの気持ち、そして、それを行政が食い止められなかったことに対する大きな反省の念が自然と沸きあがってきました。
総理は「水俣病問題がこれで終わるなどとは決して思っていません。むしろこの日を新たな出発の日にしたいと思います」と述べられましたが、まさにそういう気持ちで今後取り組んでいきます。
慰霊式終了後、今般の閣議決定による給付申請の窓口開設式を行い、受付を開始しました。一日も早く、水俣病被害者の方々があたう限りすべて救済されるよう関係自治体と連携しながら努力していきます。さらに、胎児性患者の方々をはじめとする医療・福祉対策や地域の絆の修復・地域振興などにも将来にわたって真剣に向き合っていきたい、そして、水銀に関する国際条約を「水俣条約」と名付け、水俣の経験を国内外に発信していきたいと考えています。
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頑張ってます
[夢は実現する~自分の可能性を信じて~] |
バンクーバーパラリンピック日本選手団主将・金メダリスト
新田 佳浩(にった よしひろ)
私は3歳のとき、祖父の運転するコンバインで左腕を失いました。家族は、「障害にも負けない強い子供に育てよう」という想いで教育してくれました。その1つとして地元岡山県の西粟倉村では、小学校に入るとスキー教室があり、父親は「小学校の先生に迷惑をかけないように」という想いで4歳のときスキーを始めさせました。
小学校に入るとスポーツ少年団で夏場はソフトボール、冬はクロスカントリースキーを行い、中学2年生のときに全国中学校スキー大会に岡山県代表として出場したことがきっかけで、パラリンピックを目指すようになりました。
パラリンピックを目指すようになって、事故の責任を感じている「祖父に金メダルをかけてあげたい」という想いを持つようになりました。
バンクーバーパラリンピックには日本選手団の主将として臨みました。まず行ったのは、障害を負った背景や、年齢、競技性の違いに関係なく、多くの方に声をかけることでした。「個人ではなく、日本チームで闘うんだ」ということを思わせるように心がけました。その気持ちがみんなに伝わり、金メダル3つを含む11個のメダルを獲得することができたと思っています。
私個人の競技においても、ワックスマンを始め、チームスタッフが一丸となり、勝利を導いてくれました。チームみんなと喜び合ったそのとき、何事にも代えられない瞬間でした。そして、悲願だった祖父に金メダルをかけることも達成することが出来た瞬間でもありました。
4月23日に総理官邸で行われたパラリンピック日本選手団に対する記念品贈呈式、懇談会で、首相から「国民の皆さんを勇気付けてくれた」「障がい者スポーツの現状をもっと知りたい。そして出来るだけ協力したい」と言っていただきました。まだまだ未発達な障がい者スポーツ界ですが、これを契機に今後更なる発展をし、より多くのパラリンピックアスリートが活躍できる環境を作ることが私の次なる目標でもあります。「夢は実現する。」その言葉を信じて今後も頑張っていこうと気持ちを新たにしています。
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編集部から |
今週は、バンクーバーパラリンピックで、日本選手団の主将を務め、2つの金メダルを獲得された新田佳浩さんに寄稿していただきました。新田さんは、主将としての使命感、チームとして戦うことの重要性について、語っておられます。国を代表して戦う選手は、国民の期待というプレッシャーと、代表としての誇りの二つを背負って競技に臨むと言われています。
今週月曜日、6月11日から南アフリカ共和国で開催されるサッカーワールドカップの日本代表メンバーが発表されました。代表選手の皆さんと日本代表チームがその持てる力を存分に発揮し、奮闘されることをお祈りします。
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総編集長:内閣総理大臣 鳩山由紀夫/編集長:内閣官房副長官 松野頼久
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