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世界の政治・経済・情報・人脈・資本・産業・報道機関等を支配・管理するほどの国境なき活動で、世界に大きな影響を誇示するグローバル実業家集団一族の根底にある想念は一体どのような歴史的な背景から生じてきているのだろうか?????
この設問に対しての解答は、簡単に求められるわけではない。
古代ユダヤ王国の歴史が、神話的な伝説として、世界の各地に広がって生きてきた多くのユダヤ民族によって、絶えることがなく、現代まで、引き継がれ語り続けられてきている。
ユダヤ民族の世界各地への流浪の始まりが、旧約聖書の中には、語られている。
古代エジプトの王朝の中で、多くのユダヤ民族が奴隷として蔑まれ使役されていたのである。
様々なユダヤ民族の指導者達の伝説・説話・歴史的な物語のように、語り続けられて現在の世界に、伝えられて残されてきたものが、旧約聖書であり、その中に残され記されて数千年に渡って伝えられているのである。
その中には、人類世界の未来を預言するような記述も、ユダヤ民族の聖なる言葉の書として、扱われている。
古代エジプトの王朝の中で、その絶対的権力の誇示としてのピラミッドの建設のために、多くのユダヤ民族が奴隷として使役されていた人間達の社会史的な歴史上の伝説なのである。
これらの物語の根底にあるのは、民族として、虐げられ奈落のような生活状態を生き残るべき術として、そのような宿命的な逆境状態から、どのように、きりぬけていったのであるのかについての先祖達が経験したことを教訓として、たどることであるように思える。
耐えることを遥かに超えた人々の奴隷状態の抑圧された困窮な生活状況から、如何にして、しのぎ、生き残ることに希望を託したのであるのか。
これらについて、我々の人類の先達たちの人々は、その時代の絶大な支配権力者に抑圧されながらも、反抗・抵抗をしながら、どのような思いで、生活したのであろうか。
彼ら民族共同的な指導者が、熟考し、失敗を重ねながらも、綿密な計画をたて、どのような手順で、実行したのかについてを考察することも、意義深いことである。
古代エジプトにおいて、絶対的な支配者に、抵抗して生まれた人々の集合的共同運命体が、いわゆるユダヤ民族としての起源なのであろう。
ユダヤ民族の起源においては、単なる帰属的な種族を意味するものではないのであろう。
世界の人類の4大分明の発祥地の一つである古代エジプトにおいて、旧約聖書の中で語られているユダヤ民族の言い伝えが、現代に生きるユダヤ人においても、旧約聖書を通して、先祖達が経験した聖なる言い伝えとしての物語を自らの生き方としての教訓・訓示・啓示として、人生の歩み方や思考・想念・判断に大きな影響を与えているのであろう。
この民族の歴史物語をユダヤ民族の宝のように大事にして、世界各地に、流浪しながらも、生活の糧や基本にして、生存してきたのであろう。
民族の起源を聖なる書物として後世に伝え、子々孫々へ、引き継がれ、大事にして継続してきたからこそ、世界各地に流浪した民族の拠り所として、その訓話的な想念の文化を共有・共感することが可能となっており、哲学的・想念的な民族としての共同・協力・団結心等が生み出されてくるのであろう。
この旧約聖書は、ユダヤ民族の誇りであり宝なのである。 かつユダヤ民族の先祖からの貴い遺書なのであろう。
聖書の物語の真偽は別として、その聖書の物語は、今後とも、人類の歴史の中で、新らしいページが聖なるユダヤの人によって、付け加えられて、後世に伝えられていくことであろう。
そのユダヤ民族の歴史の流れ中で、世界的な活動・支配を成し遂げてきたユダヤ民族の旗頭の一員であるロックフェラー一族は、今後の世界の大きな時代変遷の中において、統括的な権力支配者として、世界に君臨し、存在・存続・継続し、続けていくことは、困難なことであろう。
なぜならば、それを例えるならば、人類の歴史の変遷における物理的なエントロピー的な拡散の原則を押しのけて、集中的な集積という過程に進むということは、そこに莫大なエネルギーを必要とされるがゆえにおいて、また物理の経時の過程が、拡散の過程に進むという物理熱力学の法則が存在しているがゆえなのである。
現世に言い伝えられて残されてきた聖書の記述やその解釈・編纂も、物理的な拡散の過程による経年の過程での分散的な流れの中で、様々に変化せざるを得ないことなのである。
例えとして、人類の知恵と力をある種の理想的な社会的想念や論理に集結させることが可能であったとしても、また、その管理・運営過程のすべてについて、そのような機構を維持できるような絶大な権力を構築し、維持・管理を企てたとしても、総合統括司令塔のような統括機能を維持して、その管理機構を経年的に変化させずに運営させていくことの果てしのない無限の工程を実現させていくことは、この現実の人類社会の中に存在する多様性のある情念の世界をも含めて管理することの実現性およびその可能性は殆どないことになるであろう。
人類の生存の存在のその根底には、遺伝子に組み込まれた生物の生命の本源の中に情念・条理を所有している。
そこには各自各位が、個別的独立(Independance)して、存在して、個々に内有されているものである。
それこそ、天地を司る神の持つ力によって可能であっったとしても、多様性のある世界の民族・民衆の意思を分断ではなく、統合・統一することは、非常に困難な過程を進む事を意味しており、その実現可能性は殆どないことであろう。
楽観的な理想論では、超えることのできない生物種の生存の宿命がこの先に大きく待ち構えていることが判明するのである。
今後において、中国においての,秦の始皇帝の末裔である中国民族のある種の帝国主義国家の台頭に対して、どのように、このユダヤ的な思想で、ユダヤ民族と呼ばれている人びとは、どのように対抗していくことになるのであろうか?
現在の世界の状況は、その大きな勢力である米国および立ち上がる龍のごとき新興の中国との国際関係の力学によって、生じた新しい舞台劇が開始されてきたのである。
無神論を基本として成立している中国共産主義思想と有神論で構成された自由主義リベラルの西洋思想の並存する現代社会の未来はどのような展開がなされることになるのであろうか。
人類の民族の興亡の歴史においては、絶え間ない生存競争・闘争と平和・協調の間の大きな揺り動きの変動の中で、浮き沈みを繰り返し経ながら変遷していくことになるのでであろうか。
日本を始め、世界の先進的な諸国は、その自己保全的・拡張侵略主義的な安易な考えによって、世界の安定・秩序を脅かすような殖民帝国主義的な覇権的な競争と表面上の協調・共同主義で、国際関係を形成しようとしている。
世界の秩序を破壊して、限度を超える大きな影響を及ぼすであろう中国の覇権帝国主義的共産主義やイスラエルにおけるユダヤ的な正義という名を偽るイスラエルの侵略的な殖民主義・シオニズム・宗教教条原理主義、日本や米国、西洋諸国における資本的強者による帝国主義には賛同できない。
このいずれも排他的な自己保全的思想や既成既得権力支配者の論理で形成されているのである。
民族・人類の可能性を追求する歴史の過程で、人々が安心して暮らせないがために、流浪すべき状況の出現を防ぐ方法として、律法に規範を置く国家という共同運命体を形成・構築しながら、また生活の規範・道徳としての神と言う概念が私達の先祖達の知恵の中で、創られ生まれ、育てられてきたのであろう。
人類の未来において、人類社会を秩序安定させて、統括支配・管理する神は存在するのか、あるいは存在しないのかの神学論や神の如くのような絶対的な支配権力を求める者の論理・思想は、これからも探求されつづけられていくことになるであろう。
希望は逆境・絶望の状況を経験したことのあるものにだけ、その輝くような存在の価値があるようである。 そこにこそ、叱咤激励の自己への啓発と不断の努力が生みだされてくるのである。
社会で、成功する人は、このような逆境の状態を乗り越えてきているのである。
安穏で、安逸な生活の行き着くところは、やがては、絶望の暗闇が待ち構えているのである。
民族、国家の興亡においても、このような原理・原則が厳然と存在しているのである。
未来の社会においても、そこに、永遠的に確実に継続されて存在するであろうものは、【未来への希望】と【対立関係ではない信頼関係によって形成され共有された共同・協同】といわれる人類社会や宇宙法則に共通に存在している調和・秩序・安定を求めて変動する物理力学的概念的な想念・イデアなのである。
混沌・破壊のブラックホールは、我々の世界から、遥かに遠い別次元の事象の現象なのである。
私達は、夜空に浮かぶ個々なる無数の星達で形成された宇宙の秩序と一体なのである。
我々の先達が、夜空の星に未来への夢と希望を託したような素朴で謙虚な存在であり続けたいものである。
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