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BRICs
BRICs(ブリックス)とは、経済発展が著しいブラジル (Brazil)、ロシア(Russia)、インド (India)、中国 (China) の頭文字を合わせた4ヶ国の総称。投資銀行ゴールドマン・サックスのエコノミストであるジム・オニールによって書かれた2001年11月30日の投資家向けレポート『Building Better Global Economic BRICs』[1]で初めて用いられ、世界中に広まった[2]。
(なお、同じくゴールドマン・サックスの2003年10月1日の投資家向けレポート『Dreaming with BRICs: The Path to 2050』[3]で初めて用いられたと勘違いしている情報も見受けられるが[4]、これは明確に誤りである。)
目次
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BRICsのポテンシャリティ [編集]
BRICsはかつてのNIEsやASEAN同様経済成長が目覚しく、またそれらの国々のGDPや貿易額が世界に占める割合は近年急速に高まっており、世界経済に多大な影響を与えるまでになっている。広大な土地・豊富な人材・豊富な資源を有するのに加え、ここ数年あるいは数十年で様々な改革を進めてきた事により、結果として潜在力を実際の成長率に反映させる事が可能になった。その結果、2008年5月時点でG6(米国、日本、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア)の15%に過ぎない経済規模は、2025年には約半分の大きさに、2040年頃には先進国を上回り、2050年の時点ではBRICsがG6の1.5倍の規模になるとみられている。4カ国が注目される理由として、特に3つの点が挙げられる。- 規模の大きさ
- BRICsが世界に占めるウェイトをみると、国土面積で29%、人口では42%となっており、世界の中で圧倒的な比重を占めている。
- 世界経済に占める地位
- GDPのウェイトを購買力平価で換算すると24%(ただし、2007年、中国の購買力平価ベースのGDPが基準値の変更の遅れなどで、4割減少した事が判明している)[5]と大きく上昇し、アメリカ(21%)、EU(20%)を既に上回っている。
- これまでの成長実績および今後の成長見込
- ここ10年の間に新興工業国の経済成長が失速したのとは対照的にこの4カ国は平均で年6%の成長を遂げており、(特にインドとブラジルは)今後も比較的高い成長率を達成していくものと予想されている。
BRICsの国の特徴 [編集]
共通点 [編集]
- 国土および資源大国である。国土面積はロシアが世界1位、中国が世界3位、ブラジルが世界5位、インドが世界7位。面積でいえば4カ国で世界の約29%を占めている。また、それに伴い天然資源にも富んでいる。中国やインドは1人あたりの資源量は決して多くはないものの、4カ国とも資源大国である。資源としては石炭・鉄鉱石・天然ガスが4カ国に共通しており、原油・ボーキサイトなども殆どの国で産出されている。
- 人口大国である。2000年代初頭の人口は、中国が約13億人(世界1位)、インドが約11億人(世界2位)、ブラジルが約1億7000万人(世界5位)、ロシアが約1億4000万人(世界7位)となっており、4カ国合計で27億人以上、世界の人口の約45%を占めている。今後もロシアを除く3カ国では人口が増加し、2050年には32億6000万人にまで膨れ上がるとされている。ただし、ブラジルとインドでは将来的にも人口が増え続ける一方で、ロシアは特に21世紀に入って以降、人口が急激に減少する傾向にあり[6]、人口が多いため一人っ子政策を採る中国でも将来的には人口が減少すると予測されている。
- 政治・軍事において、地域における覇権を握っている。ロシア、中国、インドの、ブラジルを除く3ヶ国は核保有国であり、ロシア、中国は国連安保理常任理事国で、ブラジルとインドも新たに常任理事国入りする可能性がある。2005年2月にロンドンで開かれたG7財務相・中央銀行総裁会議では従来のG8(G7+ロシア)に加えて、BRICsの他の国も初めて参加した。
- 経済改革を行っている。1970年代後半の中国やブラジル・ロシア・インドの1990年代初頭の経済政策の転換はいずれも、対外開放による海外からの投資・市場経済化を推進するものであった。
その他 [編集]
- 中国は儒教文化圏、インドはヒンドゥー教文化圏、ロシアは正教会文化圏、ブラジルはラテンアメリカ文化圏に属する。
- 歴史的に、中国やロシアは統一国家として存在してきた。インドが1つの国家としてまとまったのは、イギリスの統治による部分が大きい。ブラジルはポルトガルの植民地として形作られた。
- ロシアと中国、中国とインドは国境を接している。かつては領土問題で揉めていたが、最近解決に向かう動きが出てきた。
- 中国からロシアのシベリアへの移民が増えつつある(特に沿海地方を含む東シベリア)。シベリアは人口が希薄なので、将来的に中国人がシベリアの一部で住人の多数を占める可能性がある。そうなった場合、中国からロシアに割譲された沿海地方で領土問題が再燃する可能性もある(ただし、2004年に両国間の国境問題は解決し、国境線は画定されている)。また経済の面でもロシアと中国の逆転現象が起こることが考えられる。
- 冷戦時代、ロシア・中国は東側陣営にあったが対立していた。
- 現時点では国内で貧富の格差が大きいが、ブラジルとインドでは元来大きかった格差が解消されておらず、ロシアと中国では、市場経済導入による経済の自由化に伴って格差が拡大した。また、これらの国々では経済の地域格差も大きい。
- 多民族国家で多人種社会であり、共通語的役割がある言語または公用語とされる言語以外にも、多くの言語が国内で使用される。
ブラジル [編集]
ブラジルは、2036年にドイツを抜き、2050年にはGDPが6兆740億ドルで世界でも5位という高い経済水準にあると予測されている。政治的変遷 [編集]
2000年代のブラジルの経済成長の基礎は、1990年に就任したフェルナンド・コロール・デ・メロ大統領によって築かれたと言える。1970年代に急速な工業化を遂げた後、1980年代から1990年代前半は累積債務や高いインフレ率に悩まされ、その成長は鈍化していた。そのためコロール政権は、戦前の大恐慌後から続いた輸入代替政策を転換し、輸入制限の撤廃や国営企業の民営化、周辺国とメルコスールの創設の準備など、市場メカニズム導入と対外経済開放による発展に道を開いた。また1992年に就任したイタマル・フランコ政権は、年に数千パーセントというハイパー・インフレへの対応として、1994年に旧通貨クロゼイロ・レアルから米ドルに緩やかにペッグ(連動)させた新通貨レアルへの切り替えを行った。1995年から8年間に及ぶカルドーゾ政権は、財政責任法と財政罰則法の制定によって、プライマリー・バランスを黒字化させた。財政の健全化が進むと同時にブラジルの国際的信用は高まり、途上国では中国に次ぐ直接投資の受け入れ国家となるまでになった。2002年の大統領選挙では左翼のルーラ候補が支持を集めていた事から、経済政策転換への懸念により通貨急落と株価低迷を招いた。しかし、2003年1月に就任したルーラ新大統領は前政権の政策を踏襲し、金融市場に安心感を与えた。経済の現状 [編集]
ブラジル経済は、貿易が成長の鍵を握っていると指摘される。貿易依存度については、1994年が15%未満であったのに対し2003年には約25%へと、わずか10年で急激に高まった。特に輸出の拡大が顕著であり、これはブラジル政府が輸出の拡大に加え多様化や高付加価値化などを推し進め、同時に外資系企業の参入、穀物や鉱物資源といった一次産品の価格の高騰がそれを後押しする形となった。2004年にはブラジルの貿易収支は336億9600万ドルと、これまでで最高となる貿易黒字を計上した。ブラジルの貿易を根幹から支えるものは、南米大陸の約半分を占める広大な大地からの恵みであり、鉱物資源や農畜産物、熱帯雨林に生息する多種多様な生物資源などが挙げられる。2004年の貿易収支に関して言えば、その要因として、輸出量の減少にもかかわらず需要増加に伴う国際取引価格の急騰により金額ベースでは輸出増加という結果になった大豆や、鋼板・建材の生産活動が活発でかつ国内供給能力が不足するなど鉄鉱石の世界最大輸入国となっている中国において、その輸入額が前年比162%増と急伸した事により過去最高水準となった鉄鉱石の伸びが大きく貢献する形となった。特に鉄鉱石は、中国が鉄鉱石の輸入の約30%をブラジルへ依存しており、世界2位の鉄鉱石輸入国である日本もその20%以上をブラジルに依存するなど、ブラジルは世界的な鉄鉱石輸出国となっている。また伝統的に重工業、なかでも航空機産業が盛んで、1969年に設立された国策会社のエンブラエルは小型ジェット機市場の半分近いシェアを誇るなど、欧米諸国をはじめとする世界各国へ輸出されており、その他にも自動車や金属製品が主な輸出製品となっている。これら外需の増加に追い風となるとされているのが、メルコスール圏およびFTAによる自由貿易圏の拡大である。メルコスール圏の拡大により約1.3倍の輸出金額押し上げ効果のあったブラジルでは、メルコスールと他の地域協定との間で関税が撤廃されれば更なる恩恵を受けるものと予想されている。アフリカ関税同盟やインドと特恵貿易協定を締結したのを皮切りに、今後もEU・中米統合機構・カリブ共同体ともFTA実現に向けた交渉を継続しており、実現すれば今後の経済成長に大きな影響を与えるものと考えられている。今後の課題 [編集]
今後の経済成長に関しとりわけ問題視されているのが、財政赤字とインフレである。債務問題については、プライマリー・バランスが黒字化したとはいえ、2003年末時点の公的債務残高はGDPの約59%に達しており、中長期的な経済成長の達成を阻む要因となりかねない。2005年2月時点での債務残高は3505億ドルと上るなど南米最大の債務国になっており、また過去の債務に対する利払い負担もGDP比で7%を超えている。今後はプライマリー・バランスの更なる改善が必要で、公的債務の削減と利払い負担の軽減が急務となっている。また、インフレ抑制に関する為替レート変動も懸念されている。これまでは対外債務削減策に対する信頼を背景として対ドル為替レートがレアル高傾向で推移してきたため、国際商品市況の高騰によるインフレ圧力は抑制されていた。しかし今後、連邦準備銀制度理事会がインフレへの懸念により政策金利を急ピッチで引き上げるような事態になればレアルが下落傾向に転じ輸入物価が急騰するといった事態が予想されており、そうなれば、金融政策によるインフレ制御は困難を極める事になると指摘されている。ロシア [編集]
ロシアはGDPにおいて、2028年にはドイツを上回り欧州最大の経済国となり、2050年の時点では世界6位となる5兆8700億ドルになると予測されている。しかし2009年はロシアのGDPが世界8位なので、2020年にはすでにイギリス、フランスを抜かす可能性も考えられる。政治的変遷 [編集]
1990年代、ソビエト連邦崩壊後のロシアではハイパー・インフレが襲い、鉱工業生産が落ち込むなど、経済・政治・社会などの面で大きな混乱が続いた。そうした中で、市場経済化に向けて急進的な経済改革を推し進めたのがロシア連邦の初代大統領ボリス・エリツィンである。エリツィン政権が抜本的な構造改革を断行し、市場経済に基づく民主的な新生ロシアの礎を築いた事により、今日まで続くロシアの経済発展があったとされる。ウラジーミル・プーチンは1999年12月、エリツィンの突然の辞任を受けて首相から大統領代行に就任し、翌2000年3月の大統領選挙に勝利、ロシア連邦の2代目大統領に就任した。2005年3月の大統領選挙では得票率71%で再選を果たしたのち、2008年5月に大統領の座をドミトリー・メドヴェージェフに譲り、首相に就任した以降も国民からの人気が高く、政治的な影響力を保持している。プーチンの経済政策の特徴は、エリツィン同様に市場経済重視の自由主義政策を推進する一方で、エリツィン時代に政治力を強めた新興財閥を弾圧するといった、強権的な側面も併せ持っている。経済の現状 [編集]
1991年の連邦発足後、急速な市場経済移行に伴う経済的混乱から大幅なマイナス成長が続いたほか、1998年にはロシア通貨危機に伴う金融市場の混乱を経験したものの、ルーブル切り下げ効果による輸入代替産業の復調や原油価格の高値での推移を背景として、その後は実質成長率が6年連続で前年比プラスを維持するなど回復傾向を辿っている。とりわけ、2004年の10月-12月期の実質GDP成長率(前年比+6.7%)に占める個人消費の寄与度が+6.2%に達するなど、個人消費はロシアの経済成長にとって大きな原動力となっている。その背景には、原油価格の上昇による石油関連企業の業績の向上が、雇用・所得環境の改善に繋がっている事が挙げられ、加えてモスクワなど都市部におけるライフスタイルの欧米化(自動車や電化製品などの浸透)の流れも影響しているとみられている。足元のロシア経済の成長を支える原動力となっているのは、豊富な生産量を誇る原油や天然ガスなどのエネルギー資源で、石油・天然ガス産業はGDPの25%、輸出収入の約55%、国家歳入の約35%を占めるまでになっている。原油価格の暴落を警戒する石油輸出国機構各国が石油生産能力の拡大に慎重なスタンスを採り続けてきた中で、近年ロシアは原油生産をさらに強化しており、原油生産量の推移をみると2003年にはアメリカを抜いて世界2位に、2004年にはサウジアラビアを上回り世界1位となった。こうしたロシアの原油生産の拡大は、原油価格の高騰と相俟って景気回復に寄与してきたとみられている。原油価格の動向と貿易収支の関係をみると、原油価格の上昇は貿易収支の大幅な改善に結びついているという構図があり、加えて、石油や石炭に比べて温暖化ガスや硫黄酸化物の排出量が少ない天然ガスに対する世界的な需要が高まるなかで、ロシアの天然ガス埋蔵量は、世界全体の約27%を占めている。また、ロシアはサハリン沖を中心とした天然ガスの開発に注力している事から、今後は天然ガス輸出の増加も、ロシア経済の好調を更に後押ししていくものと見込まれている。BRICs4カ国の中では唯一人口の減少が予想される(既に毎年70万人前後の数が減少し、30年間で20%減ると予想される)[6]にもかかわらず、これら豊富な資源によってロシア経済は継続的な発展が可能とされており、その他にも、ソ連時代の遺産とも言える、高度な科学技術による付加価値の高い宇宙産業・軍事産業や、ITソフトウェア産業、有能な人材などにも注目が集められている。今後の課題 [編集]
ロシアの経済成長を妨げる可能性がある要因として、大きく4つの問題が指摘される。- エネルギー資源依存型の経済構造
- 2004年の輸出に占めるエネルギー資源の割合は約55%に上るなど、ロシア経済はエネルギー部門への依存度が高い「モノカルチャー」的な性格を帯びており、その反面、旧国有企業を中心とした電機、自動車などの製造業は生産性や技術水準が低く、欧米企業と比較すると国際競争力が低い。このように、ロシアではエネルギー部門以外に景気を牽引しうる有力な産業が育っていないため、原油市況が低下に転じれば景気後退に陥るというリスクが大きい。
- 大都市周辺と内陸部などの地方における所得格差の拡大
- 好調な経済の恩恵を受ける大都市周辺では中産階級が着実に増加している反面、経済的に立ち遅れている内陸部や極東地域にとの格差が年々広がりつつある(国の所得格差順リストを参照)。こうした所得格差の拡大は、政治体制に対する不満の高まりなどから社会的混乱を招く可能性があり、安定的な成長を揺るがす要因となりかねない。
- 税制や官僚機構など
- 旧くからロシアでは複雑で分かりにくい税制や裁量色が強く公正さに乏しい行政など、法令運用の不透明性が外国企業の自由な経済活動を阻害する要因として指摘されてきた。それらが他国からロシアでの事業活動を進める上での問題点として認識されれば、外国企業による対ロシア直接投資の減少にもつながりかねないという危険を孕んでいる。
- 少子高齢化と人口減少
- 近年、出生率は減少し、毎年およそ70万人ずつ人口が減少している。このままのペースで減少が続けば、30年後の2040年頃には2010年頃の人口と比較して20パーセント程度の減少が予想されている。減少する人口を補うため、モスクワなどの大都市圏および、シベリアや極東地域において移民や出稼ぎ労働者の受入れが積極的に行われているが、それが災いしてショービニスティックな外国人排斥運動やアジア系への差別も引き起こされている。
インド [編集]
BRICs4カ国の予想人口比較 (2000年の値は実績 単位:1万人)
2000年 2010年 2020年 2030年 2040年 2050年
中国 127,522 136,488 142,947 145,052 143,893 139,518
インド 101,694 117,381 131,221 141,658 148,572 153,144
ブラジル 17,180 19,288 20,979 22,208 23,014 23,314
ロシア 14,561 13,750 12,902 11,971 11,043 10,146
2028年に日本を超え中国・アメリカに次ぐ世界第3位の経済大国となり、2050年の時点ではGDPが27兆8030億ドルへ上昇しており、アメリカの8割の規模にある事が予測されている。また、人口の面でも2040年には中国を抜いて世界で最も人口の多い国になると予想されている(※右表参照)。 しかし低い識字率と過剰すぎる人口とカースト制度が経済成長の障壁になっており、中国とロシアに比べればはるかに経済成長率は低く、世界3位の経済大国になる予想は外れる可能性が高い。政治的変遷 [編集]
1991年に誕生した国民会議派のナラシマ・ラオ政権は、1947年の建国以来続いていた混合経済体制と呼ばれるインド独自の社会主義的な経済運営の結果として現れた外貨準備高の減少や経済低迷といった現象を受けて180度の政策転換を行い、資本の自由化・各種の規制緩和・貿易と為替の自由化・公営企業の民営化・金融制度の改革等を取り入れた。また1996年以降も、政権政党の交代にもかかわらずラオ政権が推進してきた経済の自由化政策は継承されていった。2005年の4-5月に行われた総選挙では、政権交代によって経済改革路線の継続が危ぶまれたことから一時的に株価が急落したが、ラオ政権で経済改革を主導したマンモハン・シン元財務相が新しい首相に選出された事から、新政権に対する金融市場の警戒は薄らいだ。経済の現状 [編集]
1990年代初頭、深刻な外貨不足を背景とした経済危機に陥り、1991年には成長率が1%台にまで低下したものの、IMFの支援のもと様々な経済安定化政策が実施され、同時に経済の対外開放が進められた結果、1992年以降は概ね5%以上の成長を持続している。とりわけ近年の高成長は主にIT部門の成長がもたらしている。インドは先進国企業の情報技術導入が進むなかで、コンピューターソフトの開発及び販売・欧米企業の情報技術関連業務のアウトソーシングの受注を拡大させている。ITソフトウェア産業は1990年代を通じて年率50%近い成長を遂げ、IT不況を迎えた21世紀に入っても20%台の順調な成長を続けており、2003年時点では国内GDPの2.6%を占めるまでに至っている。工科系の大学を中心として毎年30万人を超える情報技術者を輩出している事や、労働コストが低廉である事、「0」の発見に象徴されるように伝統的に理数的思考を得意とする民族である事、準公用語に英語が含まれている事などがそれらの要因となっている。さらに、インド工科大学やインド科学大学大学院といった優れた教育機関を卒業後、待遇面の良さなどを背景にアメリカのシリコンバレーなどに移住するインド人技術者は増加傾向にあり、その結果ソフトウェアの輸出と在外居住者からの本国向け送金は、インドの国際収支を支える重要な外貨獲得源となっている。事実、2001年以降はこれにより経常収支は黒字で推移した。また、インド経済の成長を支える原動力として、労働力も挙げられる。一国の経済成長を左右する大きな要素の一つである労働力人口に関して言えば、インドの労働力人口は2050年にかけて毎年約1%ずつ増加していくと見込まれており、その豊富な労働力が成長の礎となる事が予想されている。また、それらの人口は将来的に実質的な購買力を備えた消費者層(=中間層)となり、有望な消費市場をもたらすものと考えられている。今後の課題 [編集]
インドは、対GDP比で10%近くに達しているにもかかわらず縮小する兆しが見られない財政赤字など、取り組むべき課題が多数指摘されている。農業をはじめとする第1次産業は、2000年代の現在もインド経済の中心を担っている。この事は、農業部門が産業全体の4分の1を占め、農業部門の就業人口は全体の約60%を占めているという事実に象徴される。また農業部門がGDP成長率に及ぼす影響では、一部の例外を除き農業部門が不振であった年は成長率が4%台に押し下げられている。こうした背景には、インド国内の灌漑施設の整備が進んでおらず、農作物の生産高がモンスーンによる降水量に大きく依存していることなどが挙げられる。次に、直接投資の少なさに起因する工業化の遅れが課題とされる。1947年の建国以来、民間企業の活動や外国企業による投資などを規制し、公的部門を温存する政策を維持してきた結果、工業化の進展が中国などと比べても大幅に遅れている。よって製造業によるGDPの押し上げ効果が進展しておらず、また対内直接投資額も少なく、インドは外資導入の点でかなり遅れていると言われる(ただし、直接投資の拡大に向けて種々の投資関連規制法を改正する動きもある)。また、IT部門を主軸とした成長が続いている一方で、成長の基盤となるインフラ水準が低い点も挙げられる。電力の供給能力が経済成長に追いついておらず日常的に停電が発生する事や、IT産業にとって不可欠な通信設備の普及が立ち遅れている事などがその例である。その他、教育も大きな課題である。インドの教育は、中等教育への進学率が半分以下で識字率が6割程度にとどまるなど、他のBRICs諸国と比較しても際立って低い水準にある。教育が人材開発にとって最も重要な手段であり、また学校教育がその後の応用的なあらゆる教育の基礎となる点を考慮し、教育水準の低さが今後の経済成長にとって足枷になると警笛を鳴らす学者も少なくない。 インドは世界3位の経済大国になると予想があるが、カースト制度や識字率がきわめて低い影響で、外れる可能性が高い。NPT未加盟の核開発 [編集]
インドは核拡散防止条約(NPT)に加盟せずに核開発を行った国である。原子力供給国グループ(NSG)はインドの核燃料、核技術の輸出入を無条件で例外扱いとして認める採択を行っている。これに対してNSG加盟国である日本やヨーロッパ諸国は、インドが核実験を行った場合は例外扱いを取り消すべきだという立場をとっている。中国 [編集]
2005年12月20日に中国国家統計局は、国際機関から過小評価されていると指摘のあったGDP値を上方修正し、2004年実績をそれまでの公表数字の16.8%増となる1兆9317億ドルとした。これによりGDP値でイタリアを抜き、フランスに次ぐ世界6位に浮上した(英統計局が同年12月25日に発表した速報値では、中国は既にイギリスとフランスをも上回っており、世界4位であるとされている)。今後も2008年にドイツを、2017年には日本を、2039年にはアメリカをも上回り、世界最大の経済大国になるとされている。2050年のGDP値は2位のアメリカを大きく上回る44兆4530億ドルであると予測される。しかし、最近米国などでは、2040年頃には一時的に中国が米国をGDPで上回るものの、中国内の高齢化などの理由により、再度米国が中国を逆転し、またインドが中国を追い抜くという論議が出て来た。2050年の予想GDP順位は、- 米国
- インド
- 中国
とする専門家もいる。また2008年のGDPは中国は3位で、GDP2位の日本に近くなっており、2010年頃には抜かす可能性は十分高い。政治的変遷 [編集]
1978年に始まった中国の改革開放政策は、1989年の天安門事件によって頓挫したかのように考えられた。そうした状況が一変したのは1992年1-2月に当時の最高実力者であった鄧小平が、深圳や上海などを視察した際の南巡講話からである。南巡講話によって沈滞ムードは消え去り、改革開放路線は再び勢いを得る事となった。天安門事件直後、鄧小平が総書記に抜擢した江沢民は党内基盤が弱く、当初は短命政権と見られていた。しかし、江沢民は徐々に権力基盤を拡大し、2002年まで13年間に亘る長期安定政権を築いた。この間中国は、香港の返還や北京オリンピック・上海万博の招致、WTOへの加盟など数々の実績を挙げ、結果として経済の高度成長に結びついた。江沢民から2002年に中国共産党総書記、2003年に国家主席の地位を継承した胡錦涛政権は、前政権の政策を踏襲し着実な政策運営を行っている。結果として2003年の実質GDPは1978年に対して約9.4倍にまで拡大しており、今後も、日本が1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博を経て経済大国入りしたのと同様に、2008年の北京五輪と2010年の上海万博による経済効果が期待されている。経済の現状 [編集]
詳細は「中華人民共和国の経済」を参照貿易の急速な伸びと外国からの直接投資の増加によって支えられている。2002年の貿易総額は6208億ドルで前年に比べ約22%伸び、貿易黒字は304億ドルを計上、外国からの投資合計額も550億ドルにのぼっている。そのうち華人地域からの投資が半分を超え、中国経済を支えている。対世界の発展途上国向け直接投資の3割、日本を除いた対アジア向け直接投資の5割を占めている。また、2003年には契約金額ベースで535億ドルと、初めてアメリカを抜き、ルクセンブルクに次ぐ投資受け入れ国となった。結果として中国の外貨準備高は、1992年の194億ドルから2004年末には6099億ドルまで膨れ上がっており、日本を超え世界最大の外貨保有国となっている。また、2002年以降、中国経済は新たな高度経済成長期に入り、居住や交通条件の改善といった消費構造が高度化し、住宅・通信・自動車などの成長産業が新たな高度経済成長を引っ張る主導産業となった。この高度成長は産業構造の高度化や体制刷新、2001年のWTO加盟を含め一層の広がりを見せる対外開放などを背景に比較的長期間続くものと見られている。国家統計局は、経済構造調整の結果として珠江デルタ、長江デルタ、環渤海地区、東北の旧工業地帯が多極的に発展する枠組が形成されつつあり、中国経済の発展に大きな余地がもたらされ、さらに農業の産業化、伝統工業の改造、ハイテクノロジー産業とサービス産業の発展が中国経済に新たな活力を注入すると同時に経済成長に対して新たな原動力を提供しており、2020年までの7%成長は充分見込めるとしている。今後の課題 [編集]
中国には、複雑に絡み合った多数の課題も存在する。1つに中国国内における貧富の格差拡大が挙げられる。この格差は都市住民と農村住民の所得格差、地域の所得格差、業種の所得格差など様々な面における格差拡大によって引き起こされたものである。都市と農村での所得格差は、1978年 - 1985年には農村改革が重点であった事から、平均所得の比率は2.57:1から1.85:1に縮小した。しかし改革の重点が都市に移るとこの比率は年々拡大を始め1994年には2.86:1にまで広がった。1995年から1998年までは一旦減少するものの、それ以降は再び拡大を始め、2001年には改革開放以来最高となる2.92:1となり、ジニ係数も一般的に警戒ラインとされる0.4を超えた。また、地域間においても格差は顕著に広がっている。東部と中部、東部と西部でのGNPの差は1990年時点ではそれぞれ898元と1079元であったのに対し、1995年には3539元と4203元に、2000年には5352元と6674元にまで拡大した。西部地域のGDPは東部地域のGDPのわずか40%の水準となっており、とりわけ貴州省と上海市との差は12倍を超えている。今後は西部大開発や東北新興などの対策に格差改善の期待が寄せられている。また、業種の所得格差も拡大した。不動産・金融・保険といった最高所得の部類と、飲食サービス業・製造業・採掘業などの最低所得部類とを比較すると、その所得の比は1990年の1.72:1から1999年の2.63:1に拡大した。市場経済化が本格化した1993年以降、失業問題も深刻化し、重大な課題となっている。都市戸籍を持ち、かつ失業登録した者だけを集計した「都市部登録失業率」によれば、1993年には2.6%(420万人)から、2001年に3.6%(681万人)、2002年は4%(770万人)、2003年の4.3%(800万人)へと不断に上昇している。これは、終身雇用を約束されていたにもかかわらず国有企業改革や産業構造の調整・市場競争の激化による経営状況の悪化といった理由により、3年の猶予付き解雇を通告された、いわゆる一時帰休者を除いた数字であり、それらを加えると失業率は約8%にまで跳ね上がる。この雇用状況は、2005までの第10次5ヵ年計画期にはますます悪化すると予測されている。2000年までの失業者・一時帰休者の総数1400万人に加えて、国有企業改革や産業構造調整による新たな失業者の増加が懸念される。さらに、都市部新規労働力と農村労働力の移転による毎年約1600万の新規労働力供給に対して、需要は毎年約800万人であり、労働力の供給が需要をはるかに上回る事が予測されている。また、電力において近年は毎年15%近く使用量が伸び続けており、電力不足が深刻化しつつある。エネルギー多消費産業の素材業種で投資・生産活動が拡大した事、経済発展に伴う家電製品普及率の上昇によるもので、今後もこの増加傾向は変わらないものと見られている。中国政府も三峡ダム建設などの対策は講じているものの、この電力不足が長く続くようであれば、成長の原動力となっている外国企業誘致にも支障をきたす事が懸念されている。さらに、2005年7月より実施された人民元改革の影響も不透明である。元の切り上げによる元高により海外で中国製品の価格が上昇するため、海外から中国への進出企業は減少し、同時に輸出量の減少を招く。経済成長の原動力とも言える大量生産・大量輸出の陰りは、中国にとっては大打撃となる。また、輸出品の価格が上昇するのに対し輸入品の価格は下がるので、元来非効率な生産方式を採っていた農業従事者などの間からは失業者が出てくる事が予想される。今後もアメリカなどから一層の切り上げ要求が予想される中で、中国政府の手腕が試される事になる。高齢化・環境破壊 [編集]
2000年の調査では、中国の60歳以上の人口は1.5億-2億人に達したといわれている。今後、高齢者の医療・介護が深刻な問題として浮上してくる。また、急激な経済成長がもたらす、光化学スモッグ、CO2の増大など温暖化に伴う砂漠化の広がり(北京の40キロまで砂漠が接近している)、周辺国やアメリカ西海岸まで飛来する黄砂や大気汚染[7]、日本海に押し寄せ、深刻な漁業被害を与えているエチゼンクラゲの問題など、緊急な課題が山積している。世界経済への負の影響 [編集]
4カ国の世界経済への影響力がますます強まる中で、その発展の副作用としての世界経済へのマイナス影響も無視できなくなるとされている。- 需要の大幅な増加によるエネルギー不足
- 中国国内での需要増加による2005年頃からの原油高に象徴されるように、今後さらに他の3カ国の成長につれてエネルギーはますます不足していくもの考えられている。そのような事態になれば必然的に世界各国は資源獲得に動き出す事になり、それゆえの新たな国際摩擦を生み出す可能性がある。
- 環境の悪化
- アメリカの政府機関であるエネルギー情報管理局によれば、2025年の二酸化炭素排出量は、2001年から2025年の間の増加率は、ブラジルが3.7%、ロシアが2.3%、インドが3.6%、中国が4.0%で、2025年の時点ではそれぞれ833万トン、2784万トン、2152万トン、7821万トンにまでのぼり、世界の総排出量の約32%を占めるとされている。ロシアを除く3カ国は京都議定書の対象国となっておらず、地球温暖化問題にさらなる拍車をかけるものと予想されている。
- 金融の混乱
- BRICs諸国のうちブラジル以外の国は管理変動相場制を採用し、外国為替市場管理を行なっている。経済規模が拡大し投資や世界貿易における比重が高まる中で、柔軟性を欠いた為替相場は国内金融市場の不安定化や対外不均衡の拡大を招く事になる。また、BRICs諸国の拡大は海外からのポートフォリオ投資をさらに増大させる事につながり、硬直的な為替制度や脆弱な国内金融システムの下で投機の膨張と縮小を引き起こす可能性が高くなる。結果として世界のマネーフローが大きく変わり、世界規模で金融システムが安定性を失い、経済の混乱を招くと指摘されている。
2050年のGDP予測 [編集]
ゴールドマン・サックス [編集]
アメリカの投資銀行であるゴールドマン・サックス(以下GS)では、2050年における世界各国のGDPを次のように予測している。2003年発表 [編集]
BRICsは人口の増加、資本の増加、労働生産性の増加などを起因として経済成長を成し遂げ、2004年にはいずれも5-9%台の成長を果たすなど、近年では世界平均を上回る高水準の成長を記録している。今後はさらに資本蓄積・技術革新による生産性上昇なども見込まれており、IMFの予測によると2005 - 2006年にかけても、中国の8%台を筆頭に、軒並み高い成長を維持する見込みとされている。結果として、2006年5月の時点で世界のGDPの約8%を占めるに過ぎないその経済規模は、2039年に経済大国G6(米国、日本、ドイツ、英国、フランス、イタリア)にスペインを加えた合計を上回り、2050年時点でのGDPは下表のように順位が入れ替わると予想した[8]。これにより米国一極支配が崩れるとされている。名目GDP値 (単位:10億ドル)
順位 1 2 3 4 5 6 7 8
2004年
実績値 国名 アメリカ 日本 ドイツ イギリス フランス 中国 イタリア スペイン
GDP値 11,733 4,668 2,707 2,126 2,018 1,932 1,681 1,180
2050年
予測値 国名 中国 アメリカ インド 日本 ブラジル ロシア イギリス ドイツ
GDP値 44,453 35,165 27,803 6,673 6,074 5,870 3,782 3,603
2007年発表 [編集]
2007年3月28日のレポートでは[9]、BRICs諸国が軒並み高成長を続けていることを根拠に、2003年の予測は「控えめ過ぎたくらいだ」[10]として、2050年のGDPは下表の順位になるとしている。同社の数値や順位は調査年毎に入れ替わることがある。2007年4月17日のレポート[11]では、2050年の中国のGDPがアメリカの2倍以上の80兆ドル近くになると予測している。
順位 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
国名 中国 アメリカ インド ブラジル メキシコ ロシア インドネシア 日本 イギリス ドイツ ナイジェリア フランス 韓国 トルコ ベトナム
GDP(兆ドル) 70.7 38.5 37.6 11.3 9.34 8.58 7.01 6.67 5.13 5.02 4.64 4.59 4.08 3.94 3.60
日本経済研究センター [編集]
日本経済研究センターが2008年1月17日に発表した購買力平価ベースのGDP予測[12]では、中国の急成長は暫く続き、2020年頃には世界最大の経済規模になるが、高齢化などを理由に成長率が鈍化し、2050年頃には僅かながら米国が抜き返すとしている。1位:アメリカ 2位:中国 3位:インドプライス・ウォーターハウス・クーパース [編集]
世界最大の会計・コンサルティング会社であるプライス・ウォーターハウス・クーパースが、2008年3月4日に発表した予測[13]では、2025年前後に中国が米国を抜き、世界最大の経済規模になる可能性が高く、その後も成長を続け2050年までには米国より30%大きくなり、インドは2050年までに米国の90%の規模に成長するとしている。また、ブラジルは2050年までに日本を抜き世界4位に躍り出て、ロシア、メキシコ、インドネシアもドイツや英国を抜く力を潜在的に持っていると予測している。1位:中国 2位:アメリカ 3位:インド 4位:ブラジル 5位:日本 6位:ドイツ・英国・ロシア・メキシコ・インドネシアその他 [編集]
インドの順調な経済成長から近い将来、同国が日中独を抜いて米国に次ぐ経済大国になるという分析が、インドのエコノミストから出ている[14]。予測への異論 [編集]
GS社の1人の若い女性社員が作成した、50年も先を予測した報告書に疑問点がないわけではない。同社の2005年12月1日のレポート[15]では、韓国の2025年のGDPは、世界8-9位になるとしたものの、予想は外れ、2007年の同社のレポートでは、12位に下方修正している。ドイツの2050年のGDPも欧州最大の8位になるとしていたが、2007年版では英国などと順位を入れ替え10位に下方修正した。日本についても、8兆ドル強との予測を覆し、6.7兆ドル弱に変えている。また、開発金融研究所のレポート[16]では、GS社の予測は楽観的過ぎるとして、その理由に為替レートの引き上げ問題などを挙げている。GS社は中国の為替レートは2032年までに2.63倍、インドは2.19倍に切り上がることを前提にしている。しかし、例えばインド経済が約20年で2倍以上の為替レートの上昇に耐えられるのか疑問視している。因みに、2003年の為替レートをベースに日本の成長率が1%以上(1%未満の成長率をすべて1%に直して計算)であるとして推計すると、インドが日本に追いつくのが2048年頃で、2050年日本のGDPは7.5兆ドルで、インドの7.3兆ドルを依然として上回っているとする見方もある。Gross Domestic Product (nominal) [2006-2050] (in US$ millions)[17]
Gross Domestic Product per capita (nominal) [2006-2050][17]
目次
[非表示]実績値
予測値
IBSAC [編集]
インド(India)、ブラジル(Brazil)、南アフリカ(South Africa)、中国(China)を繋げた造語。これは、ロシアが新興国として扱われる事に抵抗感を持っていること、南アフリカとの関係強化を目指すイギリスがその知名度を高めておきたかったことなどから、2005年2月のG7において議長国のイギリスにより発表されたものである。Next Eleven(ネクストイレブン) [編集]
詳細は「NEXT11」を参照BRICsの名付け親、ゴールドマン・サックス社は2005年に出した予測で、BRICsに続く経済大国予備軍「Next Eleven」(ネクストイレブン)として、韓国、バングラデシュ、エジプト、インドネシア、イラン、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、トルコ、ベトナム、メキシコの11カ国を示した。LEMs [編集]
国際経済研究所の「The United States and the World Economy(2005年1月)」では、BRICsおよび南アフリカの5カ国にアルゼンチン、インドネシア、韓国、メキシコ、サウジアラビア、トルコを加えた計11カ国が、今後の世界経済に大きな影響を及ぼすLEMs(Large Emerging-Market Economies)として取り上げられている。VTICs [編集]
2006年9月4日付けの日本経済新聞にて紹介された造語。BRICsからB(ブラジル)とR(ロシア)を省き、代わりにベトナム(Vietnam)とタイ(Thailand)を加えたもの。ブラジルが日本から地理的に遠い事、ロシアに投資するリスクが高い事と、日本企業の中国投資の変更先としてこの二国が注目され始めている事から言われるようになったが、一般的な知名度は非常に低い。VISTA [編集]
詳細は「VISTA」を参照BRICs経済研究所のエコノミスト門倉貴史がBRICsに続くグループとして2006年11月に提唱した造語。同年12月には日本経済新聞にも引用された。ベトナム(Vietnam)、インドネシア(Indonesia)、南アフリカ(South Africa)、トルコ(Turkey)、アルゼンチン(Argentina)を繋げたもの。地理的なバランスと高成長のための条件、すなわち豊富な天然資源、労働力の増加、外資の導入、政情の安定、購買力のある中産階級の台頭を勘案して、中進国からポストBRICsの候補が選出されている。MEDUSA [編集]
BRICs経済研究所のエコノミスト門倉貴史がBRICsに続くグループとして2008年1月に提唱した造語。マレーシア(Malaysia)、エジプト(Egypt)、ドバイ(DUbui)、サウジ(SAudi)を繋げたもの。イスラム金融が浸透している新興国のグループ。E7 [編集]
PwCが公表した報告書に記された7国(中国、インド、ブラジル、メキシコ、ロシア、インドネシア、トルコ)。関連書物 [編集]
- 門倉貴史,『図説 BRICs経済』,2005年7月19日,日本経済新聞社(ISBN 4-532-35160-X)
- アジア&ワールド協会,『図解 BRICs経済がみるみるわかる本』,2005年11月9日,PHP研究所(ISBN 4-569-64650-6)
出典・脚注 [編集]
- ^ Building Better Global Economic BRICs - Goldman Sachs, Global Economics Paper No: 66
- ^ 新興国の成長が2050年に向けて世界経済を牽引する - ダイヤモンド・マネー08年新春版, 2007/12/1
- ^ Dreaming with BRICs: The Path to 2050 - Goldman Sachs, Global Economics Paper No: 99
- ^ BRICs(ブリックス)とは? - やさしい経済講座 - Exciteマネー/FXプライム (2010/3/12 現在)
- ^ EDUARDO PORTER (December 9, 2007). "China Shrinks". New York Times. 2009年4月4日閲覧。
- (抄訳) NYタイムズ2007年12月9日 China Shrinks By EDUARDO PORTER「編集手帳:縮小する中国経済規模」 最近中国の経済規模が縮小したのだが、殆どの人はそれを知らない。中国経済の規模は以前に推定されていたものよりも40%小さくて6兆ドル(以前の推定は10兆ドル)である。何故そんな大幅な推定値の変化がおきたのかといえば、中国の購買力平価(ppp)を推定する事をやり直した為である。北京のレストランのヌードルが40元で、同じ様名なNYのレストランでは$4であるとすればヌードルのpppはドルあたり10元と言う事になる。多様な製品やサービスについて、同じ様な比較と計算を行いpppを決める事になるのだが、世界銀行は中国のpppを1980年の調査を元に計算していた。今回世界銀行が調査をやり直し、その結果はまだ発表されていないのが、カーネギー平和財団のAlbert Keidel氏がアジア開発銀行のデータを元に同様の試算を行なっている。簡単に言えば、中国の物価は以前に推定されていたよりも高く、北京のレストランのヌードルは実際には50元で、pppは(10ではなく)12.5元・ドルになるという具合である。この結果、中国は以前に推定されていたよりも貧しく、経済規模は小さいと言う事になる。この結果、世界銀行基準の貧困ライン(1日あたり1ドル以下で生活する)以下の中国人の総数は1億人から3億人に増えることになる。つまり、アメリカの総人口と同じ位の貧困ライン以下の生活者がいる事になる(後略)。
- ^ a b 門倉貴史 (2006年6月26日). "ロシアの人口減少は日本より深刻 -「BRICsの素顔」". 日経ビジネス オンライン. 2009年4月4日閲覧。
- ^ 「東西逆転」(プレストウィッツ、NHK出版)
- ^ "「BRICs+ネクスト11」完全ガイド". ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント. 2009年4月4日閲覧。
- ^ "The N-11: More Than an Acronym". Goldman Sachs Economic Research (March 28, 2007). 2009年4月4日閲覧。
- ^ ルーパ・プルショサーマン氏(2007年1月28日 - 30日放送、NHKスペシャル「インドの衝撃」での発言)
- ^ "The GCC Dream: Between the BRICs and the Developed World". Goldman Sachs Economic Research (April 17, 2007). 2009年4月4日閲覧。
- ^ "長期経済予測(2006-2050年)". 日本経済研究センター (2007年1月17日). 2009年4月4日閲覧。
- ^ "The World in 2050: Beyond the BRICs". PricewaterhouseCoopers LLP (2008年3月4日). 2009年4月4日閲覧。
- ^ "インド経済さらに成長 4年後10%、中国と「世界の両輪」". 産経新聞 (2008年1月20日). 2009年4月4日閲覧。
- ^ "How Solid are the BRICs?". Goldman Sachs Economic Research (1st December 2005). 2009年4月4日閲覧。
- ^ 臼居一英 (2005年3月). "注目されるインド―その位置づけ―". 国際協力銀行 開発金融研究所. 2009年4月4日閲覧。
- ^ a b c "The N-11: More Than an Acronym" - Goldman Sachs study of N11 nations, Global Economics Paper No: 153, March 28, 2007.
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- ^ Building Better Global Economic BRICs - Goldman Sachs, Global Economics Paper No: 66
- ^ 新興国の成長が2050年に向けて世界経済を牽引する - ダイヤモンド・マネー08年新春版, 2007/12/1
- ^ Dreaming with BRICs: The Path to 2050 - Goldman Sachs, Global Economics Paper No: 99
- ^ BRICs(ブリックス)とは? - やさしい経済講座 - Exciteマネー/FXプライム (2010/3/12 現在)
- ^ EDUARDO PORTER (December 9, 2007). "China Shrinks". New York Times. 2009年4月4日閲覧。
- (抄訳) NYタイムズ2007年12月9日 China Shrinks By EDUARDO PORTER「編集手帳:縮小する中国経済規模」 最近中国の経済規模が縮小したのだが、殆どの人はそれを知らない。中国経済の規模は以前に推定されていたものよりも40%小さくて6兆ドル(以前の推定は10兆ドル)である。何故そんな大幅な推定値の変化がおきたのかといえば、中国の購買力平価(ppp)を推定する事をやり直した為である。北京のレストランのヌードルが40元で、同じ様名なNYのレストランでは$4であるとすればヌードルのpppはドルあたり10元と言う事になる。多様な製品やサービスについて、同じ様な比較と計算を行いpppを決める事になるのだが、世界銀行は中国のpppを1980年の調査を元に計算していた。今回世界銀行が調査をやり直し、その結果はまだ発表されていないのが、カーネギー平和財団のAlbert Keidel氏がアジア開発銀行のデータを元に同様の試算を行なっている。簡単に言えば、中国の物価は以前に推定されていたよりも高く、北京のレストランのヌードルは実際には50元で、pppは(10ではなく)12.5元・ドルになるという具合である。この結果、中国は以前に推定されていたよりも貧しく、経済規模は小さいと言う事になる。この結果、世界銀行基準の貧困ライン(1日あたり1ドル以下で生活する)以下の中国人の総数は1億人から3億人に増えることになる。つまり、アメリカの総人口と同じ位の貧困ライン以下の生活者がいる事になる(後略)。
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- ^ a b c "The N-11: More Than an Acronym" - Goldman Sachs study of N11 nations, Global Economics Paper No: 153, March 28, 2007.
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