2017年1月30日月曜日

プーチン大統領が講道館を訪問、案内役の山下泰裕氏が会見



2016/12/16 に公開

https://youtu.be/G-7s12UIETw


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山下泰裕 (84`ロサンゼルス五輪)
Yasuhiro Yamashita
Olympic Games LosAngeles1984



  

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2014/08/20 に公開

Yasuhiro Yamashita
Olympic Games LosAngeles1984


カテゴリ スポーツ
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Yasuhiro Yamashita's Relives Olympic Judo Gold | Olympic Rewind



2014/07/20 に公開

Don't miss out on everything Olympic! Click here for all highlights, behind-the-scenes and more! http://go.olympic.org/watch?p=yt&teas...

Japan's Yasuhiro Yamashita looks back on his journey to the gold medal at the Los Angeles 1984 Olympic Games and discusses each bout on his way to Olympic triumph.

Discover more about Olympic Judo: http://www.olympic.org/judo

You can follow your favorite Olympians on the Olympic Athletes' Hub at http://hub.olympic.org/



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山下泰裕 公式サイト

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http://yamashitayasuhiro.com/


※Reference:
http://yamashitayasuhiro.com/message/detail.php?ID=1965

2006年05月29日

わが師を語る

柔道家として、ロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得するなど輝かしい偉業を成し遂げた山下さん。現在は国際柔道連盟の理事として、柔道のさらなる発 展に尽力しています。柔道を通じて日本と世界の架け橋になりたいと語る山下さんの活動の原点である東海大学創始者松前重義元総長の教えについてお話をうか がいました。

山下さんの恩師について教えてください。
私は現在、柔道を世界中に広め、柔道を通じて日本のこころを多くの人達に伝える活動をしています。そんな私の活動に最も大きな影響を与えたのは、母校であ る東海大学の創   始者・松前重義元総長です。

総長は私と同じ熊本出身で、政府の高官をされ、工学、教育、スポーツ振興、政治など多方面で活躍をされた方です。特に日本と旧ソ連の国民間の交流を大切に し、「大シベリア展」を開催したり、「日ソ円卓会議」を催したりと、民間外交の指導的な役割を果たされた方でした。

スポーツ振興の面では、総長ご自身も柔道が大好きということもあり、国際柔道連盟の会長を8年務めるなど、柔道の普及発展に尽力され、私のことも陰になり 日向になり、応援してくれました。

松前総長と初めてお会いしたのは高校1年の時のことです。熊本で柔道大会が開催され、その時にお目にかかりました。その後、松前総長の強い勧めもあり、東 海大学付属相模高校へと進みました。

特に印象深かった松前総長の言葉について教えてください。
選手時代に何度も総長から言われたことなのですが、「山下君。僕がなんで君を一生懸命応援しているか分かるかい? 柔道の試合で勝ち続けて欲しいというこ とも、もちろんあるけれども、決してそれだけじゃないんだ。日本で生まれ育った柔道を通じて、世界の若者達と親交を深めて欲しい。さらには、スポーツ交流 で世界平和に貢献できるような人間になって欲しいんだよ!」と。しかし、当時は頭では理解していたけれども、身体で実感することはできませんでした。

総長の言葉を実感できるようになったのは、残念ながら総長がお亡くなりになってからのことです。時間が経てば経つほど、この言葉が、だんだんと重みを増す ようになり、私のスポーツ国際交流というライフワークの原点となりました。

松前総長は山下さんにさまざまな経験をさせてくださったそうですが。
私が高校2年生の時に、東海大学柔道部でヨーロッパ各国や旧ソ連などに海外遠征をしたことがありました。海外に遠征すると、先方の国の代表と、今後の活動 の方針について話し合う会議の場が設けられることがあります。旧ソ連に行った際、総長は国際的な会議というものを私に見せるために、同席をさせてくれまし た。これは後に総長の秘書の方から開いたのですが、「山下君は将来、日本と海外との交流で、大事な場面に出ていくことがあるだろうから、その時のために少 しでも多くの場を経験させてあげたい」とおっしゃっていたそうです。

総長のおっしゃった通り、大切な場に出ることになったのは、2003年に小泉総理とともに、遷都300周年記念式典参加のため、ロシアのサンクトペテルプ ルグに行った時のこと。

実は小泉総理が、前回プーチン・ロシア大統領と会談された際に、「次に来る時は、柔道の山下も連れてくるから、柔道場で会談をしましょう」とお話をされた そうです。プーチン大統領は、週2回は柔道着に袖を通すほどの柔道好き。小泉総理もそのことを踏まえてそうおっしゃったのでしょう。しかし、大統領のスケ ジュールの都合や、柔道場までの移動時間、警備の問題などがありなかなか決定しませんでした。

ロシアへの出発日の十日ほど前のことだったでしょうか、夜に外務省から電話があり、「たった今、ロシア外務省から電話があり、プーチン・小泉両首脳会談が 柔道場で行われると決まりました。一緒にロシアに行っていただけますね」と。分かりましたと言って受話器を置いた瞬間に、松前総長が喜んでいる姿が目の前 に浮かんできました。

この300周年記念式典には、世界の首脳達が出席しましたが、アメリカのブッシュ大統領以外で、プーチン大統領と首脳会談ができたのは小泉総理だけと聞い ています。

以前はそんなに意識することはなかったけれども、節目節目で総長が生前も、そして現在も私を導いてくれているのだなと感じるようになりました。

世界各国との交流を通じて、目指すものについて教えてください。

松前総長のスポーツ交流の意志を受け継ぐ形で、今年の4月からNPO法人柔道教育ソリダリティーというものを発足させました。国際柔道連盟に加盟している 国は現在、191カ国。その3分の1くらいの国では1着の柔道着が、3カ月分の給料を出さないと買えないんです。だから、そういった国々に柔道着を送ると か、指導者を派遣するとかいった活動を中心に行っています。

しかし、ただ単にものを送り、技術を送るだけという支援ではなく、「こころ」を伝える活動につながるようなことをしていきたい。柔道の「こころ」で最も大 切なことは、相手に対しての敬意です。柔道は相手がいなくてはできません。相手は敵ではなく、お互いを高めあっていく存在なわけです。この「こころ」を伝 えていきたい。

柔道で世界の人々と交流することで、日本文化や日本人にもっともっと興味を持ってもらったり、信頼を寄せてもらいたいのです。もっと多くの人たちと協力を して、20年後30年後に今の活動が実を結ぶよう努力していきたいと思っています。



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目指せ、世界の頂点

http://www.judo-ch.jp/interview/yamashita/index.shtml


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著名な柔道家インタビュー その1

山下泰裕東海大学体育学部長インタビュー

(※ Note: 以下抜粋 Following extract )

※2011年10月に東海大学副学長に就任されました。

2009年4月に東海大学体育学部長に就任した山下泰裕氏。
柔道界の顔として、日本のみならず世界中で活躍されてきた山下氏に、現在、大事にしていること、プーチン氏との交友エピソード、現役時代の思い出話など、幅広い内容のお話をお聞きしました。

■生年月日:1957年6月1日 ■出身地:熊本県山都町 ■身 長:180cm


学部長就任で人生の方向が変わった

体育学部長に就任して、少し自分の人生の方向が変わった気がしています。つまり、自分が教わってきた大学に対して貢献、恩返しをしなければいけないと感じているところです。
どこの大学も少子化により若者が減ってきて、非常に厳しい状況にあります。東海大学も同様です。だから、学部長になった今、まずは学生たちのため、先生方のため、事務職員たちのために行動しなくてはいけないと考えています。これは私の考えですが、私のような立場の人間が、下の方を見ているか、上を見ているのかによって、かなり違うと思うんですね。もちろん両方を見ないといけないのですが、上の意に沿って上が喜ぶようにだけやっていると、下の気持ちというのが理解できない。あるいは上からの押し付けになっていくと思うんです。だから、「東海大学の役に立つ」というのは、まずは体育学部の先生方がここで働くことのやり甲斐や生き甲斐を感じる。そして、大学で学んでいる学生たちも「東海に来て良かったなぁ」と感じる。そういう体制を作って初めて、本当の意味で貢献していると言えると思うんです。
今までは外のことばかりやっていて、中(大学)のことはほとんどやってきませんでした。だからこそ今、学生のために、大学のために、私が本気で汗をかこうと思っていることをきちんと示さなければならない。学部を、学科を、学生や教員を取り巻く環境を、変えようとしているという気持ちが伝われば、協力してくれるだろうし、いろんなことが変わると思うんです。


物は見方

周りの方々に「学部長になられて大変でしょう」とよく言われますが、今までもいろんな局面で、新たな体験とか、新たな問題との遭遇というのはありましたから、自分ではそうは感じていません。物は見方で、この年齢(52歳)でそういう問題に直面し、あるいはそういう役割を担うことは、これからの人生の中で、必ず生きてくるだろうと思っています。やるからには、前向きに考えるのが、私の生き方ですから。
地域との交流も積極的に行ないたいと思っています。大学が何のために存在するのか、また、何を目指しているのか。存在意義、社会貢献、これは非常に大切なことだと思うので、いろんなところと協力関係を作ってネットワークを築いていく。お互いの持ち味を発揮しあうことで相乗効果も生まれてくると思うんです。
何かをやろうとしたとき、自分だけでやるのもいいけど、いろんな人と連携してやることで、長く続くし、より効果的になる。労力は、最初は少し大変に感じるけど、長い目で見ると、かけたエネルギーが3倍、5倍になって帰ってくるような気がします。


「しなきゃいけないこと」は何もない。

私は「しなきゃいけないこと」というのは、極論すると、何もないと思っています。24時間全部自分のものだと思っているので、どう使おうと全部自分の判断です。その代わり、誰にも責任転嫁はできない。
食べるためにやりたくないことをやることはあります。場合によっては意に反してもしがみついている。だけども今の私にとっては、「しなきゃいけない」のではなく、自分がやりたいこと、今やっていることが強く繋がっているからやっているだけなんです。地域との連携にしても、別にやらなくてもいいんです、今までずっとやってきているわけではないですから。でも、うちの大学にとって、学部にとって大事だな、大学の使命のひとつだよな、と私自身が思うからやるわけです。
今やっていることは全部ではありませんが、多くは自分の意志に基づいています。義務というのではなくて、自分の役割と言った方がいいかもしれません。だから、それをやっているからといって柔道界から離れるとか、NPO法人柔道教育ソリダリティー(以下、NPO)や神奈川県体育協会から一歩引くとか、東京五輪招致運動を辞めるとか、そういう話ではありません。自分の中でプライオリティを決めて、時間の配分をしっかりしていかなくてはいけないと思っています。ただ、学部長に就任したということは、自分の中にひとつの大きな柱ができたことは間違いないことです。
そういうなかで大変ありがたいのが、私のやっているひとつひとつの仕事に、私と同じ志を持って、いろんなところを引き受けてくれる人がいること。学部長の仕事にしても、NPOの仕事にしても、マスコミ対応、県体協、柔道ルネッサンス、いろんなところで、そういう仲間が支えてくれている。どれひとつ取っても自分ひとりで動いているのではなくて、そういう仲間のサポートがあるからこそできているんです。


活き活きと生きる

自分として、今いちばん大事にしているのは「活き活きと生きる」ということ。「いきいき」のいきは「活」。活きのいい魚の「活き」です。
先日、ある講演会で「大事にされていることは何ですか」と質問され、「活き活きと生きることです」と答えたんですね。すると、「どういうときに活き活きと生きておられますか」と聞かれた。「いや~、それは難しいですね。どういうときに活き活きと生きられませんかと聞かれるのは答えやすいけど、ほとんど毎日活き活きと生きているものですから」と答えたんです(笑)。すると「それは素晴らしい。でも、なかなかできないですよね。では、どうしたら活き活きと生きられますか」と聞かれた。私は少し考え、「まず、活き活きと生きたいと日々思うことでしょうね。そう思えばどうしたら活き活きと生きられるのかということを常に考えると思いますよ」と答えました。私としては、自分自身も活き活きと生きたいし、周りの人たちにも活き活きと生きてほしいんです。
それと人を育てるということも大切だし、簡単ではないなと感じています。厳しさだけでは人は育たないし、優しさだけでも育たない。頑張っていることを認めることも大事だし、間違っているところはビシッと厳しく言うことも大事。両方がないと、たいていの人は成長しないんじゃないですかね。それぞれが役割を担い、壁にぶつかったり、場面場面で様々な失敗をしながら、少しずつ分かっていくのだと思います。
でも、今こんなことを言っていても1、2年後には、「いや~、なんか分かったつもりで話していたけど、何も分かっていなかったなぁ」と思うかもしれない。でも、そう素直に思える人間でありたいという気持ちもあるんです。振り返って、そう思えるということは、自分自身が成長したことだと思いますから。
もうひとつ大事なことは、みんないいところもあれば、足りないところもあると思うんですね。いろんな煩悩、欲望があったり、わがままなところがある。そんな自分を認めて、そして許して、しかし少しでも良くなりたい、昨日の自分よりも、半年前の自分よりも少しでも成長したい。そういう気持ちが大事だと思います。いくつになっても聖人君子になんかなれないですよ。なれないけど、人間として成長したい。少しでも人の役に立つ人間になりたい。それが大事なことじゃないですかね。


(以下省略:The rest is omitted.)

(続き NEXT その3)


その3

柔道教育ソリダリティー

日本の心、柔道を世界へ伝えるため、柔道を通じた文化交流、異文化理解のため、そして青少年の育成を目的に立ち上げたNPOは、たくさんの人たちに協力して頂きながら、いろいろな活動をしています。
最近の大きな活動としては、外務省の草の根文化無償資金と協力しながら、南京に日中友好柔道会館を、来年3月ぐらいを目処に開館するのがひとつ。それから、来年、私と井上康生がイスラエルとパレスチナの中間点に行って、柔道教室を行なう予定です。そこで、たぶん私が、柔道の和の心、自他共栄の精神について話をします。それから、NPOが中心になって、パレスチナ、イスラエルの子どもたちを日本に招待して、日本の子どもたちとの交流を図りたいと思っています。

もうひとつ、富田常男の小説『姿三四郎』を英語で翻訳して世界の国々に配ったり、世界の図書館に寄贈するという活動を進めています。

もちろん、リサイクル柔道衣を贈ったり、外国からの指導者を受け入れたりという活動はずっと続けています。日中友好柔道会館にしても、箱物を作ればいいというものではなく、そこで日本の心を理解してもらうこと、正しい柔道を伝えることが目的なので、指導される方々を呼んで研修をするとか。NPO設立の目的や主旨をよく踏まえて活動したいと思っています。

いろんな方に支えて頂いて、参加して頂いて、自分自身が頭で描いていたよりも、はるかに大きな役割を果たしてこれたのではないかと思っています。



松前重義前総長の教え


東海大学の創設者である、松前重義前総長は、私に常々こう仰っていました。「単に試合で勝つだけではなく、日本で生まれ育った柔道を通して、世界の若人と友好親善を深めなさい。さらにそれだけでなく、スポーツを通して世界平和に貢献できる人間になってほしい」。松前前総長はそういう思いで私を応援してくれていたのです。
松前前総長の仰っていたことは、まさしく嘉納治五郎先生が提唱してきた自他共栄の精神です。私はできる限り、それを実現していきたいと考えています。
いろいろな国を訪れて感じることは、日本というのは我々が思っている程、世界では理解されていませんし、日本に対する認識はそんなにあるわけではありません。経済的には大国だと言われていますが、日本というのは資源のない国ですから、もっと世界との交流を盛んにし、お互いに相手を理解しあう、共存共栄の道を図っていくことが大事だと感じています。私にできるのは柔道ですから、柔道という切り口で、自分のできることをやっていきたい。柔道がスポーツになり、スポーツがスポーツを含んだ文化になり、そして経済とか学術とか様々な分野で世界の人々と交流していく。そうすることが、日本が世界において、なくてはならない国、信頼できる国になるために不可欠なのかなと思います。


周りがどう思うかは関係なかった

現役時代の思い出?私はあまり過去を振り返ることはないのですが、強いて言うなら、大会としては3つあります。それは、初めて日本一になった全日本選手権。ロサンゼルスオリンピック。そして、現役最後の全日本選手権です。瞬間としては、ひとつは全日本選手権で初めて優勝して白石礼介先生、猪熊功先生、佐藤宣践先生の胸に飛び込んでいった瞬間、もうひとつはロスのオリンピックで優勝して、日の丸を仰ぎ見ながら「君が代」を歌っている瞬間、この2つです。
現役時代、勝つことが当たり前と言われることへのプレッシャーというのは、あまりなかったです。逆に相手が「俺は負けて当然で、かないっこないよ。山下しかいないよ」と諦めてくれたらこんなに楽なことはなかった。でも、周りの人がどう思うかは、私にはあまり関係なかったです。自分がどう思うかの問題ですから。
ロスのオリンピックでも「山下さん、負けられないから大変ですね」と言われましたけど、「バカ言うんじゃないよ、勝つってそんなに簡単なもんじゃないんだよ。負けられないんじゃない、勝たなきゃいけないんじゃない、俺が一番勝ちたいんだ」というのが、そのときの気持ちでしたね。私自身が受け身は嫌なんですよ。そのときに自分がどう思うかですよ。



Reference ⇒ その2  その3



※このインタビューは、2009年6月5日に行なわれたものです。


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