2009年11月4日水曜日

【多様性の中に可能性がある(C.W.ニコルさん)】 

【多様性の中に可能性がある(C.W.ニコルさん)】 
                             
                                   (10/26)

【出展引用リンク1】:

1. http://www.nikkei.co.jp/biod/columns/index.aspx?n=MMWEa3000022102009

【出展引用リンク2】:

2. http://www.nikkei.co.jp/biod/columns/index.aspx?n=MMWEa3000022102009&cp=2
 
【出展引用リンク3】:

3. http://www.nikkei.co.jp/biod/columns/index.aspx?n=MMWEa3000022102009&cp=3

【出展引用リンク4】:

4. http://www.nikkei.co.jp/biod/columns/index.aspx?n=MMWEa3000022102009&cp=4
 
 

 

【出展引用リンク1:引用始め】以下の通り

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                        C.W.ニコル
1940年、英国南ウェールズ生まれ。北極地域への調査探検、エチオピアの国立公園建設などに携わった後、80年より長野県黒姫在住。95年日本国籍取得。「風を見た少年」「マザーツリー ― 母なる樹の物語」など著書多数。


 黒姫、飯綱など信越五岳に囲まれた長野県信濃町。作家のC.W.ニコルさんはこの地で1980年代半ばから、近隣の荒れた里山を買い取って、さまざまな生き物が暮らせる森を取り戻そうと、再生活動に取り組んでいる。「アファン」と名づけられた約30ヘクタールの森には現在、1000種以上の昆虫、93種以上の鳥が生息し、森の生態系の頂点に位置するツキノワグマも好物のハチミツやサルナシを求めて訪れるという。木々がほんのり色づき始めた初秋のアファンの森にニコルさんを訪ね、「森を再生する」ことの意味を聞いた。

◇     ◇     ◇

■光を入れ、自然に近い混合林に
――今日は雨交じりですが、アファンの森の中はすがすがしく、明るく感じます。もともとは人も生き物も寄りつかず「幽霊森」と呼ばれていたそうですが。


 戦前は植林地で、戦後農地や薪炭林(しんたんりん)として利用され、その後長年放置されたところでしたから、最初の手当ては特に大変でした。日本では森を伐採すると、ワーッとササに覆われる。ササは他の生物を抑える力があるから、種からは木が育たない。ツルもどんどん木から木へ移り、雪国ではその重みで木が折れやすい。そういうところからでる「ひこばえ」(芽)は、手入れしないと病気になるか、成長が止まるか。放っておくと光はさえぎられ、いつまでたっても健康な木は育ちません。だから、初めの3年くらいはとにかくササを刈り、木に巻きついたツルを落としました。


 森の中が見通せるようになったら、育つ可能性がある木を見極めて、それらを生かすために周りの木を間引く。空いた場所には、地面にまだらに日が差し込むよう配慮しながら、土地に合った種類の苗木をバランスよく植えていく。「これは増えすぎると悪さをする」とか、「これはおいしい実がなる」なんて、地元の林業のプロとあれこれ相談しながらやりました。


――私たちは「木を植えて終わり」とか、「緑があるならそのままにしておけばいい」と誤解しがちです。




 言葉では説明しにくいから外に出ましょうか。(事務所脇の木を指して)この木はかなり大きくなっているでしょう。でも、あちらに並んでいる木は全部貧弱で、そのうち葛(くず)ヅルに覆われて、朽ちてゆくでしょう。同じ樹齢だけど、光が入ったかどうかで、これだけ差がつく。


 人の手が加わっていない原生林では、幼木と樹齢数百年の大木とが混在しています。いろんな高さの木があって、空から見ると、ブロッコリーみたい。


 だけど、日本は戦後、スギやヒノキ、カラマツを政府の指示でいっぱい植えたでしょう。成長が早い針葉樹は使いやすいから。しかも、曲がらず、真っすぐ育つよう、わざと密に植えた。「兵隊植え」と僕は呼んでいるけど。そうして生えそろった単一林は、10年、20年でもう隣の木と枝がくっついてしまい、てっぺんしか光が当たらない。間伐や枝打ちなどの手入れをしないと光合成ができなくなって、途中で成長が止まるから、ヒョロヒョロの木しかできないのです。


――効率を追求した結果、かえって非効率に陥っているというのは皮肉ですね。






 しかも木だけでなく、生き物も、保水力も、すべてが貧乏な山になってしまう。本来、森は最高のダムです。でも、スギ林の下は暗いから、野草や花などの下草(したくさ)は育たない。土壌がむきだしになり、傾斜が急な山だったら、大雨が降ると侵食が起こる。すると今度は、はんらんを防ぐために川がコンクリートで固められる。



 (絵を描きながら)例えば、こんなふうに川が曲がっているところでは、川岸に茂る柳の根が露出して、稚魚にとっては、夏の強い日差しや鵜(う)のような外敵から身を守る安全地帯になっている。これをコンクリートの3面張りにすると、魚は棲めなくなります。木の実や山菜など食べ物を失ったクマは山から下りるようになり、撃ち殺されて――。こういう状態が、日本のいたるところにある。


【出展引用リンク1:引用終わり】

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【出展引用リンク2:引用始め】以下の通り

■かえってきた生き物たち


――ニコルさんたちは人為的に壊されてしまった森の生態系を、健康な状態に戻そうとしているわけですね。


 同じスギでも、われわれのような混合林のほうが、間違いなく年輪が太く、強くなります。太陽がいろんなところに当たるし、広葉樹や下草の葉っぱは、暑い夏にはクーラーになり、これらの落ち葉で表土も生き返る。貧弱な木をたくさん切るのは大変でしょう。これなら、薪(まき)も何倍もとれるし、切り出すときのコストも負けません。


 こういう環境で育ったナラだと、100年、200年したら、立派な大木になって、家具材や樽(たる)に、1000万円の値がつきますよ。それらの中から一番いい木を残しながら、間引いていったらいい。木の高さも、種類も、多様だからこそ、いろんな可能性がでてくる。だから今、われわれは未来のために働かなくてはならないのです。


――植物の種類はどのくらい増えたのですか。


 例えば、日本の食卓に大切な山菜は、最初7種類だったのが、137 種類に増えました。地面の中で待っていたものもあれば、風が通るようになって、風に乗ってやってきたり、昆虫や鳥、動物のフンに交じって運ばれたり……。


 不自然なインベーダー(侵入者)を取り除いて、ちゃんと光合成ができるようにすれば、本来、そこにいるべきものが戻ってくるよ。まだ、ほんの少しだけど原生林がある。お寺や神社の小さな森にも、大事な生態系はちょこっと残っている。


■みんなつながっていて、みんな大事


――アファンの森は理想的な姿に近づいていますか。


 われわれの森には木の実や果実がたくさんなるし、山菜やキノコも採れる。植物がバランスよく生えていると、昆虫や両生類、鳥たちもたくさん集まってくる。天然記念物のヤマネや、ムササビ、クマも来るようになりました。それらは何らかの形でみんなつながっていて、森の健康のためには、全部大事なんです。





 例えばキノコは、自分で光合成できないから、糖はつくれないけど、死んだ動植物を分解してミネラルを蓄えることができる。だから木とキノコは土の中で、糖とミネラルを交換しています。


 シジュウカラのような、虫を捕る鳥たちもいなくては困ります。夜行性のコウモリは蛾(が)、フクロウはネズミが増えすぎるのを防いでくれる。そのため今はまだ巣箱を設けているけれど、大木が育って、もっと洞(うろ)ができれば、いずれ必要なくなる。フクロウやタカのような大きな鳥が飛べる空間も、大木の下に自然にできるでしょう。


 森づくりは何世代にもわたる仕事だから、僕たち自身がそこまで見届けることはできません。でも、小さな森と生態系を残しておけば、将来それが別の場所に広がるかもしれない。アファンの森を財団にして、記録をとったり、人材育成に取り組んだりしているのも、そのためです。


――「生物多様性」という言葉に置き換えると、定義が難しく、メッセージが伝わりにくいように感じるのですが。


 そんなことないですよ。Biodiversity――とっても簡単。例えば食糧の多様性がどれほど大切か。歴史を見れば分かります。英国支配下のアイルランドでは、狭い土地でもたくさんとれるジャガイモばかり作って主食にした。1846年からジャガイモの疫病が4年間続き、餓死や国外脱出で、800万人の人口は400万人に半減した。もし、カボチャとか豆とか、いろんなもの作っていたら……。それが多様性。

   
【出展引用リンク2:引用終わり】

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【出展引用リンク3:引用始め】以下の通り


■環境と経済は「ともにあるもの」


――1962年に初めて来日されてから半世紀。日本人の自然観や自然環境の変化をどのように受け止めましたか。


 「日本人は“farming”(農業)ではなく“gardening”(園芸)をする」と書いたことがあるけど、来日した当初の里山は、良く手入れされていて、それはもうきれいでした。


 でも、黒姫に住み始めた80年代、日本はバブルの時代に突入し、この辺りの奥の原生林でも、樹齢数百年の大木がバサバサ伐られた。スキー場やゴルフ場が造成され、地すべりや鉄砲水が起こるようになると、今度は川をコンクリートの3面張りに。田畑は放棄され、わらぶき屋根の家も姿を消しました。放置された土地には外来のオオブタクサやアレチウリがすごく増えちゃって。


 そんな光景を目にして、絶望しかかっていた頃です。ボタ(石炭かす)で覆われた不毛の炭鉱跡地だった故郷ウェールズの「アファン・アルゴード」(風が通る森の谷間の意)が、住民らの手によって緑豊かな森林公園に生まれ変わったことを知り、自分の周りでできることをやろうと決心したのです。


――時代の流れには逆行していた?


 当時の日本列島はカネ一色でしたから。「カネにならない」という言葉をイヤというほど聞きました。だけど、お金というのは、あくまで政府の約束ですよね。金(きん)じゃない。ダイヤモンドとも違う。ただの紙です。その紙に書いてある約束って一体何なのか。それも考える必要があります。


――なぜ短期間で日本人の価値観やモラルがそこまで変わってしまったのでしょう。


 分かりません。新しいものを柔軟に受け入れる国民性の裏返しでしょうか。苦労した世代がいなくなってしまったことも大きいのかな。武道で一番の護身術は礼儀だと思いますが、昔の人は自然に対しても礼儀正しかった。


 僕が初めて日本に来たとき、戦争を経験した人も、明治生まれの人もたくさんいた。自然の厳しさと美しさの両方を知っていて、その中で身につけた知恵や教養があり、いろんなことを教えてくれた。当時は、子供の頃から薪をたいたり、大人は薪を割り、炭を焼いたり、生きるためにこれだけしないとだめだという、当たり前のことがあった。今は、お金を払えば全部すんでしまう。


――ニコルさんが考える、環境と経済のバランスのあり方とは?




 (文字を書きながら)ecologyとeconomy、どちらもeco(家・棲家の意)でしょ。life――どうやって生きるかということです。これ(ecology)を消して、これ(economy)は絶対ダメになる。経済だけでlifeは成り立たない。昔の人はそのことをよく分かっていた。それがいつの間にかeconomyだけに偏っていった。


 産業革命以降、化石燃料ばかりが資源として注目されるようになったけど、空気、水、健康、自由、安全――それらも大事な資源だと思います。誰かが「のどが渇いているから水を飲ませてください」と僕の家に来ても、「いやあ、水は貴重だから高いよ」とか、「おらほ(僕たち)の森が一生懸命つくった酸素だから吸っちゃだめだ」なんてね。そういうこと言うようになったらどうする?(笑)


――日本は「小資源国だから経済を振興しなければ」という発想にとらわれすぎたのでしょうか。


 本当は、この小川にイワナやアユがいると、100年という期間で見たら、お金になっているはずですね。釣り道具を買って、釣りを楽しんで、ここに泊まって、おいしい魚を食べて……。だったら、どうしても補強しなくてはならない所は、自然の石を使うなど、魚が棲めるように工夫したらいい。でも、日本人はそういうことをなかなか長期的、総合的に見てくれないですね。


 英国やドイツ、オーストラリアなどでは、自然の広葉樹林や河川の価値が見直されていて、針葉樹を植え替えたり、河川のコンクリートをはがしたりして、自然な形への復元が進んでいます。


【出展引用リンク3:引用終わり】

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【出展引用リンク4:引用始め】以下の通り

今が最後のチャンス


――気候変動や生物多様性の問題が世界的な関心事となり、金融危機などを経て、日本でも経済一辺倒の価値観に変化が生じているようです。


 今はチャンスです。ただ僕は、これが最後だと思っています。世界では今、環境の変化に伴い、かんばつや洪水など、大変なことが起こっています。日本も一見、緑が残っているようですが、これ以上放置すると、山火事とか浸食とか取り返しのつかない災害が増え、生き物はますます居場所を奪われる。林業に携わる人は高齢化し、生きた知識を授けてもらうこともできなくなる。


――すでに森林の4割が人工林で、河川のコンクリート化も進んでいます。この状況を今から変えるのは、容易でないのでは。


 厳しいことは分かっています。だけど例えば、森に同じお金を使うなら、働いていない人への補助金や、森を見ようともしない役人に払っている給料を、本当に必要な人材の育成に向けたらどうでしょう。日本は、森をつくり、守り、管理し、指導もできるforester(森林監督員)が絶対的に足りません。


 そして、それぞれのやり方でいい。本気で思い、行動する人や企業が一定の割合に達したとき、それまで微動だにしなかった岩が突然、動き始める。変化とは、そういうものだと思います。


 ウェールズのアファンを緑に変えようと立ち上がったのは、最初は3人の小学校教師とその教え子でした。10ヘクタールの土地にバケツ一杯の土と苗木を持ち寄って植えるところから始まり、大きくなった教え子たちは森が好きになり、いろんなグループや政府が協力するようになって、今では3万ヘクタールの、ヨーロッパ最大の森林公園になりました。(写真を示しながら)僕が子供の頃、この川は死んでいました。今ではここに、フランスの会社が水を買いにくるんです。


――生物多様性の問題で、日本はどんな役割を担えますか。


 僕が一番大事だと思うのは、日本の田舎が再び美しい、癒やしの場になって、日本人が健康で幸せに暮らすこと。そうすれば、世界が日本にあこがれて、好きになりますよ。僕がそうだったように。最初の目的は空手の黒帯だったけど、日本が大好きになったんです。


 僕は、今は亡き詩人の谷川雁さんとの縁で黒姫に落ち着いて、「ここが世界一」と思って暮らしているけれど、沖縄の海や音楽が大好きだし、北海道にはアイヌの友達もいるし、九州や東北の田舎も、それぞれに良さがある。その土地の人たちが、「ここが世界一」と思っているのが当然。だから、自分の土地に誇りと責任を持ってほしい。


 北に流氷があって、南にサンゴ礁がある。長い海岸線、高い山があって、雨がよく降る。花や木の種類が多くて、自然が変化に富んでいるから、日本語も、日本の伝統的な食卓も、本当に豊かです。まだ治安はいいし、言論や宗教、旅の自由、それに、環境のために活用できる技術がある。教育や科学の競争力は落ち始めたらしいけど、日本人は目覚めると何でもできる。だから僕は、日本が一番、可能性があると思う。


――ニコルさんがアファンの森に託す思いとは。





 僕に言わせると、森を破壊して砂漠と化した国々の文化は「どう猛」。この世はどうでもいい、死ねばパラダイスに行けると思っている。だけど、僕が出会ったアメリカの少数民族、日本のアイヌの人たちにとっては、生きている“ここ”が天国です。


 先日、イスラエル大使がここを訪れて、一緒に森を歩いた後、僕に「あなたは日本でエデンの園をつくろうとしているね」とおっしゃったんです。もう僕は涙がでて、うれしかった。全国のあちこちに小さなエデンの園をつくってほしい。やがてそれらがつながったなら、日本は天国に近づけると思うから。

    [2009年10月26日]


【出展引用リンク4:引用終わり】

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【引用終わり】以上の通り
 
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【参考リンク1】:

   http://www.cwnicol.com/

 【同上引用】:以下の通り

  英国南ウェールズ生まれ。17歳でカナダに渡り、その後、カナダ水産調査局北極生物研究所の技官として、海洋哺乳類の調査研究に当たる。以降、北極地域への調査探検は12回を数える。

1967年より2年間、エチオピア帝国政府野生動物保護省の猟区主任管理官に就任。シミエン山岳国立公園を創設し、公園長を務める。

1972年よりカナダ水産調査局淡水研究所の主任技官、また環境保護局の環境問題緊急対策官として、石油、化学薬品の流出事故などの処理に当たる。

1962年に空手の修行のため初来日。

1980年、長野県に居を定め、執筆活動を続けるとともに、1986年より、森の再生活動を実践するため、荒れ果てた里山を購入。その里山を『アファンの森』と名付け再生活動を始める。

2002年、アファンの森』での活動や調査等をより公益的な活動を全国展開するために、「財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団法人」を設立し、理事長となる。

1995年7月、日本国籍を取得。

2005年、英国エリザベス女王陛下より名誉大英勲章を賜る

1993年~ 国際松濤館空手道連盟顧問
1993年~ (財)屋久島環境文化財団特別顧問
1994年 :  内閣官房「21世紀地球環境懇談会」委員
1995年~ 学校法人東京環境工科学園理事・実習場長
1997年 :  内閣官房「子どもの未来と世界について考える懇談会」委員
2002年 :  内閣府「未来生活懇談会」委員
2003年~ 東京都 エコツーリズム・サポート会議委員
2003年~ 環境省 エコツーリズム推進会議委員
2005年~ 京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授


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【参考リンク2】:【アファンの森が生まれるまで】
  
        http://www.afan.or.jp/about_afan/

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【参考リンク3】

   http://www.afan.or.jp/index.html

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【参考リンク4】: 【C.W.二コル : Clive Williams Nicol 】 : Wikipedia :

http://ja.wikipedia.org/wiki/C%E3%83%BBW%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%AB
 

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